大隈講堂は工事中

あの馴染み深い大隈講堂の姿が今は見られません。4月17日—8月2日まで、大隈講堂は鐘楼部の修繕工事中です。

ここで私事ですが、現在、5年任期の非常勤嘱託専門職員として、週三日間、母校の演劇博物館で仕事をしています。コロナ禍でそれまで編集部員として働いていた月刊のカメラ誌が2020年に休刊。同時に編集部も解散となり、業務委託の立場だった私は仕事が無くなってしまいました。(その際のいきさつはこちら

もちろん、フリーのカメラマンの仕事など、その時期には全くなくなってしまいました。とはいっても、無収入ではいられないので色々と職を探していたところ、たまたまデジタル関係職種の公募で演劇博物館の仕事を見つけ、応募したところ採用となりました。4年間通った大学を卒業して30年。再び母校に舞い戻り、今度は職員として60歳過ぎまでの5年間を早稲田で過ごすことになりました。以来、勤め始めて、はや4年生となり、残る任期はあと1年半と少しとなりました。

演博での仕事は、主に館蔵デジタルデータの維持管理と、館内展示や収蔵品の撮影、館主催イベントの動画撮影・編集などです。この4月からは仕事が増え、科研費や文化庁などの外部予算による事業の管理なども担当することになり、管理的な仕事が多くなってきています。非常勤嘱託とはいえ、5年生にもなるとややこしいペーパーワークが多くなってきて気の重い日々。管理職として身を削っていたサラリーマン時代が思い出されます。

ところで、演博や早稲田大学に限らず、昨今の大学の教職員はほとんどが任期付きです。これは、政府が打ち出した非正規雇用の長期化を防ぐための政策が裏目に出ている現状に他ならず、任期付き教職員の「雇い止め」続出で導入当初は大問題になっていました。このような事態を招いた国の労働施策はまさに「ザル」でしかなく、多くの若い人々を経済的に不安定な状況に追い込み、この国を衰亡の淵に導いた者たちの罪は非常に重いと感じています(これもアベの政策でしたかね)。

参考:
https://www.bengo4.com/c_5/n_3989/
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/189/yousi/yo1893037.htm
https://dot.asahi.com/articles/-/107337?page=1
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/295bc6650ac064a2efe0e4e69a23e77337dc63ed

助手や助教などの研究員は3年を超えて同じ部門には居られません。常勤・非常勤の嘱託職員の年限は5年で、同じ部門での再任はできません。専任職員(いわゆる正社員)も、ほぼ5年で転属になります。実務の多くを担っていただいている派遣職員は3年任期です。そのため演博でも常に人員の入れ替えがあり、学芸員や研究員も任期付きなので、専門的な知識がついた頃に館を離れざるを得ず、専門博物館として社会の期待に応えられる人材が不足しているという状況があります。

しかしながら、このような雇用環境のもとで実際に勤めてみてわかったのは、功罪の両面があったことです。

功の一面として挙げられるのは、人材が流動的になる点です。演博経験者が他の施設・団体に移ることで、外とのネットワークが自然と出来上がってくるのです。演博で数年間務めた人が他の施設でまた働く。逆に、他の博物館で働いていた人が演博で働き始める。その繰り返しで、演博経験者が社会に多く出て、さらに外でまた大きくなってゆく、という機会が出来上がってきているのです。まさに校歌にある『集まり参じて人は変われど、あおぐは同じき理想の光』です。

さて、私の任期もあと1年半あまり。私の後任者や演博を愛してくれる人々、そして来る2028年に創立100周年を迎える演劇博物館に、私は何を残してあげられるでしょうか。(了)

或る休刊カメラ誌の編集部員が見たコロナ禍

投稿:1990年(平成2年)政経卒 金城正道

昨年の6月から、ある老舗の月刊カメラ誌の編集部で業務委託契約の編集部員として働くことになった。撮りためた写真を持って写真家として売り込みに行ったのがきっかけで、編集長から「ウチでしばらくワラジを脱いでみませんか?」というお誘いだった。それから、月刊の本誌の特集記事や月例フォトコン、別冊付録などの編集を担当し、並行して同誌のWebメディアの記事更新も行った。忙しくはあったが、自由に働くことができてやり甲斐もあった。54歳のオールド・ルーキーとしての働きは、自身ではそう悪くないと感じていた。

しかし、カメラ誌の黄金期は過ぎていた。2000年から数年の間、一眼レフカメラのデジタルシフト>市場浸透と共にピークを迎え、その後は国内市場の飽和、Webメディアの台頭と共に徐々に部数を落としていった。カメラのミラーレス化で市場は広がるかと思われたが、スマートフォンにより市場は蚕食され、ミラーレスに賭けるカメラ業界の思惑が外れそうな気配の中、コロナショックが襲った。

編集部に出入りする写真家・カメラマンたちのショックは、2月の末に予定されていたCP+2020の開催中止から始まった。例年のCP+の“密”な状況を知る者たちからは「このまま開催するの?」「無理でしょ」という声がすでに聞こえ始めていたが、出展社の準備はかなり進んでいるのを知っていた。だから、編集中の本誌の特集は「CP+2020直前スペシャル『この話はメーカーに訊いたんだよ!』謎の新製品」というもの。日々明らかになりつつある新型コロナの報道に「やばいなー」と思いながら編集長に「このまま進めてダイジョブすか?」と確認し「OKオーケー!」というのでそのまま進めた。そして校了後の2月14日にCP+2020の中止が発表された。20日の本誌発売時には、すでに中止の決まったイベントになってしまった。

私がまとめた16ページのスペシャル記事は“幻のCP+2020”となった。私にとっては「アッチャー…」で済んだが、その発表と共に、写真家たちから不安の声と悲鳴が聞こえてきた。いずれも、メーカーブースのステージに登壇予定だったり、イベント参加など何らかの形でCP+に参画するはずの人々だった。

写真:幻のCP+2020。やっちまったスペシャル記事

引き波

出展の主体だった各カメラメーカーの国内販社は、CP+2020の中止を皮切りに様々なイベントを中止し、ギャラリー、ショールーム、セミナー、スクールを休止した。関係の写真家は一斉に仕事が無くなってしまった。

実は、カメラ誌をはじめとする写真関連のメディアのギャラは非常に安い。写真家はメディアへの寄稿は宣伝と割り切って、そこで得た知名度や影響力を武器に、ギャラの高いメーカーや一般企業の仕事を得てはじめてペイするビジネスモデルになっている。CP+の開催中止で、年間に得るはずだった大半のギャラを失った写真家もいる。事態は深刻だ。

一方、出展するはずだったメーカーも直前まで準備を進めていたから、莫大な損失を被ったはずだ。出展の担当者は後始末にさぞ大変な目に遭ったに違いない(私は、過去25年間にわたってレンズメーカーでCP+とその前身の日本カメラショーの出展に直接関わっていたので、その苦労は容易に想像できる)。

受難

カメラ誌の収益も、メーカーの広告出稿によるところが大きい。出版不況による部数減に追い打ちをかけるように、コロナにやられてメーカー各社は広告を引き上げざるを得なくなった。各誌の台所はどこも、おそらくとても厳しい状況に違いない。私のいたカメラ誌は、5月20日に発売が予定されていた「6月号」の編集の真っただ中で突然休刊が決まった。

休刊の詳しい経緯は聞かされていないが、赤字必至の本をこのまま刷るわけにはいかないという経営判断があったものと推察している。全国的に書店が閉店していて刷っても売る場所がなかったのかもしれない。また、コロナ禍で大きな痛手を受けたメーカーが広告を引き揚げてしまったのがトドメだったかもしれない。創刊から42年。500号続いたカメラ誌のサドンデス。カジュアルでイージーに読み流せる軽みがウリだった愛すべきそのカメラ誌は、コロナにやられた。

写真:2020年5月号をもって突然の休刊となった。奥付には次号の予告も掲載されている。

ラスト

以下の引用は、結果的に最後となった私の編集後記。まさか、創刊時の高校生の頃からの読者だった自分が、そのラストメンバーの一人になるとは思いもしなかった。

うりゃ!キンちゃんデス。コロナ禍で非常事態宣言下にあるここ新橋の編集部でも、ヒシヒシとその不気味さを感じているところです。編集作業の半分以上は元々リモートワークですが、写真プリントや送付物を扱う作業、校了業務はリモートではできません。よって電車に。また、プロカメラマンの方々は仕事がほぼ無くなっている状態で、キンちゃんも他人事では無いと感じています。健康の危機と経済的な危機。新コロめ!負けないぞ!お前なんかこうだ!鉄拳 (金城)  *4月10日記

そして、本誌の休刊とともに私は編集部を離れることになった。

全国的に移動の自粛を求められる中、写真家たちも撮影ができなくなってしまった。企業からの撮影仕事もキャンセルになった。個人で催していたワークショップ・写真教室も自粛した。スクールフォトを副業にしていた連中は、学校の休校や保育園の閉鎖で撮影が無くなった。写真展も中止になった。そんな中で、彼らの間でいち早く流行ったのがオンライン飲み会だった。

どうやら、CP+のキャンセルの穴埋めにメーカーが用意してくれたオンラインイベント(動画配信など)の打合せに使ったテレビ会議システムが面白かったようだ。“飲む”システムは「Zoom」が定番らしい。「せっかく編集者になったのに残念だったね」と誰かに慰められたが、契約であと2ヶ月分のギャラがまだ入る予定の私は複雑な気分だった。なかには2月以降全くギャラが入ってこない御仁もいたのだ。

思うこと

2年前に会社員を辞め、写真を“なりわい”にしようと続けてきたが、ここへきて思うのは『写真は職業として成立し難い時代に来たのではないか』ということ。

一つの例だが、スクールフォト(学校写真)と呼ばれる分野をご存知だろうか。かつては営業写真館のドル箱だったが、今やネットでカメラマンを集めネットで保護者に写真を売るという、Webとクラウドを操るIT事業者が中心の業態だ。そこで何が起きているのか。実体験と取材から見えてきたのは、Webシステムを運営するIT事業者によるカメラマンからの搾取と、保護者の写真離れだ。

IT事業者は、素人に近い若いカメラマンをネットで大勢集め、驚くほど安いギャラで学校に派遣し撮影させる一方、自らは保護者への写真プリント販売で稼ぐ。そのビジネス自体は写真館の時代からあるものだが、問題はギャラの低下だ。決定的な失敗無く誰でも撮れるカメラが巷にあふれ、参入障壁が低くなったカメラマン市場に安いギャラも甘受し得る副業カメラマンが数多く入ってきた。彼らの行動や手配を束ねるIT事業者は、中間搾取でそれなりの儲けを得たはずだ。

一方、未熟でコミュニケーションの拙いカメラマンや、クレームを恐れる事業者の指示で“つまらない写真”ばかり撮らされるせいで、保護者は業者の学校写真を買わなくなるという事態も起きている。もう保護者は自分で撮るのだ。保育士も自分で撮るのだ。業者が撮る写真は買わない。

実際に派遣カメラマンとして学校や保育園の行事の現場に出てみると、“自分が求められていない”ことに気づく。保護者のするどい目線。「どけ」「邪魔だ」「いい位置を独占して」などなど。30年前に経験した現場に比べると、大変なプレッシャーだ。保育園で保護者が立ち入れない日常保育の様子を撮影する際には、外部の人間を警戒する保育士のブロックを受けることもある。実は私も保育士の資格を持っているので彼らの気持ちはよくわかる。当然そんな状況ではおざなりな写真しか撮れない。そして、保育園に通う子を持つ保護者としての私自身の目からも、担任の保育士が撮る写真のほうが実際にいい。いきいきとした子供の様子がよく写っている。あるときから私の妻は、業者の写真をほとんど買わなくなった。

同じような搾取と仕事の質の低下は、写真だけではなく様々な業種で起こっているようだ。一般にクラウドワークと呼ばれるネット上で仕事の募集や応募を行うマッチングサイトの中でそれは起きている。具体的には、Webの記事を書くライターの仕事に見られる。問題はギャラの相場があまりにも安いこと。誰にでも始められそうな仕事ゆえの“たたき合い”が起きている。募集の内容を見ると、発注元から送られてくるどこかの資料を参考に記事をまとめ上げるような仕事だ。Webニュースでよくお目にかかる中身の乏しい記事は、おそらくこんな仕組みで作られているのかもしれない。Web移行やリモート化がさらに進むとされるアフターコロナの世界。先が思いやられる。

さいごに

コロナの本当の怖さはこれから来る。物流と人の流れにブレーキがかかり、世界中が不況に襲われ中小だけなく大企業も次々に吹っ飛ぶ。大量失業で有り得ない額の財政出動を余儀なくされる国家経済は、インフレやデフォルトで金融システムを破壊する。途方もなく悲観的で先の見えない状況が、おそらくしばらくの間世界中を覆う。自分や家族を守り貧困に陥らないようにするには、これからどんな仕事をすれば良いのだろう。今、真綿で首を絞められつつあるような緩さとあたたかさの中で、もがくように考え続けている。そして『もう写真では食っていけない!』とつぶやく。ふん! 何をいまさら。

4月15日。人影が消える午後3時の新橋駅銀座線乗り場行き通路。背中はSL広場! この前の週も同じような光景を見た。もちろんパラパラ人は通るが、こんな瞬間もしょっちゅう平気で現れた。

「第14回写真の早慶戦」パーティーのエール交換(動画あり)2019.10.19

早慶の現役生に受付を手伝ってもらいました。

「稲門写真クラブ」白谷代表幹事(昭和45卒)による挨拶です。

「稲門写真クラブ」参加者中最年長の稲村さん(左)と「三田写真会」の小森さん(右)(共に昭和31卒)が乾杯の音頭をとってくれました。

「稲門写真クラブ」菊池さん(昭和42卒)から途中開票結果の講評です。

「三田写真会」の乾さんがエール交換をしてくれました。(冒頭の動画です。)ハーモニカ演奏は「稲門写真クラブ」庄村さん(昭和38卒)です。

稲門関係者44名、三田関係者30名で久しぶりに「都の西北」「若き血」を歌い、大いに盛り上がりました。

現役椿季展にいってきました。

春暖の候、過ごしやすい季節になりました。

本日は早稲田大学写真部「椿季展」にお越しいただき、誠にありがとうございます。

この椿季展は毎年3月に行われ、卒業生3名を含む卒展として開催しております。入念に部員たちが準備を進め、試行錯誤を重ねた作品をご覧いただけますと幸いです。

本日はどうぞごゆっくりお楽しみください。

2018年3月20日

早稲田大学写真部部員一同

 

・卒業生K.Kくんの作品

今回も鉄道のある風景です。夕方の黄昏どきのどこか優しさが感じられる作品でした。それにしても彼の写真は湘南に夏に飛来するアオバトの写真が印象深いです。

英国で撮影されたようです。良い海風を感じることができました。プリントにやや難があるように見えました。

shade

shape

・卒業生K.Yくんの作品

1年生から一貫したスタイルで追ってきたテーマの集大成でした。このまま撮り続けていってほしいですね。6?6でフィルム撮影してスキャンしてデータ化してプリントするといった我々の時代では考えられない方法で制作しています。

毎度、なんとも言えない作品になっています。植物の隙間の一点に合焦していました。ボケた植物の感じが何とも不思議な世界を展開していました。

すきま

・Tさんの作品

何気ない風景ですがTさんの感性で作品になっていると思います。いつもカメラを持ち歩いていないと撮れない写真ですね。自分の感性を大切にしてほしいです。

不思議な色合いでした。思ったプリントにするために紙選びからやったそうです。それは成功しているな〜と思いました。

無題

・Wくんの作品

車からのバックファイヤーに焦点を絞って撮影したショットは1500カットだそうです。執念なくして撮れませんね。この日はトータルで6000ショット撮ったそうです。セレクトは地獄ですね。

マニアックな1カットですね。地獄のセレクト作業などにも若さを感じました。レーシングカーのマフラーが出ている場所を初めて知りました。ご苦労さん!!

Explode

・Tくんの作品

最近はシャドー部をいかに調子を残しより黒に近づけていくかにこだわって制作してるようです。インクジェット紙もいろいろ試している様子。会場の照明ではつぶれてしまい残念でした。

いつものとうりフランスで撮影されたものだと思っていましたが、蒲田での撮影でした。パリから蒲田への移動に?非凡さ?を感じました。この間まで、「Tくんもプリントが上手になった〜」と思っていたのに、今回、ちっとも上達していないことが判りました。精進!精進!!

Does he dream of monochrome?

La ville en creux

歴代の幹事長が3名そろいましたので写真を撮りました。前代表の鈴木文武さんが現役生のもとに足しげく通い、OBと現役生の関係復活を志され、ずいぶんたったのを実感しました。

今回の「椿季展」は、折角「WPS」OBの関根 史さんが店主の「ふげん社」ギャラリーでの開催だったのにちょっと低調で寂しかったけど、毎回メンバーが変わるから仕方ないか。強い写真で年寄りにショックを与えて、年寄りに元気を与えてください。

2017年 「早稲田祭展合評会」報告 

 今回は、昭和63年卒の木内格志さん(富士写真フィルム)の協力をいただき、写真家の元田敬三さんをお迎えしての合評会になりました。元田さんの講評(青字部分)をお伝えします。

◎2017年11月19日 早稲田大学写真部の写真講評会を終えて。

 1枚の写真で何かを語る写真もあれば、複数枚の写真の束として見せる写真もあり、とても見応えのある写真ばかりで、ついついお話が盛り上がり濃密な数時間でした。みなさん、画作りだけではなく、自分のアイデンティティーを大切にし、『自分とは何者なのか?』という永遠の問いに真剣に向かわれている感じにとても共感しました。

 単写真の場合は一枚の爆発力がとても大切で、論理ではなく、その写真の前に立つと自分が後ろにのけぞってしまうような『写真の強度』を持つことが大切です。徹底的に美しかったり、被写体が猛烈に素晴らしかったり、構図が完璧だったりという風に。組み写真は、水増しせずにしっかりと見せたい写真だけを的確にセレクトし見せることです。それには自分の写真を言語化しなければならず、タイトルやキャプションが決まるとセレクトも決まってきます。論理的に言語化したり、直感で言葉が飛び込んで来たりといろんなケースがありますが、感覚やなんとなく好きだからという理由で選んではいけません。

 また写真とは画であると同時に、(撮影時には)『行為』でもあります。
撮影する時は「撮らせてもらっている」ということを、いつも忘れずに謙虚に且つ大胆に。相手が人でもモノでも風景でもしっかり踏み込む事が大切です。撮りたい距離やタイミングや構図で撮らなければうまくいきません。路上でのスナップショットでも、歩いていて撮影する瞬間は一瞬でも静止して、ファインダーをしっかり覗いて瞬時に構図を決定することが必要です。また人物を撮る場合は、相手も人間ですので、仕草や目線や時には挨拶を交えてコミュ二ケーションすることも必要かと思います。その人との距離感や仕草のパターンを自分なりに作る、意識するとそれほど難しいことではないと思います。

上記が講評時にお話したことです。
自分が撮った写真にはいつもその時の自分が写っています。
自分に嘘をついていないか?
被写体にしっかりと正面から向かえているか?
写真とは未来の自分への手紙です。

 最後に、写真サイズや紙選び、余白の取り方などは頭で考えずにまずはやってみるしかないです。
常にああでもないこうでもないと、手を身体を動かして実践し続けてください。

次回お会いするのを楽しみにしています。

                                    元田敬三

 合評会は元田作品を見ることから始まった。元田さんはデジタルと乳剤のプリントを持ってきて下さり、以下のことなどについて柔らかい関西弁で熱く語っていただいた。

 撮影する時、人物と背景については十分考えること、いろんな物を入れ込んで街が写っているような写真にしたいこと、レンズは35ミリが基本であること、日中でもストロボを使うこと、露出は3、4段オーバー露出で撮ること、従って暗室作業が大変なこと、撮ったら必ずプリントして見ること、写真を言葉にすること、キーワードが浮かぶとセレクトが可能になること、写真を始めて人生が変わって、始める前の記憶はほとんど無いとのこと、などについて語った。

 元田さんと写真との関係が抜き差しならないもののように感じた。

★Sさんの写真

 たくさんの写真が並べられた。韓国で、熊本で、東北で、東京で撮られたものがあった。 元田さんは「面白い写真」と「撮らされている写真」に分けて厳しいアドバイスを送った。

・元田さんが【おもしろい写真】としたもの。

・元田さんが【撮らされている写真】としたもの。

 以上は韓国で撮られたもので、下は被災後の熊本(撮影者の故郷)で撮られたもの。

 私は震災後二日三日後に熊本へ入った(慌ただしかったので正確にいつかは記録が無い)。当時熊本空港は閉鎖されていたため、福岡空港に降り立ち、その後陸路で熊本まで南下した。途中の道は大変混雑しており、六時間ほどかかった。

 実家に到着時、電気は既に復旧しガスはプロパンであったため使えたが、水道は復旧していなかった(我が家の水道がまともに稼働し始めたのは本震から5日ほど過ぎたころであった)。

 家の応急修理や食糧確保に5日ほど費やした後、初めて家屋の倒壊など被害が大きかった益城町へ足を運んだ。町の中心地区は正にがれきの山と化していた。

 その後断層が地表に露出した地区へ向かった。田んぼに亀裂が走る光景を目にし、言葉を失う。非現実的光景で性質の悪い理科実験にさえ見えた。撮影以外出来ることが無いのでシャッターを押した。

 その後GW手前まで熊本に滞在していたわけだが、心残りなことがある。

 私は当時(今も、だが)未熟で物的被害や写真にする際にインパクトが強いものにばかり目を向け人の心に寄り添うことを理解していなかった。校区の中学校は一時避難所になっていたのにもかかわらず、足を運ばなかった。もし、あの時足を運べば、と後悔の念に堪えない。恐らく今後一生。

 さて、その後の復興だが、2017年夏に復旧した阿蘇へのルートの一つ、長陽大橋など道路の復旧や、倒壊した家屋の片付けなど“目に見える範囲”では確実に復興が進んでいる。観光客など一時滞在の方には復旧は順調に進んでいるように見えるはずだ。今後は仮設住宅からの転居や、心理的ダメージの療養など解決に時間を要する問題が更に顕著化するだろう。インフラの復旧などは見栄えがいいが、こうした問題に向き合わないと復興はありえない。

 取材の中でおじさん二人に怒りをぶつけられたことがあった。報道陣の取材に不満があるようで、これ見よがしに私に不満をぶつけてきた。最初は丁寧に応対していたのだが「他所者に何が分かるんだ!」と怒鳴られた際、私は少々イライラしてしまい「我が家も被害を受けましたが何か?」と言い返した。するとおじさん二人はしどろもどろになりどこかへ行ってしまった。後から思い返せば、やり場のない感情のはけ口を求めていた一面もあるだろう。しかし、あの被害を受けて感情を押し殺すなど土台無理な話である。そういった点も受け入れつつ取材する必要性を感じた。

 震災から一年半以上が過ぎ復興は道半ばではある。今後も現実に目を向け、時には寄り添い、時には客観的に取材を継続したいと思う。(S)

 産経新聞で被災地の連載するために現地に月に2、3回行ってて、いろいろ見たりして思い入れがすごいあるんですけど、この写真とかも判るけど簡単に撮ってしまっている。どういう立ち位置で写真撮るのか決めないといけないし、記録として撮るのか、作品を作る気持ちなのか、自分の意見とか、気持ちを入れるのか入れないのかとか、そのスタンスみたいなものが行ったり来たりしている。

 東北を撮影してて一番印象に残ってんのは、海沿い走ってたらおじいちゃんと女の子が散歩してて、向こうから話しかけてきて、女の子が3・11生まれやったんですよ。原発のすぐ近くの病院で生まれてて。それがきっかけになって、数ヶ月後に撮影させてもらったし、そういう出会いもあるし、現地の人と話して、実際生活している人の方がドンと来るから。

 熊本が地元なら話しかけて撮らなくっちゃ。知りたい、知りたい、教えてくれ、教えてくれ!!地元の熊本の写真にも人居てないもん・・・。

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★Fさんの写真 『見上げた先に』

 

 超広角14mmで撮られた見事な紅葉の写真。「樹の幹は明るくしないで黒くて良かった」との意見もあった。

 枝が血管みたい。肉眼を超えてて、すごいな〜と思いました。

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★F・cさんの写真 『みなもの鏡』

 

 不思議な写真だった。川に映った風景だそうだが、まるで鏡のような水面に先ず驚いた。

 何層にもレイヤーがかかっているみたいでおもしろい。もっと手前にいろんなものが入ってても良かった。手すりの色が紫で強い。

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★Tさんの写真

『馬堀海岸にて』この暗部が重たすぎるから、もうちょっと調子を出しても良いのかな。微妙に写ってる感じを残した方が良かった。風吹いてるし、動きもあるけど、少し待って見て車とか別の要素を入れることも考えて見ても良かった。

『朝ぼらけ』:月が無かったら、なんや不思議な感じがしておもしろい。宇宙っぽい。キャプション次第ではいろんな見せ方ができる写真。タイトルも皆んなが自由に見れるものにしたら良かった。

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★T・yさんの写真 『特別席』

 

 光も構図も良い。写真っぽい。色もキレイ。大きくして直接フレームにマウントしても良い。

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★Iさんの写真 『2017.08.01』

『2017.08.01』

 小ぶりの写真を4枚付けたことが「早稲田祭展」の時から話題だった。石巻の「日和山」の近くで撮られた作品。

 1枚でバシッと決まっているが、小ぶりの写真を同時に展示したのは、何かしよう、見てもらおうという姿勢が良い。象徴的でいろいろ考えが巡る。暗部の調子を出して、もっとフラットにしても良い。

これからも見続けるかどうかだね。

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★Nさんの写真

何だか黄色っぽい写真だった。フィリピンで撮られたもの。門構えに展示されていた。

『マニラ 線路脇に住む人々』:題材がメチャクチャおもしろい。あとは、やっぱり向こうの人を巻き込んで、これは若干こっち向いたりしてるけど、こんな感じで、もっと「撮ってるんだよ!!」ということを主張して、だんだん馴染んできて、皆んなにいろんなことをやらせるというか、相手を自分の撮影に巻き込んで行けば、すごいおもしろいんじゃないかな。やっぱり、ちょっと腰引けてるんじゃ無いかな。まだ行けそうな気がするけどね。

 先ず、仲良くなること。背景とか状況は完璧。後はこの人たちの在り方。一回OKしてもらうこと。1枚撮って、また、後で撮るとか。これは完璧に仕上げて欲しいな。撮れた!!って思うまでは図々しく行って欲しい。行ってるだけですごいけど、ちょっと淡白だった。もっと人間に興味をもって欲しくって、同じ人間だから。もう一回行ってくるしか無いね。

『釜ヶ崎 日雇い労働者の街』book

 『釜ヶ崎 日雇い労働者の街』:ぜんぜんちゃんと撮れてるやないですか。シッカリと向かい合って。よく見てる。取りたい距離で撮ってるし、人の顔見て撮ってるし。要らないことはしないというか自分の意思は抑えていて、ちょうど良い距離感!!

 僕も写真始めてから行くようになって、写真なんか撮れない雰囲気があって、覚悟して撮らないと撮れないし。

『crossing the moon』

 御見事!!

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★T・mさんの写真

『saint-denis』:インスタとかフェイスブックでは皆んなイイネしてくれるけど、本にした時はどうか?自分が撮った写真を自分が見てビックリしないとOKにはしないとか、自分にとっての驚きがない感じがする。自分がビックリした時心が動くから、それを見た人はもっと驚く。こう撮ればこうなるという上手い人が撮ったような写真。

『mon copin』

『mon copin』:人物撮る時に人物ほとんど見てなくて背景ばっかり見てて、その人の後ろに誰か居てないかなとか、逆にあの人が入ったら面白いから待つとか、背景と光には気をつけてる。行為として面白くて撮りたい人撮れたけど、後ろにこの人が居なかったらなとか、そういうのでボツにすることが多い。

旧市街の角で

『旧市街の角で』:これ、ネガアンダーでしょう。黒がどこにも無い。でも、素敵だけど。このユルイ感じも、カッコ良いけど。構図とかも。表情とか距離感はめちゃくちゃ良い感じだけど、もったいない。

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★I・kさんの写真 『つつじ畑で遊水を』

画像加工技術を駆使して水の波紋の「3D化」に挑戦したが、「大して面白く無い写真」とは撮影者の弁。

 デジタルのことは判らないんですが、どこが大変だったんですか?見せよう、見せようとしていることはわかるけど、限りなくいろいろやって、最終的なイメージがあるんでしょう?「大して面白くない写真」って言ったけど、人に見せる時に、それはどういう風に思うんですか?自由な発想で、もっと変なことして欲しいな。

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一旦中座したため、集合写真には写っていない木内さんも合流して、高田の馬場の中華飯屋での打ち上げ会は大いに盛り上がった。

首都圏大学対抗フォトマッチインターカレッジ2017にいってきました。H3卒増田 智

この競技は以下のルールで競い合う風景写真の団体戦です。

1.各大学5人1組のチームで
2.下記の期間と区域で撮影した作品の中から各自3枚を選び出しておく。
3.2チームが紅白に分かれ各1名ずつ2点の作品を司会の「オープン」のかけ声を合図に同時に教室のスクリーンに映写
4.3人のジャッジが「判定」のかけ声を合図に紅白の旗により一斉に判定
5.2本以上、自チームの旗色が上がった作品(選手)の勝利となる
6.判定直後、ジャッジはその場で2点の作品を講評する
7.この対戦を1人1ゲームずつ行い、5ゲーム中3ゲームを先勝したチームの勝利となり、トーナメントを勝ち進める。なお一度勝った作品は再利用できない。

まずは選手宣誓?のようなことが行われました。

まずは一回戦は早稲田対産業能率大学です。お互いの写真部の活動紹介をしました。

1チーム5名で写真を1点づつお互いに写していきます。

その都度審査員が旗を上げて判定が下ります。3勝したら勝ちです。

左が早稲田、右が産業能率大学。

審査員3名がセンターに座りプロジェクターに写真を写して数十秒後に旗を上げて判定。

早大写真部が2対1で勝ちました。

1チーム5名で写真を1点づつお互いに写していきます。

その都度審査員が旗を上げて判定が下ります。3勝したら勝ちです。

早稲田が勝ちました。メジロを見事にとらえた写真に審査員も舌を巻いてました。

産業能率大学が勝ちました。

早稲田が勝ちました。

勝利者インタビューのようなものもあります。

産業能率大学が勝ちました。

3勝2敗で早稲田が勝ち進みました。

2回戦

右が早稲田、左が工学院大学。

工学院大学の勝ち

工学院大学の勝ち

早稲田の勝ち

早稲田の勝ち

2勝2敗といい勝負でしたが、最後は早稲田が勝利しました。

休憩時間のあとに写真部OBの写真家の新納翔さん、いきなりコメントを求められるも素早く対応していました。さすがワークショップをたくさんやっているだけあります。写真集の紹介も忘れていません。

いよいよ決勝です。対戦相手は立教。交流もありよきライバルだそうです。

左が早稲田、右が立教。

立教の勝ち

立教の勝ち

立教の勝ち

早稲田の勝ち

早稲田の勝ち

2勝3敗で残念ながら立教の優勝で早稲田は2位でした。

Iくんは風景写真特別賞を受賞していました。

確かに彼の写真は今回、風景写真として目を引く秀作を連発していました。

新人展ミニ合評会 H3卒増田 智

現役の新人展に菊池さん(S42卒)宇野さん(S45卒)といってきました。

ミニ合評会には6人の新人と先輩部員数名が参加してくれました。

今回は作品がすごく多くて32人、49作品が展示されていました。

「夜明け」

新歓合宿で朝まで起きていたので、ふとカメラを持って外に出た時に偶然出会った風景。

朝日が昇る一瞬をとらえた写真、「写真はその場に遭遇する偶然性と最高の瞬間でシャッターを押せる感覚が大切だよね」

OBから褒められていました。

「観光/破壊」

迷走中なんです。それが新聞学科のHくんの第一声でした。確かに彼の他の写真をみるとふわっとしたイメージ写真やスナップとは違った方向を模索しているようでした。観光論として表現しているそうですが一点一点の写真の完成度を上げていくことを勧められていました。

「夢への帰り道」

「Pastel Window」

「 ココロ」

「かえりみち」

こちらも一瞬をとらえた情緒のある作品です。

自宅で外をみるときれいな夕焼け。急いでカメラを持ってシャッターを切ったそうです。

それゆえか写真がぶれています。「おしいね。」とみんなにいわれデータを確認すると2分の1秒で手持ちで撮ってました。

ぶれていない写真もあるものの「やはりこのカットがいい」となりました。

デジタルはフィルムと違い一瞬で何枚も撮れるけれど最高の一枚は一枚しか撮れないのでしょうね。

「 夏へ」

「Still dreamin」

ニュージーランドからきた彼の写真は独特の感覚がありました。

見せ方がわかっている印象でした。ブックをめくると淡々と進んでいく感覚でした。

「もっとたくさんみてみたいな」という意見がありました。

 

「静寂」

船が鳥居の真ん中にきたところで撮ったそうです。

いわゆる日の丸写真でそれゆえに絵に静寂感がでているのでしょう。

モノクロを選んだのも正解ですね。

OBからは「これはこれでいいけれどもう一工夫ほしいね」といわれていました。

「天網恢恢」

写真を始めたばかりで植物を主に撮っているそうです。

おもしろい切り取りかたと視点ですね。右下の枝は不要だったような気はします。

空がブルーから白くなっていくグラデーションも活きています。

「昼下がりの邂逅」

こちらも写真を始めたばかりだそうですが毎回思うのは新人ほど難しいタイトルだなーということです。

ハイキー調であるのとつぼみとがくの形のおもしろさがマッチしています。

現役七月展にいってきました。

ここ数年続いている現役生の写真展訪問です。今回の七月展は一年生から三年生まで出品していたのでバリエーションに富んだ作品鑑賞ができました。

現役七月展にOBの菊池さん(昭42卒)宇野さん(昭45卒)と私、増田(平3卒)で伺い現役生とともにミニ合評会をやりました。

OBと学生10名ほどで2時間も立ちっぱなしで話していました。

OBの先輩方お疲れさまでした。

 Sくんの作品 無題

カメラマンを目指しているという彼は1年生のときから毎回いろいろな撮影の試みをして我々を楽しませてくれます。

今回の路上でホームレスを撮った一枚は会場で一番目を引くものでした。

本人からは「最近面と向かって人を撮れなくなったんです。」だそうです。

シャッターを押すことの重さを感じているのかなと勝手に思ったりもしましたがOBからは好意的な意見とともに「傾けたりしないで水平のほうがよいのでは」、「もう少し下を入れたら」とか指摘されていました。

 Hさんの作品「晩餐」

非常に雰囲気のある写真でした。

サーブしている男性のシルエットをアクセントにして赤いカーテンを炎に見立てたという表現意図だそうです。

OB菊池さんは「これは絵画では思いつかない写真でしか表現できないものだね」と高評価でした。

◆ Iくんの作品 「surface」

 

水面に写ったツツジと亀が顔を出した波紋を表現したかったそうです。

OB菊池さんからはもう少し水面がきれいだったらよかったのではという感想でした。

本人いわく水面のゴミが目立ったのでマット紙にしたそうです。?

他の作品でも構図の完成度が高いと評価されつつも写真の優位性、目で見ているものとは違う瞬間ゆえの発見やおもしろさがあったらいいのではという意見もありました。

「DIVE」


「Sooth me」


◆ Tさんの作品 「喜怒哀楽」

 

新入生の作品です。

左上が喜、右上が怒、左上下が哀、右下が楽だそうです。

OBからは「哀」だけでいいのではという意見がありました。

OB宇野さんから「写真は言葉に置き換えてはいけない」と厳しい一言。

画家のイヴクラインのように青の世界にこだわって写真を撮ってみてもよいねと話していました。

 Tさんの作品 「色付け」

 

夕日に佇む女の子、その瞬間に感じるものがありシャッターを押したそうです。

引き潮の時間帯でまだ濡れた砂浜に反射する夕日のオレンジがとてもきれいです。現役生のIくんがもっと細長いトリミング、1:3くらいで切ったら面白いかもねといっていました。

確かに作品としての完成度は上がりそうですね。

試しにだいたい1:3でトリミングしてみました。ぐっと波が引き立ち人物が生きてきた気はします。

「傍観」

 

◆ Uくんの作品 「群像」

 

非常に完成度が高くてOBはみな驚き、こういう写真が少ないんだよねと喜んでいました。

すべてノーファインダーと思いきや、3、40パーセントはフレーミングしているそうです。

確かに影を意識した写真はシビアな構図でした。

被写体に肉薄した写真はすごく魅力的でした。

それゆえに今後この表現をどう発展させていくべきなのかといった意見もありました。

それにしてもこれからが楽しみです。

WPS『文芸祭展』に行ってきました。

幹事会メンバーなどOB5人で出かけました。

『文芸祭展』は初めてでした。

展示場所は二ヶ所に分かれていて、一ヶ所目は大隈講堂内でした。約50年ぶりに入りました。

『かわるもの』と『かわらないもの』

珍しく「報道系」の写真でした。熊本出身のSさんの作品でタイトルに工夫がみえました。

「同窓生に今の熊本の情況を知ってもらいたくて撮影したようですよ」と幹事長のIさんが教えてくれました。

『早稲田祭展』に展示された写真のトリミングとプリントを変えたものでした。

残念ながら悪くなったように思えました。

 

二ヶ所目の展示スペースです。照明は24時間ついているとのこと。

『薫風』

「てっちゃん」じゃない人にも受け止められる写真で、旅の空気感が心に沁みましたが、もう一工夫でしょうか。

人も撮りたいとのことでしたが、正面からはなかなか迫り辛いとのことでした。

「早稲田大学写真部員」を語って撮影許可を得ている人が居るそうです。写された人から大学に問い合わせがあって

幹事長が学生課に呼び出され、部員を語っている人が居ることが判ったそうです。

難しい世の中になったもんです。 

『けむり』

紙に拘ったという作品。いわゆる無光沢系アート紙でプリントしたものだそうです。

『La prunelle』

タイトルは『瞳』という意味だそうだ。フランスのサンドニで撮ったカット。

28mmf2.8開放でキッチリ瞳にピントが来ていて、この作者の一連の作品と通底している傑作。

二週間で一万枚撮った中の一枚。

「こういう写真を日本の田舎で撮ってください」とはOBのSさん。

よくモチーフになる名所ですが撮った時のことをまったく覚えていないとのこと。

帰宅後に発見した写真だが、ひょっとしたら誰かにカメラを使われたのかもしれないし、

自覚できないでいるもう一人の自分がいるのかも知れませんね。

『都会の空 故郷の星』

今住んでいる辺りの風景写真に、古里(栃木)の星を重ねた写真。

「記憶のレイヤー」のようで発想が面白いとはOBのUさん。

「タイトルに都会とあるけど、都会っぽくないな。いっそ、自分の部屋の天井にしたら」とはOBのSさん。

『静』

台湾の滝。「白黒で撮って一時間半ほどかけて水以外の部分を黒く潰して、少し色をかぶせた」とのこと。

すなわち、着色写真。作り込みに脱帽。達者なもんです。

展示数は少なかったのですが、なかなか見ごたえのある『文芸祭展』でした。

「撮り鉄早慶戦」@ふげん社でラジオ生中継

 本日から築地のコミュニケーションギャラリーふげん社で開催されている「撮り鉄早慶戦」を見に行ってきました。

すると、なにやら華やかで滑舌のいい賑やかな話し声が。表にはラジオカーらしき黄色い車も。ニッポン放送と書いてあります。記帳して写真を見ながら様子を伺っていると、やっぱりラジオの生中継でした。写真展の紹介です!

ニッポン放送アナウンサーの「ひろたみゆ紀」さんのリードで、早慶それぞれの代表の男の子が初々しく紹介していました。

ニッポン放送「ザ・ボイスそこまで言うか!」という番組の「街角ステーション噂を求めてどこまでも」というコーナーです。5月9日火曜日の午後4時50分頃の放送でした。radikoタイムフリーで一週間以内なら聴けるそうですので、ぜひ探してみて下さい!

放送直後のホッとしたところをスナップさせていただきました。

【1990年政経卒 金城正道】