「早稲田大学写真部の歴史」に都筑弘雄さんと梶原高男さんの「顧問放談」を掲載しました

稲門写真クラブ顧問の、都筑弘雄さん(1953・昭和28年卒)と 梶原高男さん(1955・昭和30年卒)の対談「顧問放談」を「早稲田大学写真部の歴史」に公開しました。

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都筑弘雄 ■都筑弘雄

  • フォトプロデューサー/写真家
  • 1930年愛知県生まれ
  • 1953年早稲田大学商学部卒業
  • 富士フイルム営業本部副本部長
  • 2002年日本写真協会「功労賞」
  • 日本写真協会理事
  • 日本広告写真協会幹事
  • 日本写真家協会(JPS)名誉会員

■梶原高男

  • 写真家
  • 1932年東京都生まれ
  • 1955年早稲田大学文学部卒業
  • 「日本カメラ」編集長
        (1975?1988年の23年間)
  • 2000年日本写真協会「功労賞」
  • 日本写真協会理事
  • 日本写真芸術協会評議員

梶原高男

現役春季展を見て 松田修一(平1卒)

◎現役春季展を見て  松田修一(平1卒)

 

 久しぶりに現役諸君の写真を見てまいりました。
これまで稲門写真クラブのホームページに紹介された早慶展や早稲田祭展での作品と合評会でのOBの方々の講評を拝見しておりましたので、期待をもって会場に足を運びました。最近はいろいろな部分で制約が入り、写真を撮る条件が厳しくなっていますから,学生がどんなものを対象に撮っているのかも興味がありました。

 しかし、今回は出品者が10名ほどで作品点数も少なく、会場の壁面もかなり余裕があり、ちょっと物足りない感じでした。これも写真部の現状の一部ではあるのでしょうが、全体像を見るまでに至らず残念でした。
 
 全体としての第一印象は「おとなしいなぁ」でした。伸びやかと言うより、型にはまったものに表現や意図があることを後付けしているような感覚を覚えました。それなりに撮れてはいるが、熱さがない。
 「深雪の路」
「雨を遁れ」

「nowhere 」春が来たら、雪はどこに行くのだろう

 
 アマチュアの大学生の写真ですから、技術的な完成度など期待していません。若さゆえの感性や着眼点の斬新さ、荒削りであってもいいから何かを築こうという意欲や情熱といったものを断片的にでも感じ、若者のパワーや感性にガツンと叩かれてみたかったです。そういえば私たちの頃もおとなしい写真が多かったような…。
 どういう形でもいいから,自分が撮ろうとしたもの、目を引かれたものが存在感を示すようであってほしい、そのこだわりを大切にしてほしいと思いました。
 
 部室には暗室もありますが、教えられる人間がいないという話もありました。モノクロの作品集を作られている大先輩もたくさんおられますから,やる気があればそういった先輩方に教えを請うことがあってもよいのではないでしょうか。デジタル化によって写真表現の手段や幅は広がったと思いますが、肝心なのはそれをどう使いこなすかです。貪欲であってほしいと思います。
 

 およそ四半世紀前の現役時代、私たちも多くの先輩方にお世話になりました。私自身は、故・中村保さん(昭和39年卒)のところで助手をさせていただき、写真展というと都築弘雄さん(昭和28年卒)や庄野耕さん(昭和35年卒)のところへ印画紙やフィルムのご協力を部としてお願いによく伺いました。藤森秀郎さん(昭和34年卒)や故・林宏樹さん(昭和36年卒)、小川忠博さん(昭和40年卒)をはじめとして諸先輩方に、早慶展の指導や作品の講評していただきましたが、作品がお褒めにあずかることはほとんどなく、いつも厳しい批評にさらされました。
一言くらい褒めてくれたらと思ったこともありました。あの言葉の裏側にあった、先輩方が私たちに期待されたもの、持たれた印象というのは、きっと今回私が抱いたものと同じだったのでしょう。

 はからずも今回、私もその辛口の先輩の仲間入りをしてしまいましたが、現役諸君には、これにめげず、ひるまず、今の自分の概念や好みだけでなく、写真に限らず多くの作品に触れ、ときにOBも利用して、大胆にさまざまな表現を試し写真を楽しんでほしいと思います。次回の意欲作を期待しております。