いつの頃からか外を歩いていて、好きな景色や場所と嫌な景色や場所を気にするようになった。正確には気にするというよりは、心の中の遠くでちらっと感じながら、日常生活を送っていただけである。それらは子供の頃から見ていたテレビ、映画、雑誌の写真等と自分の記憶の底から選択され、浮かび上がるイメージとが合体して出来ていることは確かだ。
例えば、水分をたっぷりと含んだ重たげな空気は近景を砂漠の蜃気楼のようにゆらっと見せる暑い夏の日の午後。あるいは、美術館や図書館の非日常には底に不安が薄っすら淀んでいるとはいえ、何かへの期待と少しのワクワク感がある。ネットで見た著名な建築家の手になる邸宅の一室の写真は大きく外へと開かれ、緑の樹木の頂上が階上の部屋と同じ高さまで迫り、眼下にはプールがある。階上の部屋は外との仕切りがないように見える。
最近ポテトチップスやヨーグルトのメーカーが使う官能検査という言葉を知った。人間の五感を用いて製品の質の最終的判定をするもので、これだけは今のところ人間にしかできないそうだ。この家の写真はこんな私好みの空間があるのだという快い微量の緊張感と全身の感覚でその空間を経験する生の心地よさを与えてくれる。