平尾 敦のN.Y.日記 ♯2

◎平尾敦のN.Y.日記 #2(2013.10)

 
第1回から2ヶ月近くが経ってしまいました。書くネタが増えれば増えるほど、書く時間は減っていく日々からなんとか抜け出して投稿させていただきます。
 
前回、ロサンゼルスのバスターミナル周辺に関して書かせていただきましたが、今回は大陸横断バス車内の様子と、ニューヨーク到着後の生活について書いていきたいと思います。
私が予約したチケットは、ロサンゼルスを8月29日の午前8時30分に出発し、途中ラスベガスとデンバーで2度乗り換え、9月1日の午前6時05分到着というスケジュールです。乗車時間だけ見れば以下のようになります。
 
ロサンゼルス − ラスベガス(5時間10分)
ラスベガス − デンバー(16時間30分)
デンバー − ニューヨーク(45時間25分)
 
 
 
大陸横断バスを運行しているのはアメリカ最大のバス会社、グレイハウンドです。創業は第一次大戦前の1913年。急速な成長をとげるものの、第二次大戦後は州間高速道路網整備と自家用車の普及で経営が悪化。1990年代には2度の倒産を経て、現在ではLCC(格安航空会社)との激しい低価格競争にさらされています。
簡単に言ってしまえば安さだけが取り柄の交通機関と言えます。このような背景から利用者のほとんどは貧困層や不法移民で、一昔前までは麻薬の密輸ルートとしても使われていたとも言われています。
 
しかし実際に乗ってみるとロサンゼルス、ラスベガス路線では観光客が多い印象で、効きすぎたエアコンを除けば快適な旅路となりました。(ただし、バスターミナルまでのアクセスと周辺の治安に問題があるため、あまりお勧めしません。)
 
ところが、ラスベガスの乗り換えから様子が変わります。まず、予定時刻の30分前に車内に案内されたかと思うと、私服警官が4人ほど乗り込んできて、一人ずつに真顔で「IDはあるか?ドラッグ、拳銃、爆発物は持ってないか?この場で荷物を開けることに同意するか?」と尋ねてきます。
周りを見回すと、それまでとは乗客の配分も大きく違いました。だいたい、ヒスパニック系6割、黒人2割、白人1割、その他1割といった感じで、観光客の姿はありませんでした。バスも古い物になり、それまで各座席にあったコンセントや無料インターネットなどというものはもちろん無く、代わりに乾いたチューイングガムが至る所に張り付いているような有様でした。
 
 
 
バスがラスベガス市街をでると、あるのはネバダの赤い砂漠だけです。その風景を眺めながら、私は子供の頃のことを思い出しました。両親の趣味が登山ということもあり、当時も同じ道を国立公園目指して何時間も車で走っていました。地平線の彼方まで続く砂漠であっても、ぽつりぽつりと家が視界に入ってきます。ここで暮らしている人は何者なのか、そしてもし自分がそこで生まれていたらどのような人生だったのか、当時は想像して時間を過ごしていました。
 
一方バスは約3時間おきにマクドナルドなどで休憩を挟みながら進みます。食事はファーストフードしかありません。また、やっと寝付けた深夜であっても車内清掃や運転手交代のため下車させられ、お客様第一などという言葉は通用しません。時には運転手が客を怒鳴りつけ、カンザスでは大平原の真ん中でエンストし、休憩所では何人かの客を置き去りにしながら目的地を目指します。新しい町に着く度に乗客は入れ替わりながらも、車内は奇妙な一体感に包まれます。
そしてニューヨークに到着すると、それぞれ地下鉄の駅へと消えていきます。ただし、その表情は疲労だけでなくどこか希望に満ちあふれたものでした。
 
 
 
 
その他の写真はこちらでご覧頂けます。(https://www.facebook.com/media/set/?set=a.412578368864272.1073741827.100003363366231&type=1&l=63889a2d74)

 

「私的昭和史 桑原甲子雄写真集」  昭和44年卒・平嶋彰彦

◎昭和44年卒の平嶋彰彦さんの手によって、素晴らしい本が編み出されましたのでおしらせします。(昭和45卒・白谷達也)

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  1年ほど前からとりくんできた桑原甲子雄の作品集をこの10月に毎日新聞社より刊行しましたので、ご案内いたします。
 
○『私的昭和史 桑原甲子雄写真集』
 上巻「東京・戦前篇」/解説・松山巖
 
下巻「満州紀行、東京・戦後篇」/解説(口述)・荒木経惟
B5判(上巻336頁、下巻319頁)。
3800円+税。発行元・毎日新聞社
 
編者は毎日新聞社の後輩で写真家の伊藤愼一と私(平嶋彰彦)です。
私は桑原甲子雄の作品と業績については通りいっぺんの知識しかなかったのですが、世田谷美術館を介して著作権代行をたのまれ、心ならずも引き受けるはめになりました。遺品のプリントや撮影ネガは、いずれどこか適当な機関に寄贈するつもりでいますが、その整理のかたわらカタログ代わりに制作したのがこの写真集です。
桑原甲子雄は折々の徒然に膨大な写真をうつしました。きわめて私的な興味に任せたものに過ぎないのですが、ていねいにみていくと、下町生活の地平から見た昭和の東京が浮き彫りになり、逝き去りし日の生命のざわめきが聞こえてきます。そこで写真集のタイトルを「私的昭和史」としてみました。
 
桑原甲子雄(19132007年)は、戦前にアマチュア写真界のホープとして木村伊兵衛や堀野正雄から将来を期待されましたが、写真家としては終生アマチュアのまま通しました。生家は上野駅近く(車坂町、現・東上野3丁目)の質屋。その跡取り息子です。
濱谷浩は早稲田大学写真部の先輩の方々が世話になった写真家。桑原の家とは隣どうしで、二人は幼友達でした。写真評論家の田中雅夫は濱谷の実兄。桑原は濱谷から写真技術を習いおぼえたということです。
桑原は終戦直後に家業をはなれ、まったく経験のない写真雑誌の編集者、それもいきなり編集長になりました。以来1970年代まで何誌ものの編集長を歴任しています。
資料を調べていくうちに、戦後写真界の新しい動きに暖かい眼差しをそそぎ新人作家の育成に力を注いだ大変な編集者だったことが少しずつ分かってきました。1950年代には、写真雑誌『カメラ』(アルス社)の月例選者に木村伊兵衛と土門拳を起用し、この二人の熱のこもった合同審査から戦後のリアリズム写真の運動が生まれたといわれています
森山大道や荒木経惟も1960年代に桑原甲子雄から少なからず恩恵をうけていたようです。森山はデビュー作『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、1968年)を刊行した当初、まともな批評をしてくれたのは桑原甲子雄たった一人だったと『写真よさようなら』(写真評論社、1974年、中平卓馬との対談)で発言しています。荒木は桑原がその「天才」的な資質を見ぬいて、写真誌『カメラ芸術』(中日新聞社)や『フォトコンテスト』(写真評論社、発行人吉村伸也)の表紙・口絵に重用した写真家です。
ちなみに吉村伸也は早稲田大学写真部のOB。私財をもって写真評論社を設立し、『フォトコンテスト』と併行して『季刊 写真映像』を発行していました。その編集長を桑原甲子雄がつとめています。また『写真よさようなら』は吉村の編集です。
 
荒木経惟には、口述ですが、下巻で写真と人物像について解説してもらいました。そのなかで「桑原写真は写真の写真たる頂点かもしれない」と述べていますが、私は桑原甲子雄の写真はアマチュアリズムの理想ではないかと思っています。
 
書店に立ち寄る機会があれば、ぜひ手にとってみてください。
 
2013.10.22 昭和44年卒・平嶋彰彦
 

縄文時代に新たな光を当てる写真家 昭和38年卒・辻 久男

 

  The Japan Timesの“timeout”欄に大きく掲載されたこの小川忠博氏の記事をたまたま知ることとなって、興味本位に読みはじめました所、その量、内容共小生にはかなり厚く重い、しかし、難しいが大変興味ある内容にひかれ拙訳でも最後まで知りたいと思うに至り、時に助けを得ながら、何とか訳しました。

 それを、学生時代の十余名の写真部仲間に

「後輩の小川君(昭和40年卒)が30余年間に亘り正にコツコツと積み上げた縄文時代の人工遺物(土偶、土器、石器)に懸けてきた成果(「縄文美術館」等)が、西洋の考古学者(http://jomonarts.com/ Amana ChugHae Oh, PhD)や研究者(Edan Corkill;記事執筆者)の目にとまり茲に詳しく紹介された。彼の成果(物)に対する背景・意図並びに価値・論評等も見えて大変興味深い内容と思われるので、先ずは拙訳を読んで意見下さい」

とメールを入れた所、

彼と同級のA氏からは「小川氏とは40年以上の友達だが、これほどの仕事をしていたとは今まで知らなかった」、又B氏他からは「小川氏の仕事がどれほどのものかこの記事で良くわかった。それに目を付けたジャパンタイムズの執筆者も素晴らしい。ついては、我々仲間内だけでなく、われら早大写真部OBの集まりである稲門写真クラブの皆さんにもこの記事の事を紹介してはどうだろうか」と云った意見がありました。

 これらの意向を受けて稲門写真クラブの事務局幹事宛、投稿としてこの記事訳文の推敲も含めて紹介(HP掲載)の検討をお願いした次第です。

                  昭和38年卒・辻 久男

 

 

 
       《縄文時代に新たな光を当てる写真家
Camera artist casts new light on Jomon millenia
 
副題:小川忠博の主要目標は時間と理解との隔たりに橋渡しをすること;今日の日本人とさほど変わらない数千年前の人々を知る機会をつくることである

(Tadahiro Ogawa’s primary goal is to bridge the gulf of time and comprehension;

to create a window through which to behold a people many thousand of years ago who were not so different from Japanese today)

 
                  The Japan Times <timeout>Sep 29 2013         STAFF WRITER  Edan Corkill   

 日本史における縄文時代は時のかなたに覆い隠されているので、その神秘を解き明かそうとする試みは先史時代の考古学にまでさかのぼらなければならない。
しかし、考古学愛好家や専門家が2千年前?1万年前の縄文土器や石器を過去100年にわたって発掘し研究してきているので、パズル(謎)の断片は徐々に継ぎ合わされてきている。
たとえばわずか6年前に、極めて大きな豆やそれらを縄文時代の壺の粘土で包みこんでいる穴が発見され、大昔この島々に住んでいた人々が植物を栽培していたという証拠となった。 
このような新しい見解は、ふつうは考古学と科学の検証の結果もたらされるものであるが、この謎めいた時代を明らかにするために一役買った別の試みがあった。写真である。

  小川忠博は縄文時代の遺物を写真に撮り続けて30年。既に手元には約3万点もの写真がアーカイブされている。彼は実際に紀元前1万2千年?紀元前300年頃と推定される縄文時代の品々が収蔵されている全国の500館以上のほとんどすべての博物館で写真撮影をしてきた。

協力団体に対しては撮った写真の無料使用を認めるという小川の方針により、彼の作品はこの分野で至るところで使用され、数えきれないほどの本、ポスター、学術研究書の表紙を飾っており、地方の電話帳の表紙にさえなっている。

  入手した資料から判断すると、これらの博物館は、無報酬で写真を提供する写真家のクレジットを入れることにあまりこだわらないようだが、それにもかかわらず彼の作品だということは容易に分かる。まず第一に、小川の古代縄文土器の写真はその陰影、ハイライトや奥行きの鮮やかで印象的なトポグラフィー画像を描いている。

  発見された物の考古学専門資料としての記録は優先されるだろうが、たとえフラットライティング(平面的で遠近感のない照明)でも、小川は、あたかもそれらの物が同じ部屋にあるかのように、手をさし出して、触れて、感じることのできる物として質感や外見的特徴を写真の中に巧みに取り入れている。彼の写真はそれらが日常的に存在した時代、崇められた古代の単に遺物としてではなく、実在のものだった時代にいとも簡単に私たちを引き戻す。 それは大変な偉業である。なぜならそれらの多くはあまりに奇妙で空想的次元からやってきたようにみえるからである。

 

 例えば豪華な装飾、蛇や蛙などの動物や私たちの眼には全く抽象的にみえる装飾が施された高さ60?70cmの調理用大鍋を、今日の私たちはどのように考えるだろうか。あまり実用的でない品々もある:動物や人の立体像。土偶と呼ばれるそれらの小さな立像の中には幅広の三角頭と大きな目を持っていて、人というよりは空想科学小説のエイリアン(宇宙人)により共通点があるように見えるものもある。
 
 世代を経るにしたがって、縄文土器はその奇抜さを人々の心に特徴づけてしまったようだ。
20世紀半ばの芸術家、岡本太郎は縄文土器に”新しい"日本独自の視覚表現として主張する拠り所を見てとり、それを彼の表現に取り入れた。
 しかし写真家の小川にとっては、そのような縄文文化の意図的な神秘化は、あまり好ましくない遺産であった。当時これらの島に住んでいた人々が、今の自分たちとは全く違う別世界に属していたという考えを現代人の心に植えつけるものだったからだ。(下の写真:「縄文美術館」より転載)

 精力的な小川の仕事の主な目的は、時間と理解との隔たりを埋めることである。今日の日本人とさほど違わない何千年も前の人々を知る機会をつくることである。
 70歳の小川は言う。
「我々日本人はこの人々と血のつながりがあり、今日私たちが生きている自然環境と同じ中で彼らは普通に生活をし、狩りをし、このような物をつくったのです」「彼らは希望や恐れを持ち、複雑な生活環境の中で生きていました。彼らが残したものを注意深く観察すれば、それらが何であったかわかるでしょう」
 
長野県の山間にある松本市立考古博物館の展示室には、数多くの土偶が展示されている。高さ10cmから20cmの粘土製の頭部像や装飾用小立像が大型の土鍋や石器などの縄文遺物と一緒にガラスケースの中に並んでいる。粘土でできていて、長野の谷底の浅い土の中に7000年ものあいだ埋れていた土偶は、他の美術館で見る遺物と同じくらいしっかりしていて良好な状態である。温度調節も緻密な湿度調整さえも必要としなかったからである。
 
「平日はさほどお客さんがいらっしゃらないので、使いたいと思う展示物をかなり沢山取り出すことができます」と博物館キューレーターの澤柳秀利は小川に説明する。小川は考古学者の友人が企画している本に使用する土偶の写真を撮りに来ていた。
「2,3年前に撮影したものは白黒写真でした。今日は、これとあれと後ろのあの列のものを撮るつもりです」
博物館助手が陳列棚を開けてそれらの作品を取り出し、裏紙付きのトレーに移し替え始めた。
 
小川は別の部屋に移動した。4個の大きなプラスチック枠箱の中に数百体以上の小さな土偶が入っていて、全部、箱入りの妙な形のチョコレート菓子のように薄紙の上に幾列にも並んでいる。しかし先史時代のお菓子(土偶)は、遠い昔の人間の暮らしの中での役割を今もって学識者にさえ知られていない。宇宙から来た生物に似ている土偶もたくさんあるが、妊婦、出産、子守りをする女性であると容易に分かるものもある。
 
 撮影に同行していた長野県の浅間縄文ミュージアムの堤隆館長は、「縄文人たちの寿命は大体30歳でしたから、出産と育児は彼らの生活の中心的出来事でした。ですから当然のこととして多産と生殖能力を象徴する像を作ったのです」と説明する。その他の粘土の小立像は縄文人たちが狩りをした場所の近辺にいた猪、熊、鮭などの動物たちを描写している。くすんだ白い箱の中で質感を消す強い光があたった土偶は子供のようにも見えるが、手でこねた粘土の塊のようにも見える。
 
 最適な照明の下で、正確なカメラアングルで撮影された時、それらの土偶がよみがえってくる。
「私の写真によって、縄文時代の遺物が一般の人々に初めて紹介されることになります。ですから一般の人々が興味を持つように、写真が目に焼きつけられるようにドラマチックなものでなければなりません」
 
 博物館の研究室を使用できることになって、小川は慣れた手捌きでそこを簡易撮影スタジオに転換させた。その手際の良さは、経験豊かなアシスタント、小川夫人である奉子 さんのお陰だった。彼女は撮影手順をよく知っているので、彼が要求する前に機材類を手渡すことができるし、彼女自身で大型の撮影用背景幕をセットすることもできる。土偶に適したスタジオを作るために広げた折り目なしの大きな紙のシートを支度しつつ、「家内工業ですよ」と彼女は微笑んだ。
 
 最初に撮影した作品は小さな頭部像で、縄文後期のものだと小川は言う。
注意深く紙の上に置いてから、求める光の効果が得られるように多数の照明と鏡を数分間かけて慎重に調整した。突然、なんの変哲もない粘土の塊が生き生きとし始める。陰影が堂々とした額と真直ぐな鼻を際立たせる。
二番目の作品は実際には二個あって、両方とも小立像の半身だが、小川は写真を撮るために再構築することに決めた。
 
「これはこのように二つに割れた状態で発掘されたので、考古学者にとっては壊れたまま展示されることが大事です。しかし私にとっては、壊れた遺品としてではなく、実際の生活でどのようであったかを再現することが大切なことなのです」
 
そのために小川は道具箱の中の針金枠を探すことになる。その針金枠は木製の底板にくっついていて、小立像が枠からはみ出ないよう支えるために曲げてあった。
「博物館から遺物の図形を前もって送ってもらって、それら特注の針金枠をあらかじめ作ることが出来るようにしています」
 小川は、慎重に立像の一部と他の部分とのバランスをとり、両者とも針金枠にもたれかかせて、それから両手を手前に引いて机を軽く数回叩いた。小立像は全く動かなかった。
「倒れないようにする一番いいやり方はこれなんですよ」と再度、照明を調節しながら言った。
(下の写真:「縄文美術館」より転載 スリットカメラで撮影)
 
特急列車でのある出来事とスリットカメラとして知られる独創的な撮影装置を経て、小川は縄文の世界に入る事になった。報道雑誌の写真記者として仕事をしていた1980年代初期、友人から本の企画に使うための列車撮影の相談を受けた。
 
「いわゆるブルートレインブームと呼ばれた時代のまっただ中で、列車とりわけJRの寝台特急ブルートレインが子供たちの間で流行っていました。スリットカメラを使えば列車全体が撮影できることを提案しました」
普通のフィルムカメラと違って、たぐい稀なその装置には縦長の狭い隙間があり、その後ろでシャッターが開いている間にフィルムが一定速度で通過する。カメラ自体あるいは被写体がフィルムが通り抜ける間動かなければ、その被写体全体が一連の連続写真として描写される。
 
小川のアイディアは、一つの画像の中に長い列車全体を描写し、それを蛇のように長く折りたたみ綴じ込みページに印刷することであった。きっと大勢の若い鉄道ファンをわくわくさせるだろうと想像した。そのとおりになった。
「その仕事は本当に忙しかったですよ」 
高さ15cmx長さ100cmの綴じ込みページを広げながら彼は笑った。
 
問題は、そのプロジェクトが終了したあとだった。スリットカメラを使う機会があまりなかったので、違う視点から考えてみた結果、列車のような長い物から壺のような丸い物へと小川の関心が移ることとなった。被写体を回転させて写真を撮れば、その外周全体がひとつの画像の中にとらえられるのである。
 
「最初はギリシャの飾り壺のようなものを試してみましたが、すぐに縄文土器の魅力にひきつけられました。その装飾はどの部分をとっても同じでなかったし、とても深いものを持っているように感じました」  
 縄文土器は土偶装飾小立像に加えて、派手に装飾された巨大な壺や水差しで知られている。小川は、早速どのようにして撮影するか実験を始めた。そして驚いたことに、考古学団体の反応が極めて好意的である事を知った。
 
「これまで縄文土器の全周の鮮明な写真を撮ることに成功した人はいませんでした。これほど鮮明に全部の模様を見ることが出来るということが、土器研究を本当の意味で前進させました」と山梨県甲府市教育委員会所属の考古学者の小野正文は説明する。
 最初は回転盤の上に撮影する被写体を置いて試したが、そのような方法は学芸員や収集家たちに不安感を与えていたことに小川は気がついた。彼は撮影する被写体を安全に設置できる中央固定台座とその周囲をカメラが回転する仕掛け装置を考案した。
 
 長野県塩尻市立平出博物館での撮影中に、ジャパンタイムス記者に小川が実演して見せた時、その極めて独創的な特徴は、カメラが被写体の周りを回る事ではなく、カメラと鏡と白い背景板全部が被写体の周りを回転し、それぞれが中央にある被写体との正三角形の頂点に位置するというやり方だということがわかった。
 カメラは被写体そのものを狙っているのではなく、鏡に映った影像を狙っている。そうすることによってカメラと被写体により長い距離を確保することができ、よって大きな被写体でもフレームの中におさまるようになる。
また背景板の配置に関しても、常に鏡に映っている被写体の背後にくるようになっている。一方でカメラと一緒に回転するのは照明装置である。
 したがって、カメラとライトが被写体の周りを回っている時、カメラが実際にとらえている狭い点はどの瞬間でも常に同じ角度で照らされていることになる。
「その結果、写真の幅全体に対していつも同じ長さの陰になるんです」と少々困惑している質問者に小川は説明する。その画像は装飾の各部分の奥行がすぐに分かるので、被写体の詳細な研究のためにとても貴重であることをつけ加えた。
 

現役早稲田祭展が開催されます

今年も11/2(土)、3(日)10-17時に早稲田祭展が開催されます。

早大写真部は現在、早稲田大学で4つある写真サークルのなかで一番熱心に活動を行っていて、他大学の写真サークルも注目したくさん来場するそうです。

ぜひOBのかたも一度現在の大学写真部の作品を見にいってあげてください。平3卒増田

 

 

 

現役新人展を見て?平3卒・増田 智+昭45卒・白谷達也

◎現役新人展を見て?平3卒増田 智

 

昨年も新人展を拝見しましたが、まず初めに感じたのは今回は全体に絵作りができているということでした。

それぞれが個性があるのはもちろん、全体に安定しています。

聞くと新人のTくんがまとめ役となって今回の新人展を仕切ったとのことでした。

彼は今回、唯一銀塩写真でモノクロの「光線」を出品していました。

小中高と写真をやっていただけあって自分なりのスタイルがあり、今後早大写真部でどんな写真を撮るのか楽しみです。

他には展示を工夫して今回インパクトが一番あった「Two colors of world」  は訳すと世の中は二色でできているということでしょうか、写真の一つのアプローチとしてはおもしろいですね。

「夏の後ろ姿」「没頭」は撮影者のそのとき思った空気感がでていてよいですね。

「安芸の暮夜」も視点を変えた三枚の写真構成でバランスがよいですね。

今回の新人が次回の早稲田祭でどう変わっていくか、変わらないか期待しています 

 

「Two colors of world」

「光線」

  

「夏の後ろ姿」                       「没頭」

    

「安芸の暮夜」

 

◎新人展を見て?昭和45卒・白谷達也

 学年を問わず前年度に入部した新入部員の初めての写真展ということでした。写真経験の豊富な人から初心者までの作品が並んでいたようですが、第一印象は「まとまり過ぎでは」と言ったところでしょうか。確かにこりゃあ酷い、よくこんなものを展示したもんだ、という写真はありませんでした。

欲を言えば、初心者には初々しく粗削りだがワイルドでビックリするような作品を期待したいところですし、経験者にはそれなりの経験に裏打ちされた作品を期待したかったかな???。

「祭りの後」

 祭りが終わった後の静かなゆったりとした感じが良く出ています。海中に大人4人、波打ち際に子どもが1人。斜めの波が画面を引き締めていて、向こうからは新しい波がやってきていて画面に動きを作り出しています。良いシャッターチャンスと言えましょう。好きな作品でした。

「遭遇」

 何かに遭遇した猫の目と姿態に緊張感が溢れています。ピントは目にガッチリ来ていて、ストレートで好感の持てる作品。

「Les Amoureux」

 映画の1シーンのような、「絵に描いたような」感じの作品で、それはそれでロマンチックなんですが、やや予定調和に過ぎるのかもしれません。何だかいつか見たことのあるシーンだなって感じですね。撮り慣れているようなので、胸がキュンッとするような作品を期待します。