【訃報】昭和32年卒の河野 毅さんが亡くなられました
◎昭和32年卒の河野 毅さんが入院中、心不全・肺炎のため8月31日に永眠されました。
享年82歳。ご家族に看取られながら逝かれたということです。
写真界の新らしい流れにややヒートアップ気味だった同期のメンバーの中で、いつも落ち着いたカメラアイと氏の言動は兄貴のような存在でした。
昭和アルミニウム缶株式会社の社長、会長を歴任し、引退後には「ライオンの会」(3ケ月毎に集い互いの健康やデジタル時代の写真状況などについて話し合う会)の幹事をしてくれていました。
(昭和32年卒・野中昭夫)
【訃報】昭和34年卒の矢野勇さんが亡くなられました
◎昭和34年卒の矢野勇さんが亡くなったことが朝日新聞2日付け朝刊で判りました。
ここ数年断続的に入退院を繰り返され、人工透析などを続けられていましたが、「第12回写真の早慶戦」には「出品する」の返事を頂戴しておりました。ご冥福をお祈りいたします。
・矢野勇さん死去 本紙「花おりおり」
本紙で5年間続いた連載「花おりおり」で写真を担当した植物写真家の矢野勇(やの・いさむ)さんが1日、腎不全のため死去した。83歳だった。通夜、葬儀は行わない。
「花おりおり」は2001年から本紙1面に連載された花のコラムで、矢野さんは複数いる専門カメラマンの中心的な存在だった。(6月2日朝日新聞朝刊訃報欄より)
【訃報】昭和26年卒の詫間喬夫さんが亡くなりました
◎昭和26年理工卒の写真家・詫間喬夫さんが3月24日永眠されました。
ご遺族からのお知らせにより判りました。
葬儀は故人のご希望により近親者にて3月26日に執り行われたそうです。
詫間さんは生まれ故郷の名古屋を中心に活躍され、奥会津のいきいきとした山里の暮らしや変貌する懐かしい風景を記録した貴重な写真集『奥会津残照』(2009年 日本カメラ社刊)などがあります。
【訃報】昭和34年卒の鈴木文武さんが亡くなりました
◎昭和34年卒の鈴木文武さんが3月18日(水)午前5時すぎに肺炎のため亡くなりました。
学院時代から写真に親しみ、政経学部に進学後すぐに写真部に入部。卒業後は新潮社写真部に就職。程なくしてグラビア編集部に異動。取材に走り回る慌ただしい仕事の中で「週刊新潮」・谷内六郎さんの表紙絵担当を何と26年間に渡り全うされました。谷内さんとの二人三脚ぶりは『思い出の記ー週刊新潮表紙絵を中心にー』鈴木文武著、私家版、2008年刊に詳しくありますが、鈴木さんのお人柄が偲ばれます。
平成4年に古巣写真部に戻られ、定年後は稲門写真クラブの代表幹事を長く努められ、クラブの運営に多大な貢献をされました。
昨年末転倒されて入院。入院中にインフルエンザに罹り肺炎を併発、一時持ち直されましたが誤嚥性肺炎のため亡くなられたとのことです。
・通夜 ;3月22日(日)午後6時から
・告別式:3月23日(月)午前10時30分から12時まで
・式場 :いずれも「セレモニー大宮ホール」(さいたま市大宮区宮町2−31)
電話=048−631−1100
※稲門写真クラブとしてお花をお供えさせていただきます。
昭和28年卒の飛田良太郎さんがお亡くなりになっていました
◎秋田市在住だった昭和28年卒の飛田良太郎さんが昨年お亡くなりになっていたことが、ご遺族からのお知らせでわかりました。
【訃報】昭和44年卒の松岡嶢さんが亡くなりました。
昭和44年卒の松岡嶢さんが5月11日に多臓器不全で亡くなりました。享年69歳。
通夜15日、告別式16日の予定です。
「訃報」昭和34年卒・山中晴雄さんが亡くなられました
昭和34年卒の山中晴雄さんが7月25日にお亡くなりになりました。骨髄の病気だったそうです。故人の遺言により葬儀の類いは一切執り行われなかったそうです。「写真の早慶戦」には第5回から10回まで毎回出品されておりましたが、今回は出品されないので心配していたところでした。
【訃報】昭和45年卒の住吉人さんが亡くなられました
昭和45年卒の住吉人さんは、30日午前、入院中の金沢市の病院で亡くなられました。享年66歳。岐阜県高山市生まれ。高山観光ホテル社長を経て高山の観光業に多大な貢献をされ、高山市議会議長も務められました。3日に通夜、4日に葬儀の予定。
昭和14年卒の原正直さんが亡くなられました
昭和14年卒の原正直さんは4月17日に永眠されたとの連絡をご遺族からいただきました。
