平20年卒平尾敦さん壮行会が開催されました

◎H20卒・平尾 敦さんの壮行会が開催されました。
 
ニューヨークのICP(国際写真センター)フォトジャーナリスト育成プログラムに参加する平尾 敦さん(平成20年卒)の壮行会が、幹事会主宰で7月27日、「銀座アスター・新宿賓館」にて開催されました。

ICP受験の際、推薦状を書いていただいたS41卒・鈴木龍一郎さんをはじめ、「稲門写真クラブ」幹事会メンバー6名(菊池、白谷、平嶋、福田、浅野、増田)、早稲田大学写真部現役の深見幹事長、石井副幹事長2名が出席しました。

 
鈴木さんは乾杯の挨拶で、「もし僕が40才若かったら、僕が入学したかった」と熱く述べられ、本当に嬉しくてたまらない様子でした。次々と激励と期待に満ちた挨拶が続きましたが「あんまり期待しすぎると、帰って来にくくなるかもしれないよな?」ということで「何があっても、凱旋将軍のように帰って来ること」というところに落ち着きました。
平尾さんは「ブログラムには、11カ国30人が参加する。行ってみないと中身は判らないが、多様な方々との交流を通じて人脈の構築にも気を配り、感性を磨きつつ写真の勉強をしてきたい」と挨拶しました。
以前、ケープタウンの雑誌社の写真インターン募集広告を見て応募し、3か月間勤めた経験などについても話が及び、壮行会は予定時間を大幅に超えて3時間に及びました。
 
 
なお、平尾さんは、9月入学の為に、8月1日に渡米。ニューヨークでの生活ぶりは、随時このホームページで報告される予定です。ご期待ください。

七月展を見て。昭和45年卒宇野敏雄

昭和42年卒 菊池武範、昭和45年卒 宇野敏雄、平成3年卒 増田智の三人で現役生の七月展を訪問しました。

今回は宇野さんがレポートを担当してくれました。

◎現役写真部員の「七月展」を見て        昭和45年卒・宇野敏雄 

猛暑襲来中の7月13日、神田のギャラリーCORSOで開催中の現役写真部「七月展」を見に行った。自分の学生だった頃と較べて、個々の表現意識が、他者との差異性も含めどのように変わったのか、というあたりにも若干興味があった。

展示作品と作者も参加した合評会でのトークを個人的な感想も兼ねて報告しよう。

   

最初に全体の印象を簡単にいうと、全学年の部員が参加し多彩な作品を展示するとの告知通り、表現の方法と技術的水準が異なる段階のいろいろな種類の作品が見られた。昔に使われた言葉の意味での「リアリズム」の作品はほとんどなく(痕跡はわずかにあった)、日常生活で生起する事象の向こう側に、視えないヴィジョンやイリュージョンを探ろうという傾向が会場での流れをつくっていた。
 
合評会で採りあげたいくつかの作品について。 
    
《specially pea green》は、おそらく作者の意図を素通りして、「人の頭部」と「電話機の緑色」がなまなましく「物」としてのように画面に露呈している。作者が説明する美しさとかストーリー性は感じられず、むしろ写真の「フレーム(枠)」を逸脱しかかっているように見える点に、個人的には興味をおぼえた。予期せざる「外部」がヌッと現れて撮影者の通念や感性を裏切ってしまう画面が出現するのは、映像においては貴重な経験である。
    
《ほのぼの》は、表現したい内容とタイトルの言葉の意味がいささかずれている。
デジタルカメラが進化したといっても、撮影現場での人の眼と感覚が得る情報には及ばないし、また違うものでもある。感覚の世界の表現にこだわるのであれば、身体の知覚の世界とデジタルの世界の溝は、作品化の過程で丹念にデジタル技術を使って埋めるしかない。そのうえで、英国の画家ターナーが描いた後期の絵画のように、光と色と形象が溶け合った感覚の世界が表現可能なのか、デジタルでは不可能なのか、考えるのもよいと思う。ちなみに、ターナーの絵から受ける印象は、絵具で創り上げた虚構の世界(=知覚の現実化)であるにもかかわらず、極めて映像の世界に近いものである。 
  
《言葉は通じないけれど》の、少女の瞳には彼女の住む場所の光や路地が映り込んでいる。あたかも彼女の住む街=世界をその鮮やかな瞳から逆に発信しているかのように。もう1点の、少女の微笑みの中には「時間」が佇んでいる。
この瞳の光と無私の微笑みのなかには(この一瞬を捕らえる手法を磨いてゆけば)、自身のスタイルを生み出す契機があると感じた。(ただし、散文的で説明的なタイトルは一考の要あり) 
    
《神の恵み》など3点は、映画や劇画のひとコマを写真画像に移し替えたようなカッコ良さと、技術と絵作りの達者さは窺えるが、自身が想定する「絵」や「画像」の概念に「作品」が程よく納まって自足しているように見受けられた。聖書や神話のフレーズをタイトルにした「言葉」と「絵」が予定調和的に収斂してしまう「画像」には、見る者の感情をふと揺るがせたり驚かせたりする「時間性」や「物質性」がほとんど感じられないのが、もどかしく思った。  
 
《肖像たち》は、「肖像」本人を撮影する代わりに、身近に流通している「肖像」の印刷物の写真・映像を複写しマネキンの顔まで加えて、作者なりに「肖像」に関するコンセプトを更新しようという意図は感じられる。モノクロプリントにして「映像」としても成立させようと工夫しているようだ。
しかし肖像サンプルが5点しかないのでは、作者自身が考える「肖像」像はどこにあるのか、中途半端なのが残念だ。もっと多数の「肖像」写真を採集し選択して、大胆な見せ方(展示)をすれば、「肖像」というコンセプトが見る者により明確に伝わるだろう。 

アルバム作品《フェイク》は、自身が製本し、内容は写真を使って「フェイク」を考察した写真集の体裁をとっている。これは(写真集制作のモティーフとなったという)Mr.チルドレンも歌っているように♪すべてはフェイク、なのだから、この本一冊をそれこそ「フェイク」としてまるごと捏造すれば、さらに面白かっただろう。
 

 
作者不在で合評会では採りあげなかったが、《テレビっ娘》ほかの同じ作者による数点には、意味不明のものも一部あるが、画面を覆う現実という質感の奥に、見る者の視線を引きつける磁力を感じたことを記しておこう。
 

 

三田写真会、金井 三喜雄さん、 杉田 重男さんと 韓 楠洙さん(韓国)が写真展 を開催します

早慶OB写真展「写真の早慶戦」でもお世話になっています三田写真会の金井三喜雄会長と杉田重男幹事に

韓楠洙さん(韓国)三人で写真展を開催されます。

本年7月下旬に鎌倉市で<鎌倉安東(アンドン)パートナーシティー提携記念>行事が開催されます。

そして、その一環として昨年開催した写真展「韓国仮面劇の故郷へ,誘う」が一部をアレンジして「鎌倉安東文化交
流展」に参加する事になりました。
会場では,御霊神社(鎌倉市坂ノ下)のお祭りの時に開催される「面掛行列」の写真展と,「ソッテフラワー」の展示も

同時開催されます。両写真展とも韓紙(はんじ)に写真をプリントしており。また「ソッテフラワー」に使用している「花」

も韓紙で作られています。

「ソッテ」とは.竿や柱のてっぺんに木などで作られて止まっている鳥の事です。昔の韓国人たちは,天に向かって

伸びる物は神が行き来する物と信じてきました。

棒の上の鳥は神が住んでいる天と、大地を繋ぐ使者の役目を象徴しています。その様子を韓紙で作った花をあたかも

生花の様にあしらい,「<生け花>・・・の様に」アレンジしたのが「ソッテフラワー」です。

会場は,JR 鎌倉駅(東口)徒歩3分です。皆様お誘い合わせの上,ぜひご来場下さい。