昭和40年卒・小川忠博さんから写真展のお知らせ

みなさま

どうにか 一波 二波とやらの間で写真展を開催することができました。ただ、この波間の静けさもあやしい気配、ご来場いただくことが難しくなりそうです。
とりあえず、会場風景をお届けします。インクジェットプリントを使用し、最大2.4m×5.4mの壁面や2.4m×3.5mのバナープリントを使用して、額装なしで、160の写真展示をしてみました。
10月13日までの長い開催期間です。
波間を見計らってご覧いただければ幸いです。
小川忠博

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昭和60年卒・塩澤秀樹さんからのお便りです。

手前の熊の親子でソーシャルディスタンスを確保?

「次回『第15回写真の早慶戦』のテーマなどについて話をしたいし、今年秋に予定している自分の写真展についても相談したいので拙宅までお越しいただけまいか」
と三田写真会・「写真の早慶戦」担当であり早稲田大学商議員の小野隆彦さん(昭和49年卒)のお誘いを受け、緊急事態宣言が緩和されて間もない6月上旬に出掛けて行きました。

JR大森駅の改札口で、「稲門写真クラブ」幹事会の白谷代表、菊池副代表、常任幹事の福田さん、増田さんと私塩澤の5人で待ち合わせをしました。
駅から小野邸までの道中約15分強、多少のアップダウンがある道のりでしたが、早くも諸先輩方が鼻息荒く厳しい表情をされていらっしゃいました。もっと近くの駅で待ち合わせをすれば良かったかな?と思いやりが足らなかったことに早くも反省。それともコロナ下で体力、脚力が低下されたのでしょうか?先輩方にはいつまでもお若くお元気でいらしていただきたいと強く願いました。

豪邸でした。みごとな桜の樹に迎えられ、花の季節を想いました。
まずはシャンパンで乾杯!ビール、ブランデー、ウィスキー、日本酒、何でもござれ。北海道の厚岸からわざわざお取り寄せいただいた牡蠣をたらふくご馳走になり早くも宴会ムードです。自宅では絶対に味わえない贅沢な宴でした。小野御夫妻様、本当に有難うございました。

書斎では、今年2020年秋口から始まる小野さんの写真展「MIND YOUR STEP 脚下照顧」の作品をPC上で拝見しました。大きく拡大しても画像が荒れない某メーカーのカメラとレンズに一同驚愕しました。
宇宙船から地上にあるマッチ箱を撮影しても、文字が見えるというのもうなずけます。技術はとてつもなく進歩していたのですね。このように高性能なレンズとカメラを使用したら、女優の毛穴までハッキリ写ってしまうこと間違いなしです。困ったものです(笑)
そのような目を武器にした小野さんの旅写真を会場で拝見できることを心待ちにしております。

さて本題の2021年「写真の早慶戦」テーマの話ですが、「街歩き」「路地」「コロナ後の日常」などが候補に上がりました。現時点では「街歩き」が一歩先んじています。より一般的、汎用性の高いテーマに落ち着くことになるのでしょうか。
慶応サイドの意見調整も必要です。「非日常風景」など、昨今の新型コロナの拡大を受け日常生活がどのように変化したのか、などを表現するには相当な力量が必要とされます。プロ・アマ混合の早慶OB・OG写真部ですが、趣味的写真の愛好会、交流会であることを考え合わせると「無難なテーマ」の方が纏まりやすいのではないかと思われます。
「街歩き」でしたら全国の会員の皆さんにも参加していただけます。勿論、新型コロナとの共存以後の「日常性」を表現したい方は、腕を振るっていただければと勝手ながら思っています。

幹事でもない私がこのように申し上げるのも失礼かと思いますが、きっと収まりの良い方向にまとまっていくことでしょう。これぞと思うテーマを思いついた方は名乗りを上げていただきたいと思います。
個人的なことですが、気がつけば50代後半に突入しました。新型コロナで大打撃を受けつつも、まだ生き残っていることに感謝をし、できないことを嘆くよりも今できることに焦点を当てて、生き切りたいと思います。
OB・OGの皆さんと「第15回写真の早慶戦」で再会できることを楽しみにしております。

塩澤秀樹(写真家、昭和60年、第二文学部美術卒)

昭和44年卒・多久彰紀さんからのお便りです。 「不要不急老人の暇つぶし日記」

日本全国が新型コロナ自粛中の4月23日、以前勤めていた会社の後輩が私の住む野田市を訪ねてきました。

コロナ対策の一環として、ローテーションを組んで順番に有休を取らされているそうです。彼が言うには、それはいいとして、娘も在宅勤務となり、居間にPCを持ち込んでキーを叩いたりメールのやり取りしたりで落ち着かず、オヤジの居場所がなくなった。暇つぶしに会って話したいと、電車を敬遠して車でやって来ました。

当方元々暇な年金生活者だし大歓迎なのですが、話すといっても、なぜか野田の田舎にも最近相次いで出店したスタバやタリーズは休業中だし、ファミレスなんかに長時間居座ると白い目で見られそうだし・・・天気いいのでこの際清水公園へ行こうとなりました。施設はすべてコロナで閉鎖されていて、都内の公園と違って人が押しかけて密になることもありません。

園内の林の中に置かれたベンチの両端に座り、なんやらディスタンスを一応意識して話し始めました。話の半分は彼の仕事上の愚痴を含めた会社周辺のあれやこれやでした。話は生臭く俗臭ふんぷんとしていましたが、木漏れ日の下爽やかな風に吹かれながら緑に囲まれているだけで、とても気持ちよく癒される思いでした。
オッサン二人がよりによって公園のベンチで密談する羽目になったのは新型コロナのせいなのですが、一方で近頃感じることのなかった清々しさを得ることができたのは、逆にコロナのおかげと言えるかもしれません。途中近くのスーパーに昼飯のサンドイッチと飲み物を買いに行ったのを挟んで、4時間ほど話し込んで彼は引き上げていきました。

ちょうど新緑がきれいだったので、翌日カメラをぶら下げて園内を廻り写真を撮りました。
自粛生活の暇つぶしにでもご覧いただければ幸いです。

 

 

或る休刊カメラ誌の編集部員が見たコロナ禍

投稿:1990年(平成2年)政経卒 金城正道

昨年の6月から、ある老舗の月刊カメラ誌の編集部で業務委託契約の編集部員として働くことになった。撮りためた写真を持って写真家として売り込みに行ったのがきっかけで、編集長から「ウチでしばらくワラジを脱いでみませんか」という誘いだった。それから、月刊の本誌の特集記事や月例フォトコン、別冊付録などの編集を担当し、並行して同誌のWebメディアの記事更新も行った。忙しくはあったが、自由に働くことができてやり甲斐もあった。54歳のオールド・ルーキーとしての働きは、自身ではそう悪くないと感じていた。

しかし、カメラ誌の黄金期は過ぎていた。2000年から数年の間、一眼レフカメラのデジタルシフト>市場浸透と共にピークを迎え、その後は国内市場の飽和、Webメディアの台頭と共に徐々に部数を落としていった。カメラのミラーレス化で市場は広がるかと思われたが、スマートフォンにより市場は蚕食され、ミラーレスに賭けるカメラ業界の思惑が外れそうな気配の中、コロナショックが襲った。

編集部に出入りする写真家・カメラマンたちのショックは、2月の末に予定されていたCP+2020の開催中止から始まった。例年のCP+の“密”な状況を知る者たちからは「このまま開催するの?」「無理でしょ」という声がすでに聞こえ始めていたが、出展社の準備はかなり進んでいるのを知っていた。だから、編集中の本誌の特集は「CP+2020直前スペシャル『この話はメーカーに訊いたんだよ!』謎の新製品」というもの。日々明らかになりつつある新型コロナの報道に「やばいなー」と思いながら編集長に「このまま進めてダイジョブすか?」と確認し「OKオーケー!」というのでそのまま進めた。そして校了後の2月14日にCP+2020の中止が発表された。20日の本誌発売時には、すでに中止の決まったイベントになってしまった。

私がまとめた16ページのスペシャル記事は“幻のCP+2020”となった。私にとっては「アッチャー…」で済んだが、その発表と共に、写真家たちから不安の声とと悲鳴が聞こえてきた。いずれも、メーカーブースのステージに登壇予定だったり、イベント参加など何らかの形でCP+に参画するはずの人々だった。

写真:幻のCP+2020。やっちまったスペシャル記事

引き波

出展の主体だった各カメラメーカーの国内販社は、CP+2020の中止を皮切りに様々なイベントを中止し、ギャラリー、ショールーム、セミナー、スクールを休止した。関係の写真家は一斉に仕事が無くなってしまった。

実は、カメラ誌をはじめとする写真関連のメディアのギャラは非常に安い。写真家はメディアへの寄稿は宣伝と割り切って、そこで得た知名度や影響力を武器に、ギャラの高いメーカーや一般企業の仕事を得てはじめてペイするビジネスモデルになっている。CP+の開催中止で、年間に得るはずだった大半のギャラを失った写真家もいる。

一方、出展するはずだったメーカーも直前まで準備を進めていたから、莫大な損失を被ったはずだ。出展の担当者は後始末にさぞ大変な目に遭ったに違いない(私は、過去25年間にわたってレンズメーカーでCP+とその前身の日本カメラショーの出展に直接関わっていたので、その苦労は容易に想像できる)。

受難

カメラ誌の収益も、メーカーの広告出稿によるところが大きい。出版不況による部数減に追い打ちをかけるように、コロナにやられてメーカー各社は広告を引き上げざるを得なくなった。各誌の台所はどこも、おそらくとても厳しい状況に違いない。私のいたカメラ誌は、5月20日に発売が予定されていた「6月号」の編集の真っただ中で突然休刊が決まった。

詳しい経緯は聞かされていないが、赤字必至の本をこのまま刷るわけにはいかないという経営判断があったものと推察している。全国的に書店が閉店していて刷っても売る場所がなかったのかもしれないし、コロナ禍で大きな痛手を受けたメーカーが広告を引き揚げてしまったのがトドメだったかもしれない。創刊から42年。500号続いたカメラ誌のサドンデス。カジュアルでイージーに読み流せる軽みがウリだった愛すべきそのカメラ誌は、コロナにやられた。

写真:2020年5月号をもって突然の休刊となった。奥付には次号の予告も掲載されている。

ラスト

以下の引用は、結果的に最後となった私の編集後記。まさか、創刊時の高校生の頃からの読者だった自分が、そのラストメンバーの一人になるとは思いもしなかった。

うりゃ!キンちゃんデス。コロナ禍で非常事態宣言下にあるここ新橋の編集部でも、ヒシヒシとその不気味さを感じているところです。編集作業の半分以上は元々リモートワークですが、写真プリントや送付物を扱う作業、校了業務はリモートではできません。よって電車に。また、プロカメラマンの方々は仕事がほぼ無くなっている状態で、キンちゃんも他人事では無いと感じています。健康の危機と経済的な危機。新コロめ!負けないぞ!お前なんかこうだ!鉄拳 (金城)  *4月10日記

そして、本誌の休刊とともに私は編集部を離れることになった。

全国的に移動の自粛を求められる中、写真家たちも撮影ができなくなってしまった。企業からの撮影仕事もキャンセルになった。個人で催していたワークショップ・写真教室も自粛した。スクールフォトを副業にしていた連中は、学校の休校や保育園の閉鎖で撮影が無くなった。写真展も中止になった。そんな中で、彼らの間でいち早く流行ったのがオンライン飲み会だった。

どうやら、CP+のキャンセルの穴埋めにメーカーが用意してくれたオンラインイベント(動画配信など)の打合せに使ったテレビ会議システムが面白かったようだ。“飲む”システムは「Zoom」が定番らしい。「せっかく編集者になったのに残念だったね」と誰かに慰められたが、契約であと2ヶ月分のギャラがまだ入る予定の私は複雑な気分だった。なかには2月以降全くギャラが入ってこない御仁もいたのだ。

思うこと

2年前に会社員を辞め、写真を“なりわい”にしようと続けてきたが、ここへきて思うのは『写真は職業として成立し難い時代に来たのではないか』ということ。

一つの例だが、スクールフォト(学校写真)と呼ばれる分野をご存知だろう。かつては営業写真館のドル箱だったが、今やネットでカメラマンを集めネットで保護者に写真を売るというWebが中心の業態だ。そこで何が起きているのか。実体験と取材からわかったのは、Webシステムを運営するIT事業者によるカメラマンからの搾取と、保護者の写真離れだ。

IT事業者は、素人に近い若いカメラマンをネットで大勢集め驚くほど安いギャラで学校に派遣し撮影させる一方、自らは保護者への写真プリント販売で稼ぐ。そのビジネス自体は写真館の時代からあるものだが、問題は価格の低下だ。決定的な失敗無く誰でも撮れるカメラが世の中にあふれ、参入障壁が低くなったカメラマン市場に安いギャラも甘受し得る副業カメラマンが数多く入ってきた。彼らの行動や手配を束ねるIT事業者は、中間搾取でそれなりの儲けを得たはずだ。

一方、未熟なカメラマンや、クレームを恐れる事業者の指示通りに“つまらない”写真ばかり撮ってくるカメラマンのせいで、保護者は業者の学校写真を買わなくなるという事態も起きている。もう保護者は自分で撮るのだ。業者が撮る写真は買わない。

実際に派遣カメラマンとして学校行事の撮影をしてみると“自分が求められていない”ことに気づく。「どけ」「邪魔だ」「いい位置を独占して」などなど。30年前に経験した現場に比べると、大変なプレッシャーだ。保育園への派遣カメラマンとして保護者が立ち入れない日常保育の様子を撮影する際には、外部の人間を警戒する保育士のブロックを受けることもある。当然そんな状況ではおざなりな写真しか撮れない。そして実は、保育園に通う子を持つ保護者としての私自身の目からも、保育士が撮る写真のほうが実際にいい。いきいきとした子供の様子がよく写っている。私の妻は業者の写真をほとんど買わなくなった。

同じような搾取と仕事の質の低下は、写真だけではなく様々な業種で起こっているようだ。一般にクラウドワークと呼ばれるネット上で仕事の募集や応募を行うマッチングサイトの中でそれは起きている。具体的には、Webの記事を書くライターの仕事に見られる。問題はギャラの相場があまりにも安いこと。誰にでも始められそうな仕事ゆえの“たたき合い”が起きている。募集の内容を見ると、発注元から送られてくるどこかの資料を参考に記事をまとめ上げるような仕事だ。Webニュースでよくお目にかかる中身の乏しい記事は、おそらくこんな仕組みで作られているのかもしれない。Webやリモート化がさらに進むとされるアフターコロナの世界。先が思いやられる。

さいごに

コロナの本当の怖さはこれから来る。物流と人の流れにブレーキがかかり、世界中が不況に襲われ中小だけなく大企業も次々に吹っ飛ぶ。大量失業で有り得ない額の財政出動を余儀なくされる国家経済は、インフレやデフォルトで金融システムを破壊する。途方もなく悲観的で先の見えない状況が、おそらくしばらくの間世界中を覆う。自分や家族を守り貧困に陥らないようにするには、これからどんな仕事をすれば良いのだろう。今、真綿で首を絞められつつあるような緩さとあたたかさの中で、もがくように考え続けている。そして『もう写真では食っていけない!』とつぶやく。ふん! 何をいまさら。

写真:4月15日。人影が消える午後3時の新橋駅銀座線乗り場行き通路。背中はSL広場! この前の週も同じような光景を見た。もちろんパラパラ人は通るが、こんな瞬間もしょっちゅう平気で現れた。

昭和46年卒・倉田光一さんからのお便りです。「台湾と新型コロナ対策」

わが家のブロック塀に掲示板を設置して「マイギャラリー」と称して写真を掲示し、大体1か月半に1回更新しています。今回は「高雄暮色」のタイトルで台湾・高雄の写真を掲示しています。


台湾へは2017年から行きはじめて3回ほど行きました。台湾人に日本語を教え始め、彼らの故郷を見ようと思って行ったのですが、台湾の人々のやさしさに感動し嵌まった次第です。言葉はまったく通じなくても、道を聞くとそこまで連れて行ってくれたり、地下鉄で席を譲ってくれたりします。


今年も4月に行く予定でしたがこのコロナ禍のために行けなくなりました。台湾は新型コロナに対しては完璧に近い形で封鎖に成功しています。5月20日現在で感染者数440人、死者7名です。サーズなどの経験もあり水際対策が際立っています。中国全土からの入国禁止措置は2月6日でした。
韓国・ベトナムも同じように早かったようで、ベトナムの感染者318人、死者0人はもっと報道されてもいいと思われます。
台湾は現在学校も再開され外出禁止も順次解かれています。今後三段階で解除が進んでいくようです。中国を含め海外とも10月以降入国制限が解かれていくようですが、日本の防疫体制がどこまで信頼されるかは疑問です。早く自由に往来できるのを願っています。(写真は2017,18,19年撮影です)

昭和48年卒・稲山正人さんからのお便りです。「山には下手な言葉もマスクもいりません。」

自粛モードは山歩きにも及んでいます。
殆どの山歩きサークルが活動を自粛しています。
率直に言って誰もいない山を一人で歩くぐらいは許されるべきだと思います。
こんな風潮にもめげずに山登りに行くのは私のささやかな抵抗です。
山の木々、花、水音、鳥の囀りに囲まれるのは私の至福の時。
下界の煩わしさを忘れることができます。
そしてたまに出会う登山者と無言の挨拶を交わす。
これもまた最高のコミュニケーション。
山には下手な言葉もマスクもいりません。

新緑のブナ林

新緑に包まれる滝

4月の新雪

 

手製道標

麓の鎮守

コロナ自粛のなか高尾山を歩く 平3卒増田 智

緊急事態宣言後も高尾山に毎週登っています。夏に北アルプスを縦走する予定の身としてはこのトレーニングをコロナの影響でやめたくなかったからです。高尾は一時は少なくなった人もだんだん増えてきました。5/14現在出会った登山者はいつもの5分の1くらいでしょうか。コロナ自粛が始まったころは山ですれ違うひとのなかで感染するからなのか口を閉じてあいさつもしない人がけっこういましたが今は以前のようにあいさつもするようになりました。

18キロ、6時間の山行でした。

1100メートル登って、600メートル下りました。

リフトは休業、ケーブルは動いていますが乗客は一人か二人程度でした。

高尾山口駅から歩いていくといたるところに注意喚起のサインがあります。店舗も駅前の温泉も休業です。

今日はメジャールートの稲荷山コースを歩きます。他にはアスファルトで薬王院経由の1号路、沢沿いを歩く6号路とあります。

高尾山山頂まで1時間。山頂には4、5人いましたが茶屋は営業していませんでした。

富士山がきれい。

お地蔵さんもマスク

テーブルは使用禁止。

高尾山は縦走路が続いていて裏高尾と呼ばれています。小仏城山、景信山、明王峠、奈良子峠、陣馬山となります。

陣馬山を目指します。

もみじ台の茶屋も営業していませんが富士山は絶景でした。

ベンチの使用禁止は高尾山山頂だけのようです。

埼玉方面?

ここで山ごはん。ベーコンとブロッコリのペペロンチーノ。

陣馬山山頂に着きました。2名いました。

陣馬高原下バス停から高尾駅まで帰ります。他に1名いました。

昭和38年卒・辻 久男さんからのお便りです

doahonomicsとその一味に権力を持たせているのはわれら国民です。新コロナニュースと“エービーイーの面”は聞かない見ないことにして居ます。

以下の3種の情報はご存じかも知れませんがお役に立ちそうなので添付します。

でこのいやな空気を笑って吹き飛ばし、1のtipsで訳を知って自分の家族友をもまもり、で温故知新でもないが、先人の知力・知恵・気力を知る事が出来れば幸いなり。

466億円掛けて効き目無き汚れマスクが二枚送りつけられます。Oobakanomaskです“マスク7分の2”お富さん同様、サザエさんは生きています。

厚労省は不倫やヒラメ官僚跋扈ですから万事後手後手当然で、頼りに出来ません。今や抗議デモ大集会をアレンジしたいところだが叶いません。新コロナは特に年寄りを容赦しません、よって、三密《あん蜜、だん蜜、ひ密ょ》より何故、今どうすべきかがよく分かるジョンズホプキンス大のtips(‘65口分田君から入手)下に貼り付けますね。

『*ジョンズ・ホプキンズ大学:

メリーランド州ボルチモアに本部を置くアメリカの私立大学。1876年に設置。世界屈指の医学部を有するアメリカ最難関大学の一つ・・・(@ウイキペディア)』

<COVID−19の情報と予防>

1,ウイルスは生物ではありません。タンパク質の遺伝子(DNA)です。それが、油脂(油)の層に包まれています。眼球や口の中の粘膜に付着すると、細胞に侵入し、遺伝子情報をウイルスのものに書き換えます。その細胞が増殖することで、ウイルスは急激に増えます。

2,ウイルスは生物ではないので死にません。しかし、タンパク質の分子なので、破壊することができます。破壊方法は、温度と湿度、それとウイルスが付着している素材によります。ウイルスは薄い油脂に覆われただけの非常に壊れやすい物質です。

3,石鹸や消毒液で壊すことができます。石鹸の泡が脂質を切り裂きます。(だから、たっぷりの石鹸で20秒以上こすり洗いをする必要があるのです)油脂の層を溶かすことで、タンパク質分子は分解し壊れます。熱も油脂を溶かします。25℃以上の温水で手や服などを洗うと、なお、良いです。温水は石鹸をよりよく泡立てます。

4 ,アルコール溶液は65%以上のものであれば、ウイルスの油脂を溶かします。漂白剤もタンパク質を内側から直接破壊します。過酸化水素水は石鹸やアルコールや塩素ほどの効果はありません。過酸化水素水はウイルスのタンパク質を破壊しますが、肌を痛めます。殺菌剤は効果がありません!ウイルスはバクテリアのような生物ではないので、抗生物質で殺すようなことはできません。

5 ,着た服やシートを絶対にふらない。(ウイルスが飛び散る)多孔質な表面に付着したウイルスは3時間。銅や木材で〜3時間、ダンボールで〜24時間、プラスチックで72時間活性しています。羽毛等のハタキで舞い上がったウイルスは、「空中伝達物資」として、3時間活性し続けます。

6 ,ウイルスは屋外の低温の場所、冷房の効いた、家屋や車の室内、湿気、暗いところで、活性状態が続きますので、環境を暖かくし、乾燥させ、明るくすることが効果的です。紫外線の照射も、ウイルスの付着が疑われるマスクなどに効果があります。しかし、紫外線は皮膚の脂肪を溶かし、発がん性もあります。

7 ,ウイルスは健康な皮膚を通過することはできません。酢は役に立ちません。(油脂を溶かす事ができないからです。)ウオッカなどの蒸留酒は効きません。(40%しかない。65%必要)リステリンは効きます。(65%のアルコールだから)

8 ,狭い処程、ウイルスは集中しますので、窓を開け、自然換気が大切です。繰り返して申し上げますが、分泌液や粘膜、食品、鍵、ドアノブ、スイッチ、リモコン、携帯電話、腕時計、机、テレビ、等、触る前にも後にも手を洗います。お風呂に入る前にも後にも手を洗います!手をよ〜く洗ってから、適度に乾燥させ、肌のしわに隠れているかもしれないので、保湿クリームをぬると、なお良いでしょう。また、爪は短く切ります。(ウイルスが潜めないように)

この情報が役立つことを願っています。

以上

以下は高校時代の友より入手したものです。(巻末の解説を読まれてからが良いかも知れません、100年前の立派な官僚に感心)

本文は、古文に近く少々長いこともありますが期限前にお読み終えられることを祈念します。

第一次世界大戦の早期終結に大きな影響があったといわれる「スペイン風邪」について、当時の内務省衛生局が取り纏めた報告書が東洋文庫にあります。

平凡社では4月30日までの期間限定で全文をネットに公開しています。

ご用とお急ぎがなく関心がありましたら、下記をクリックしご一読賜りたく。

『流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録』

〈東洋文庫〉

1918年から20年にかけて世界中で猛威をふるった史上最悪の感染症、スペイン・インフルエンザ。主として日本におけるその流行の状況、予防、病理等をつぶさに記録した貴重な調査報告書。

注釈

すでに公開終了ですが以下のサイトで紹介しています。

100年前のパンデミックの記録『流行性感冒』――なぜいま読むべきか?

https://book.asahi.com/jinbun/article/13331709

 

 

辛抱しましょう!!そして、投稿の呼びかけです。

◎稲門写真クラブの仲間の皆さまへ

皆さま、鬱陶しい日々をお過ごしのことと拝察しますが、如何お過ごしでしょうか。僕はもう一ヶ月ほど電車では東京に出かけておりませんし、わいわいと居酒屋で酒も飲んでおりません。極めて異常な事態です。

本日、緊急事態宣言が全国に及ぶことになりましたが、未だに「それぞれの地域の事情がある」などと言っている首長がおられます。毎年正月の「通信」で「この小さな惑星の安全」を危惧していた小生としては信じられない反応です。今は、この惑星に安全な所など無いのですから。

「長期化」は否めないと思いますが、ひたすら耐え忍んでワクチンの開発を待ちましょう。人類は原爆など要らんものを開発はしてきましたが、一方その英知は医療分野では目覚ましい実績を残しているのですから。

それから、とりわけフリーランスの皆さんは本当に大変だと思いますが、会員相互に助け合って生きていければ良いな、と思っています。

処で、来年の「写真の早慶戦」をシリウスで開催できるかどうか判りませんが、ホームページなど何らかの方法で実現したいと思っています。何か良い方法などございましたらご教示ください。「テーマ部門」のテーマも募集しております。

それから、来年は東北の震災が10年目になりますので、「稲門のメンバーで写真展をやりたい」という声が上がっています。出品可能な作品などございましたらお送りください。震災前の東北の風景なども歓迎です。

更に、このホームページ上に投稿をお願いします。「コロナ版」とでも言いましょうか、写真一葉とメッセージをお寄せください。到着次第、随時掲載させていただきます。

2020.04.16

〒233-0015 横浜市港南区日限山2-2-9  shiratani.tatsuya@snow.plala.or.jp

稲門写真クラブ代表幹事 白谷達也