多くの人は「辺境」と聞いて何を想像するだろうか。なにがあるかわからない未知の土地といったイメージだろうか。
辺境という言葉を調べてみると、「中央から遠く離れた土地。国境」とある。なるほど、私の訪れた土地にぴったりの言葉ではないか。
昨年の夏、中華人民共和国チベット自治区の中心都市であるラサ(拉薩)を訪れる機会に恵まれた。日本を発ってから途中観光も挟み、3日目にして鉄道でラサに入るとたちまち高山病に襲われた。ラサはちょうど富士山の山頂と同じくらいの標高であり、それだけでもここが厳しい土地であるということを、身をもって実感させられる。現地のガイドさんが、チベットの人間や動物は生まれた時から酸素の少ない環境で育つから体があまり大きくならないのだと教えてくれる。また、降水量は少なくとても乾燥した気候で、この街を取り囲むような山々の茶色い岩肌が目立つ。
この写真はチベットのポタラ宮で撮った。
ポタラ宮は、1642年に建設されたチベット仏教及び昔のチベット政府の中心となっている宮殿である。しかし、1950年代の中国共産党によるチベット統治のための侵攻により動乱が発生、チベットの人々にとって象徴ともいえるダライ・ラマ14世は亡命した。
ダライ・ラマのいないこの宮殿と、「中国の中のチベット」を見ることが、私が決めたこの旅のテーマであった。
ポタラ宮で私が目の当たりにしたのは、とても信仰のあついチベットの人々の姿だった。幼い子供も腰の曲がったお年寄りも、多くが宮殿に入る前から五体投地と呼ばれる両手・両膝・額を地面に投げ伏す礼拝を繰り返しながら少しずつ前に進み、聖地を巡礼している。
また、マニ車と呼ばれる、回すと経を唱えたのと同じ功徳があるとされる道具を持って神妙な面持ちで巡礼する人たちがいる。
日ごろあまり宗教に親しみのない人の多い日本で暮らす私は、その姿に素直にこころを打たれた。一方で、政治的な面も無視することはできなく、至るところに習近平国家主席の写真が大きく貼られていたのはとても印象的であったが、その中でも、人々の中に根付いている信仰心や文化は決して消えてないことがわかった。
中国の一部となり、その中央である北京から遥か2,500 km離れたラサは、今では「辺境」なのかもしれない。しかし、チベットの人々の中にある信仰や文化の中心であることに変わりはない。