飯塚晋一君(H11商卒)が「東京写真記者協会賞」を受賞しました

朝日新聞写真記者の飯塚晋一君(平成11年商卒)が、2014年の東京写真記者協会一般ニュース部門賞(国内)を受賞しました。
 
本日から12月24日まで日本橋三越本店で開催中の「2014報道写真展」で、太陽面を横切るISS(国際宇宙ステーション)を連続的に撮影し合成した受賞写真、タイトル:「太陽を横切る若田船長のISS」が展示されています。
 
◎開催日:2014年12月13日(土)?24日(水)午前10時?午後7時 ※入場無料
◎場所:東京日本橋 三越本店(本館7階)
 

2014報道写真展ホームページ

昭和34年 皇太子ご成婚パレード撮影の情報を探しています

 昭和34年(1959)4月の皇太子ご成婚の際、さる女性誌の依頼で、早大写真部がご成婚パレードの様子の撮影を行ったそうです。

 この件の事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、以下のフォームからご連絡いただけましたら幸いです。
 
 
平成2年(1990年)卒 金城正道

昭和45年卒・白谷達也さんの著作「唐川びとへ」が電子版になりました

稲門写真クラブ代表幹事である白谷達也さん(昭45卒)が自身の著作「唐川びとへ」を電子版として出版されました。

唐川での十数年におよぶ取材とひとびととの交流が描かれた写真をぜひお楽しみください。

書籍より値段もてごろでiBooksやKindleにダウンロードしてみられるそうです。

Kindle版はこちらです。

http://www.amazon.co.jp/%E5%94%90%E5%B7%9D%E3%81%B3%E3%81%A8%E3%81%B8-%E3%80%9C%E7%B2%BE%E9%9C%8A%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%BA%AD-%E5%87%BA%E9%9B%B2%E3%83%BB%E5%94%90%E5%B7%9D-%E5%8F%A4%E6%BE%A4%E9%99%BD%E5%AD%90-ebook/dp/B00L4EHO32/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1403757151&sr=1-1&keywords=%E5%94%90%E5%B7%9D%E3%81%B3%E3%81%A8%E3%81%B8

iBooks版はこちらです。

https://itunes.apple.com/jp/book/tang-chuanbitohe/id890677486?mt=11

 

 

唐川びとへ
精霊たちの庭 出雲・唐川
 
 唐 川集落は小さな山あいの村。日本列島本州の西部、島根県出雲地方にあり、日本海をヘだてて朝鮮半島と向かい合う位置にある。50数戸、人口200人足らず で、いちばんの産業はお茶の栽培だ。古くから自前の製茶工場を経営して、上質な日本茶をつくっている。唐川を訪れる人は、茶畑に日の光がキラキラするその 風景にまず魅了され、そして、ふるまわれるお茶のゆたかな味わいにしみじみと感じ入るだろう。
 
 唐川の人びとは、7世紀に書かれた『出雲国風土記』にある韓竃神社の氏子たちだ。韓竃神社は山の中腹にある巨大な岩屋で、そこにお参りするためにはたくさんの険しい石段を登り、巨大な巌の間をすり抜けなければならない。この神社では25年に一度、遷宮が行われてきた。
 韓竃神社の秋の大祭には、獅子舞や神楽が奉 納される。近年、若者が外に出て減少してはいるが、こうした祭のときには3世代が集っておめでたい場をつくり上げる。彼らの血に流れるもののせいか、この ときになるとご飯を食べることも忘れて舞や囃子に熱中する。舞や笛・太鼓のお囃子は、現在も古いままに継承され、子や孫に教え継がれている。何度か消滅の 危機に面しながら、それにまさる熱意で盛り返してきた。
 山に入りミツマタを刈る老人、そのミツマタ から紙を漉く夫婦、小学生から老人まで総出で競う運動会、うぐいすを友とする陽気な男、数キロ離れた小学校へ徒歩通学するほんの少しの小学生たち−−。5 月の新茶まつり、6月の荒神祭、夏の観音堂の念仏講、そして11月の大祭など、季節季節のさまざまなお祭りとともに、彼らはいつも自然体で生きている。
 
 私たちは1990年代の始めに、ラフカディ オ・ハーン=小泉八雲の足跡を訪ねて出雲地方を取材した。ハーンが長い旅路の最後にやって来たのが日本の、出雲地方だった。ハーンの愛した出雲の人びとが 醸す風景は、そのまま唐川びとの風景につながるように思える。私たちがその取材の過程で唐川びとと出会ったのは、たんに偶然ばかりではないだろう。
 1990年代の終り、私たちは韓竃神社の遷 宮が行われた頃に初めて唐川集落に入り、以後十数年の取材をもとにこの本をまとめた。唐川という小さな山あいの集落と、その土地に根づいた唐川びとの哀歓 を、ここに掲載した160点余の写真などから、感じ取っていただければうれしい。
2014年
  白谷達也(写真)
古澤陽子(記事)

「早稲田大学写真部の歴史」に都筑弘雄さんと梶原高男さんの「顧問放談」を掲載しました

稲門写真クラブ顧問の、都筑弘雄さん(1953・昭和28年卒)と 梶原高男さん(1955・昭和30年卒)の対談「顧問放談」を「早稲田大学写真部の歴史」に公開しました。

こちらをご覧ください>

都筑弘雄 ■都筑弘雄

  • フォトプロデューサー/写真家
  • 1930年愛知県生まれ
  • 1953年早稲田大学商学部卒業
  • 富士フイルム営業本部副本部長
  • 2002年日本写真協会「功労賞」
  • 日本写真協会理事
  • 日本広告写真協会幹事
  • 日本写真家協会(JPS)名誉会員

■梶原高男

  • 写真家
  • 1932年東京都生まれ
  • 1955年早稲田大学文学部卒業
  • 「日本カメラ」編集長
        (1975?1988年の23年間)
  • 2000年日本写真協会「功労賞」
  • 日本写真協会理事
  • 日本写真芸術協会評議員

梶原高男

現役春季展を見て 松田修一(平1卒)

◎現役春季展を見て  松田修一(平1卒)

 

 久しぶりに現役諸君の写真を見てまいりました。
これまで稲門写真クラブのホームページに紹介された早慶展や早稲田祭展での作品と合評会でのOBの方々の講評を拝見しておりましたので、期待をもって会場に足を運びました。最近はいろいろな部分で制約が入り、写真を撮る条件が厳しくなっていますから,学生がどんなものを対象に撮っているのかも興味がありました。

 しかし、今回は出品者が10名ほどで作品点数も少なく、会場の壁面もかなり余裕があり、ちょっと物足りない感じでした。これも写真部の現状の一部ではあるのでしょうが、全体像を見るまでに至らず残念でした。
 
 全体としての第一印象は「おとなしいなぁ」でした。伸びやかと言うより、型にはまったものに表現や意図があることを後付けしているような感覚を覚えました。それなりに撮れてはいるが、熱さがない。
 「深雪の路」
「雨を遁れ」

「nowhere 」春が来たら、雪はどこに行くのだろう

 
 アマチュアの大学生の写真ですから、技術的な完成度など期待していません。若さゆえの感性や着眼点の斬新さ、荒削りであってもいいから何かを築こうという意欲や情熱といったものを断片的にでも感じ、若者のパワーや感性にガツンと叩かれてみたかったです。そういえば私たちの頃もおとなしい写真が多かったような…。
 どういう形でもいいから,自分が撮ろうとしたもの、目を引かれたものが存在感を示すようであってほしい、そのこだわりを大切にしてほしいと思いました。
 
 部室には暗室もありますが、教えられる人間がいないという話もありました。モノクロの作品集を作られている大先輩もたくさんおられますから,やる気があればそういった先輩方に教えを請うことがあってもよいのではないでしょうか。デジタル化によって写真表現の手段や幅は広がったと思いますが、肝心なのはそれをどう使いこなすかです。貪欲であってほしいと思います。
 

 およそ四半世紀前の現役時代、私たちも多くの先輩方にお世話になりました。私自身は、故・中村保さん(昭和39年卒)のところで助手をさせていただき、写真展というと都築弘雄さん(昭和28年卒)や庄野耕さん(昭和35年卒)のところへ印画紙やフィルムのご協力を部としてお願いによく伺いました。藤森秀郎さん(昭和34年卒)や故・林宏樹さん(昭和36年卒)、小川忠博さん(昭和40年卒)をはじめとして諸先輩方に、早慶展の指導や作品の講評していただきましたが、作品がお褒めにあずかることはほとんどなく、いつも厳しい批評にさらされました。
一言くらい褒めてくれたらと思ったこともありました。あの言葉の裏側にあった、先輩方が私たちに期待されたもの、持たれた印象というのは、きっと今回私が抱いたものと同じだったのでしょう。

 はからずも今回、私もその辛口の先輩の仲間入りをしてしまいましたが、現役諸君には、これにめげず、ひるまず、今の自分の概念や好みだけでなく、写真に限らず多くの作品に触れ、ときにOBも利用して、大胆にさまざまな表現を試し写真を楽しんでほしいと思います。次回の意欲作を期待しております。

昭和46年卒石崎幸治さんがピクトリコフォトコンテスト2013-2014三菱製紙賞を受賞しました

ピクトリコフォトコンテスト2013-2014にカマキリの写真を応募したら、三菱製紙賞をいただきました。
 
2014年4月18日(金)?20日(日)の間、銀座アートスペース http:/artspace.jansem.info/ で展示されます。ご高覧下さるようお願いします。
 
 フィルムカメラからデジタルカメラに切り替えて14年ほど経ちました。
その間に撮影した画像データはCD,DVDとハードディスクの中に数え切れないくらい記録されています。フィルムみたいにかさ張らないのは良いのですが、もし私がいなくなったら画像データはどうなってまうのだろうかと考えました。多分大事に保管されることなく捨てられてしまうと思います。
 雑誌や本に掲載される、写真集として出版するあるいはコンテストに応募して賞を頂く以外後世に残らないのではないでしょうか。しかし賞というものは欲しいとどんなに望んでも手に入らないものの一つだと思います。そういうものを手に入れたときに最初に思うことは、光栄だと思う気持ち、喜ばしいという気持ち、おごらず粛々とやろうという気持ちです。
 審査委員の方々、今まで支えて下さった人達、特に家族に心から感謝します。ありがとうございました。
 

石崎幸治(いしざき こうじ)・昭和46年卒
ブログ 
 http://ameblo.jp/shinpenzakki/

日本写真協会(PSJ)会報に昭和44年卒・平嶋彰彦さんの記事が紹介されました

 公益社団法人日本写真協会(PSJ)の会報、2014年・春456号の巻頭記事に、稲門写真クラブホームページの記事が引用・紹介されました。

 
 
巻頭記事は「桑原甲子雄にみる昭和写真史」というタイトルで、同協会会員で日本カメラ博物館運営委員の白山眞理さんによるものです。稲門写真クラブ会員で元毎日新聞社出版写真部長の平嶋彰彦さんが編集にあたられた、「私的昭和史 桑原甲子雄写真集」を発行することになったいきさつについての一文が引用されています。
 
2013年10月23日「私的昭和史 桑原甲子雄写真集」(昭和44年卒・平嶋彰彦)発行のお知らせ
 

「早稲田祭展」現役+OB合評会ドキュメント vol.4

早稲田祭展合評会報告vol.4

(最終回)

 
昨年11月10日(日)に深見幹事長以下現役学生14名とOB5名が学生会館に集いました。
4時間半に及んだ合評会の最終報告です。
 
★参加者
・ 昭和41年卒・鈴木龍一郎さん(写真家)
・ 昭和42年卒・菊池武範さん(写真家)
・昭和59年卒・H.Okadaさん(写真家)
・ 現役学生(1年生?5年生)14名
 
(幹事会メンバーの平成3年卒・増田 智、昭和45年卒・白谷達也が記録係りを勤めました)
 
【初めに一言】
(前3回と同じ内容です)
鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て、私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。
 
今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。
 
で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか。或いは今、あなた方学生さんの就活の問題とか、或いは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
 
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
 実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ。1963年、考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
 皆さんの写真を早稲田祭でも展示で拝見しましたけど、それに加えて、今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
 
H.O84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。
 その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思った。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。
 
 
 

★★★★★★★★★★
E・Yさんの写真を見る
 
E.Y これはまあ猫なんですが、正直今年の早稲田祭は作品を売れるということで、売れそうなものを置いておきたいな、と、ちょっと下心をもちながらA3ノビまでのばしました。(笑い)
 
菊池 売れましたか?
 
E.Y 売れませんでした(笑い)
 
 で、一番写真の王道とは外れているものなんですが、ある意味外れているのはそちらの横向きのブックなんです。
    このブックの主旨は、えっと私がかなり記憶力が悪いので、どのようなレンズをどのようなパターンで使えるか、というのを自分用にメモしたものになります。
 
菊池 写真は手馴れているよ、撮り方がね。
 
E.Y いや始めて一年ぐらいですね。で、こちらの写真が一番と思われると思いますが、カメラの中のファインダーの第一レンズ視度調整ダイヤルの部分になります。
   
  実は早稲田祭の二週間か三週間前に、車のトランクからカメラを落下させまして、ここの部分が壊れました。それを直すために、分解するとどうやって戻せばいいのかわかんなくなってしまうんで、写真を撮らなければいけなくて、どうせだからそれを作品にしようと友達からキャノンのカメラを借りまして、マクロレンズを使って、撮ったのがこちらになります。

 

菊池 ただのメモだけどおもしろい。
 
H.O で、これ修理したの?直ったの?
 
E.Y    あっ、できました。
 このカメラはだいぶ古くキャノンの1DS初代ですね、2002年発売の機械なんで。
 
白谷 さすが理工学部だね。(笑い)
 
E.Y  はい、ただレンズが枠から外れていただけだったので、それを付け直すだけでなんとかなりました。
 
菊池 ぼくはこれね、割合おもしろいと思ったの。
 
H.O まあ趣味の世界だね。
 
菊池 その趣味の世界をこういうふうに撮っちゃうというのがおもしろくなるんだよね。いわゆる作品になりうるかもしれないというのを感じさせるんだよこれ。単なる分解メモと思えるけどね。
  どうしてあんなに黄色いの、もしかして電球の下で撮ったんじゃない?
 
E.Y そうですね、電球というか普通の電球ふたつに、一応青フィルターかけて、ホワイトバランス一致させてから、一気に現像、あの時間がなかったから、急いで処理しようと一括処理で行いました。
  
  はい、けっこう自分の思い通りの写真になりました。レンズの写真の方で黒をつぶさなくて眠たい写真が多くなったと友人にいわれたのですが、それはそれで私としては好きな処理であるんですが、まあ少しぐらい気持ち悪い絵も作ってみたいと思いまして。
 
   
 
  ただこちらの猫とかもそうなんですが、額に入れるのがけっこう難しくて。難しいというか私が慣れていないせいで、かなり埃が混入してしまって、しっかり見ると埃とか変な毛とかが、大量に入って、なんか悲しいなと思います。
     
    そちらのほうは日頃スナップしたのをまとめたものですね。使っているレンズはかなり安いものです。
  
菊池 シグマの18ミリ。どうしてこんなになっちゃうんだろうね。
 
E.Y はい、だいたい3万円以下。いちばん安くて2000円、3000円だったかな、のレンズです。
     ちなみに私くしがキャノン使っている理由は、中学高校時代の友人がキャノンを使ってて、友人からレンズを借りないといけなかったからです。ニコンの人はほとんどいなくて。
 
 ブックは枚数を稼ぐために、ちょっと自分でもどうかなという絵がいくつか、それについては反省しています。猫写真が多いのは猫が好きでもないんですが、撮るのは楽ですね。撮るのが楽なのと楽しいのでなかなか多くなってしまいます。
 
 
白谷  もう長く写真やっているの?
 
E.Y 大学に入ってから1年目はフィルムカメラでちょっと。父がフィルムカメラ貸してくれたのと、また祖父からもフィルムカメラなんかを。
 
白谷   何んていうカメラなんですか?
 
E.Y 父がEOS5QDで、1990年ぐらいの普通のオートフォーカスカメラで。
  で、父方の祖父がキャノンのA-1ですね。で、母方の祖父が、もう亡くなっているのですが、オリンパスPEN—Fを貸してくれまして、私がそれを遺品としていただきました。
   
     で、それを使ってパシャパシャ撮ってて、2年生になる直前にデジタル一眼レフを、ヤフオクで1万円で購入いたしまして、それからちょっとづつレンズが増えていきました。
 
  私くし射撃部でライフル射撃をやっておりまして、それがあまり忙しくなくなったので写真部に入りました。
 
A.S 彼、夜景400ミリでぶれないで手持ちで撮れるので。
 
菊池 あーそうですか、やっぱり射撃部だね。
 
白谷 上手だよね、すごく上手。
 ★★★★★★★★★★★★
S.Sさんの写真を見る

S.S こっちの4枚が壁に出していた作品で「宇宙」ってタイトルです。こっちが「8月の秘密」っていう1枚だけ の作品で。

 「宇宙」なんですけど。春ぐらいから「生活と宇宙」っていうテーマで撮りたいなと思って。
あとなんかゴミゴミしたものときれいなものどっちもあるから楽しいよな、みたいな感じで撮ろうと思ってたんですけど、夏休みくらいにデジタルカメラを買いまして、それまではずっとフィルムで撮ってたんですけど、デジタルになったらマクロができるし、あと撮ってすぐ見れるから色がきれいなものを撮りたくなってしまって、気付いたらお花畑になってたのです。(笑い)
 
  で、なんか1枚コスモスの写真があるのでコスモスと宇宙をかけて、「宇宙」というタイトルをつけました。こっちの3枚がデジタルで、こっちはフィルムで撮りました。
 
 宇宙
 
 こっちの写真なんですけど、これもデジタルで撮った写真で、「8月の秘密」というタイトルなんですけど。
 えーと、これは地元で撮った写真で、地元は福島県の猪苗代町っていう所なんですけど、何かその帰省したときに、何んかこうトンネル抜けて森ができる感じで、その何んていうんでしょう、小さい頃を思い出して、何んかその楽しいだけじゃなくて、熊とかが普通に出る町なんですけど、小っちゃいときはそういう森とか、今だと怖くては入れないですけど、小っちゃいときはぜんぜん気にしないで入ってたなって、そういう思い出が楽しいものだけじゃなくて、ちょっと怖いところもあるなと、そういう明るい思い出だけじゃない感じを出したいなと思って「8月の秘密」というのをつくりました。
 
鈴木 またタイトルから始まっちゃうんだけどね、私の場合。会場で度胆抜かれたのね、「宇宙」っていうタイトルに。
 
 怪訝そうな顔してるけど、おそらく、僕が言うことほとんど通じそうもないけど、宇宙っていうのは大変なことなんだよね。せめて「マイコスモス」とか「私の宇宙」とかなら。
「宇宙」って言い切ると、天文学だけでなく、結局、我々は何故生きてるのかとか哲学的な問題も入ってくるわけだよ。そのくらい宇宙っていう言葉は深くて広い意味を持ってるんだよね。それをこの写真につけるとは、ちょっと僕は度胆を抜かれました。
 
  あと、美しいものを美しく撮るって、今言われたよね。でこれとは関係ないか、いや関係あるんだけど、この中ではこの写真がぼくは一番良いと思うね。
 たとえば富士山のご来光って美しいことになってるじゃない。で、あれ本当に美しいのかどうか、あるいは尾瀬の四季、尾瀬の紅葉を見るとみんなきれいって言う、カレンダー見て皆んなきれいって言う。あれ本当に美しいのか?
 
 美しいものを何が美しいのか何が美しくないのか、と考えるとこから写真は始まると僕は思ってます。だから、こっちはあまり関心ありません。
そして、こっちはなんで良いんだろうって思うんだけど。やっぱりハイキ—の効果なのかなという感じと、まあいろんな理由がありそうだけど、他とは何かが違うんだよね。
 
 あと「8月の秘密」だっけ、これも昔「八月の濡れた砂」っていう映画と歌があったんだけど、そこら辺の関連で、この写真でタイトルが「8月の秘密」っていうのはないだろうって思いますね。
どう思う?これはこれで「宇宙」で良いんだ、タイトル、そう思いますか?
 
 
八月の秘密
S.S う??ん、そんなに深くは考えてなくて、半分ダジャレなので、あんまりそんな意味があるかと聞かれたら、ないんですけど。
 
鈴木 この写真ができてからタイトル「8月の秘密」っていう、それとも先に「8月の秘密」っていうフレーズがどっか頭にあって、この写真を撮ってつけたの?
 
S.S うんと「8月の秘密」っていう歌のタイトルがあって。歌なんですけど、それが頭にあって。
 森に行ったときに、あ?そういえば、昔はこんなこともあったな、ってみたいなことを考えて。
 そうですね、その場所に行って撮る時はわりと既にそういうことを考えていました。まあその感じが出ていないと言われたらそうなのかもしれないですけど、個人的な感傷というか、そういう感じで。あーこの場所に来るとあれを思い出すみたいな、感じで撮りました。
 
菊池 個人的にそうなんでしょうけど、見た人はそんなことわからないんだよね。それとタイトルの方が美しすぎる、写真じゃなくて。
 で、これ見てみると、いわゆる花写真になってないのが少し救いなんだよね。年をとるとさ、みんな花を撮ったりなんかし始めるけどね、そうなってないのが多少救いだねこれ。まだ若いし。昔ヨドバシカメラとかあのへんに行くといいおばさんが、肩からカメラをさげて、エクタクロームを何十本も買ったりなんかしていて、何を撮るのかなと横で聞いているとだいたい花なんだよね。
 
 花を撮るのが悪いとはいわないけど、そういう人たちはね、お手本写真のような花しか撮らないの。あんなの何百枚も撮ったって感動もなにも与える写真撮れないんだけどね。
これはそういう花写真と少し違うところがよかったですね。
 

H.O いま鈴木さんがたまたま並べ変えましたが、これ明るさを、結局このトーンにもってったってことにあるわけじゃない。この2枚に関して。

 
S.S 並べ方ですか
 

 
H.O このトーンをチョイスしたってことがあって、唯一この写真に寄って立つものがあるとすればそれなんです。他ほとんど意味がない。
 と言うか、写真としてのパワーが出てきてない。唯一パワーがあるのはこのハイキ—なトーンのところなんで、ここをつかまえてテーマにして、花でもいいですけど、まとめていけばなんとかなるかな、というのがありますよね。
 極めて今っぽいですけどね、このトーンは。ですが、写真的なまとまり、かっこつけていくっていうのも一つの在り方なんで。やっぱりこのままだとレア過ぎちゃって、生っぽいんですよね、撮った感じが。
 
 で、いろんな調理の仕方があって、水玉の質感とか、これはもっと本当はシャープに全体にパンフォーカスになっている方がおもしろいでしょうとか、あとコスモスのハイキ—な感じと、っていうことで意識していくとひとつのシリーズとして写真が動くと思うんですよね。
 
 で、それを自分の中でわかってないとすると、ちょっと残念かなって。それをつかまえてればもっとこれで組めたんでね。そこがさっきから言っている編集っていうところで。つまり、もうひとつの人格を作って写真を見てみる。撮った人間ってやっぱりこうなっちゃうから。
 それは、映画だとか、いろんな写真を見てると、だんだん会得できてくる。だからもっと他から刺激を受けていくと良いんじゃないですかね。
 
菊池 これ技術的にみたら失敗作なんだよね。普通は水玉ピシッと出す。
 
 で、これはそれができなかったのか、わざとしなかったのか知らないけど、良くみるとガクにピントがあってるし、まあ花の写真の王道じゃないよね。でもこれはハイキ—にしているんで辛うじて見られるようになったということかもしれないですね。
 軽いという言い方は失礼かもしれないけど、軽くなりすぎてるんだよね。
 
H.O でも今っぽいですよね、今もっと軽いですから、もっとのってますから。
 
鈴木 川内倫子という人の写真展をこの前見に行って、普通の水滴一粒をハイキーにしてこんなにでっかいサイズにしてるんだよ。そういうのがあったの。
 で、これは普通の花の写真で、これをこうするとハイキ—っていうかトーンの問題もあるけど、持っている世界が違う。この2枚とこの2枚とは、世界が違う。
 撮るポイントで違う世界を与える、そこらへんをちょっと・・・。
 
 
菊池 H.Oさんが言ったこれはやっぱりリアル的ですよね、こっちは違いますよね。
 
鈴木 まあ今っぽいって言われて、確かに今の女性の写真ではかなり見受けるんだけど、でもこっちのほうがおもしろい、こっちは単なる花の写真ですよ。
 
H.O たぶん、オートフォーカスが、カメラが間違ってるんですよ。
 オートフォーカスでピントがズレたのを補正するっていう使いこなし方が、今求められちゃってるんですけど。
 まあ銀塩でずっとやっていた方が良かったかもね。
 
鈴木 例えばアマチュアのおばさんおじさんの写真グループとかの写真があるじゃない、写真持っていくとこれとこれが良いとかって言う、そういう写真指導の先生が来てると、言われる可能性がある。「なにこれピントがどこにあるかわからないから駄目」だって。これはピントがきてるしってそういう評価の仕方もある。だからそういうことでは、後は自分の道を信じるしかないですよ。
  

★★★★★★★★★★★★★

J・Dさんの写真を見る

 
J.D 早稲田祭4回連続出品ということで、今回が最後ってことで、まあ出品の意図としては、最後の早稲田祭で集大成の作品を出そうということで、A3ノビ、部室で出せるプリンターサイズ最大の大きさで、これまで大学生活4年間で撮り貯めたものの中から良いものを15枚選んで、集大成にしようという意図で出しました。
 
 で、私は15歳の時から写真をやってまして、その写真を始めたきっかけっていうのも、こういうミリタリーな乗り物が好きで、その好きな対象へのアプローチとして写真が良いんじゃないかっていうことで写真を始めて、それから8年間一貫してこういうことをやってきて、今回4年間の区切りということで出しました。
 
 で、一枚一枚に本当に思い出があって、これを語りだすと2時間くらいかかるのですけど、どの写真も僕にとってはドラマがある、だからこれ出したことでけっこう自己満足はできましたが、正直こういう場で評価されるべきではないと思っています。
 
 私が2年生の時にHさんという先輩に言われたんです、「堂脇の写真はおれは写真として見てない。こういうミリタリーの被写体を見るつもりで見ている」って言われて、正直すごく悔しかったんですけど、だったらもうそれを突き進めるしかない、僕はそれが好きなんだから、それを突き進めるしかないと発奮してこういう写真を撮ってきました。
 
 
H.O なんでミリタリー研究会とかそっちにいかなかったの?なんで写真部に入ったの?
 
J.D 写真部の機材が使いたかったからです。(笑い)
 
H.O じゃ基本的にはこういうものが好きなんですね?で、これ以上の広がりはないわけですね?写真に関していうとね。
 
J.D いや、被写体としては人も風景も一通り人並みには撮れるんですけど、そういう小手先の作品を写真展に出そうという考えがなくて。まあそういうのは人並みのレベルでいいかなと。僕はこっちを突き進めようと。
だから写真部としては相応しくないというのはじゅうじゅう承知しています。
 
 
H.O こういうものって、こう撮るしかないかなっていうレベルのとこで、まあたぶん機材とかスキルっていうのはちょっとづつ上達して反映されているんだろうけど、やっぱりもう、要は鉄道写真とか、形式をちゃんと撮るっていうのと、ちょっと情緒的なものっていうのと、入ってますけど、だからまあそのどっちにいきたいのというところもあるけれど、おそらくその形式がすごい好きで、コレクタタブルのように。
 
 所有欲の代償だよね。だから本当いえば、こういう飛行艇がちゃんととまってて自分のためだけに、そこでカメラを構えて、高画素のデジタルカメラでそれを複写できれば一番幸せっていう。
 
J.D そういうことになりますね。
 
H.O それは帰着点が見えちゃってるから、そういう意味でいうとご苦労様でしたっていうしかないんで。ただそれを本当にそういう野心があるのであれば、これからそういう機会をつくるべく努力して、そういう、我々が見れないようなレベルでの高精細な兵器の写真撮るっていうのはひとつにはおもしろいかもしれないですね。
 
 今デジタルが銀塩時代よりものすごく精度が上がっている。堅くてメタル、金属質なものを撮った時に写真映えするようになっているのでね。
 
菊池 もう就職決まっちゃったから遅いけどさ、自衛隊にはいればよかったんだよ。
 
 
J.D それはまた僕のなかでは別の話なんですよ。たとえばディズニーランドが好きだからって、ディズニーランドで働こうとは思わないし、写真が好きだからってカメラマンになる人もそういないじゃないですか。
 
菊池 ぼく自衛隊のカメラマンが撮った写真を見たことあるんだけどね、エッと思う写真が撮れるんだよ、どこへでもいけるから。まっくら闇の中で戦車が発砲するわけだよ、煙がこうなって、発砲した明かりだけで撮ってるんだけどさ、それなんか芸術的なんだよ。一般人には撮れないしね。
 ほんとに感心する、エッていう写真あるよね。ぼくらはとても近くにいけないものだからね、やっぱり乗り物、レースの写真と、同じだから。
 
鈴木 これさー、軍艦とかジェット戦闘機とか戦車とかを撮ると、写真ではないの?さっき写真ではないって言ってたけど。
 
J.D 写真ではあるんですけど、そのいわゆる写真的評価を、与えられる作品ではないと。
  
鈴木 そんなことはないよ、なに撮ったって、写真は写真だよ。
 会場で見て巧いなと思った。長玉の使い方が巧いなと思った。
 
 で、自衛隊に入ればいいっていう話は別ね。ちょっと後でそれは聞きたいんだけどそれは別で。
 
 軍艦だろうが戦車だろうが、何んだって写ってれば、カメラ使えば写真だよ。写真的表現って、なんとなくアートっぽいとか、あるいはブレッソンみたいだと、写真なの?どうしてこれは写真的な作品じゃないの?
 
 僕はあまり技術とか、カメラは写ればいいと思ってるんだけど、会場で見たときにあー自衛隊のPRに使えるなって、広報で借りに来るんじゃないかなって。そのくらいのレベルには行ってるでしょ。
 ぼく自体がこういうものについて、どう思っているかっていうのはまた別の問題なんだけど。
 だけど、技術的にはうまいなと思いましたね。
 
J.D ありがとうございます。それは自分でも自信があることで、大学生でこのレベル撮れる人はそうはいないって思います。
 
菊池 世界の艦船とかあーいう雑誌にも使えるくらいだよ。
 
J.D そうですね、そういう専門誌にはけっこう定期的に僕の写真が載っています。
 知ってる人は知ってるっていう感じです。
 
鈴木 で、これは空撮だけど、これはやっぱり自衛隊記念日かなんかの時に、基地が開放されて?
 
 
 
J.D あっそれ空撮じゃなくて、レインボーブリッジから。日本でこのアングルが撮れるのは、レインボーブリッジとあと瀬戸大橋だけっていう。
 場所のリサーチとかは経験から得たりとか、ひとに訊いたり。場所命ですね、場所とタイミングです。
 
白谷 何か所ぐらい行ったの?
 
J.D これはもう北は北海道から南は福岡まで、だいたい40とかそれ以上。
 
鈴木 ちなみに早稲田祭に出してて、他の大学の写真部の学生とかあるいは写真部でない学生が見て、こういう自衛隊の写真が並んでて、どういうつもりで撮ってるんだってきかれることはある?
 
J.D それがあんまりないですよね。僕は完全に政治的なあれは切り離して考えてるんですけど、まあこういう写真を出す以上は、そういう批判みたいなのがあるかなって思っていたら、4年間出し続けて、意外とないんですよ。
 
 だからこういう死の商人的な人殺しの道具を撮るのはいかがなものか、というような意見は意外となかったです、この4年間。
 
鈴木 まあ死の商人とまではいわないけど。(笑い)
 
 
H.O そう思って撮ってたらもっと違う写真が撮れるよ。
 
J.D あっそうですね、僕は単純に美しさを表現したいと思って。
 
鈴木 マニアが撮ってるって感じがわかるね。
 
H.O マニアックすぎちゃって、その専門誌までですよね。
 極めて専門誌的なところで、だからそっから先があるとすればさっき言ったようにもっと近くに寄って高精細で撮る、写真的な怖さっていうところが、もしこういうのにあるとすれば
 
菊池 スペースシャトルとかを撮ってる人がいるよね
 
H.O もっと労力を使ってますよね、金も使ってるだろうし。だから結局そういうことなんですよね、そっから先があるのは、アマチュアとしてできる範囲では、行ける所までは行ったかなって感じなんでしょう?
 
J.D そうですね、おっしゃるとうりです。
 
H.O だからもっと冷徹に切り離していって、背景が写らないとか、なるたけ要素がからまないとか、そういうのがもっと高精細でぐっと出てくると、写真的にすごいっていうか。
 要するにこういう「オタクが撮ってる写真」というよりも、刺さってくるかもしれないですね。
 要はこういうフォーメーションのきれいさとか、そういうのにうっとりしてない、質感だけに寄るっていう、だからそこのね、いろいろ鉄道写真とか見ても、もう一歩寄るとモノとしてのすごさがでてくる、そこまで行ってくれるとおもしろい。
 

 

【初めに一言】
(前2回と同じ内容です)

鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て、私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。
 今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
 
 というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。
 
 あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか。あるいは今、あなた方学生さんの就活の問題とか、あるいは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
 
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
 実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ。1963年、考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
皆さんの写真を早稲田祭でも展示で拝見しましたけど、それに加えて、今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
 
H.O84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。
 その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思った。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。
 
 

 
★★★★★★★
H.Iさんの写真を見る 

H.I タイトルが「being lost」で失われることなんです。このバス停を撮ったのはすごい夜なんですけど、人がいないところで。ここはもとがなんだったか判らないんですけど建設現場で。これは鉄条網のなかにある鉄柱なんですけど。

で、自分には手が届かないものみたいなものを表現できればなと思って撮ったんですけど。 

being lost

菊池 ぼくは、左上と右下の写真はいらないんじゃないかなと思ったんだよね。
 
H.I   最初この2枚で作ったんですけど。
 
菊池   でも、この2枚だけにしちゃうと、ちょっとまた不満なんだよね。
 
H.O この2枚を軸にするんだったら、これふたつの要素があるじゃない。夜景っていうのと、一つはコンポジション。その方向でもう少し狙っていけばいいかもね。 
この有刺鉄線とフェンスっていうのは、まあ正直足りなかったんだろうなと、思います。だからこの2点、夜景は今撮れちゃうからね。前はこんなの撮るの大変だったからね。必ずブレていたのがパシッと撮れちゃうから。だったらこの軸で、もうちょっと広げると良かったのではないでしょうか。
 
菊池 この写真は撮ったらこの色だったの?それともあとから変えたの?

 H.I   ちょっとだけ変えてるんですけど、ほとんど変えてないです。

菊池 でね、この色味ね、デジタル独特の色味なんだよね。これはこれで僕はいいんだと思うんですよ。
 
鈴木 夜景だって気づかなかったよ、俺。 

H.O これさーパイプ椅子の位置とか直しに行ってるでしょ。ちゃんとこの位置でいつもあるの?
 
H.I      行ってないです。(笑い)
 
 

H.O    これはどこのバス?国際興業か。国際興業これ置いてるんですかね?あなたが持ち歩いてるんじゃないよね?(笑い)

妙にインスタレーションっぽいじゃない、これ雰囲気としては。狙ってるともうちょうこっちにやりたくなると思うね。この辺もきちっと間隔合ってるんで、やってるんじゃないのって思ったけどやってないんですね。

鈴木 またタイトルなんだけど、タイトル気になるなあ。再検討してください。
 それで、この4枚の組み合わせでは分裂してるなって思ったね。要するに、こちら2人がどっちかっていうと夜景の方で、僕が関心あるのはこっちの2枚。
だからそのくらい写真っていうのは、受け取り方が見る人間によって違うんだよ。 
こっちを仮に鉄線シリーズっていうと、このシリーズでもっと歩いて発展すると何か出てくるんじゃないかなって思った。

 こっちの夜景の方は単なる構成的なコンポジションで、それ以上の面白さは感じられないんだよね、僕には。こっちでどんどん歩いて、全部が金網と鉄線ならそれでもいいし、あるいは他の物でもいいけど、写真って理屈じゃないんで、現代の、現代社会の閉塞感のようなもの、言葉として言っちゃうとそんな風になるけど、そういうので撮ってゆくと、鉄線とか、あと金網とかを集中的に撮る。
だからもっと歩いて。こっちの夜景でやるという方法もある。 

H.O モノクロ的な感覚とか、造形的なものとか、写真的な言語っていろいろあるんですよ。だからそれを起点に、膨らませるってこともある。

 夜景写真のおもしろさっていうのは、実際そこでみているものを写真にすると全然違って見えるということなんだよね。いわばシュールなもの、それを一つの見方として自分の中で持ってて、撮る時に、あっこれはそっちだって思っていくとより深まるよね。だからそういういろいろな引き出しがあれば、出会ったときこっちこっちって、行けばいいので。 

白谷  4枚をたすき掛けにしたっていうことに何か意味があるんじゃない? 

H.I ここ二つにして並べちゃうと、下いらなくてなっちゃうって。どっちかになっちゃうかなと、こう斜めにしたんですけど。

H.O AB型? 

H.I   Bです。(笑い) 

H.O いやセパレ−トだからね、だからいいんですよこれは。これはこれでいいんだけど。ただでもね、僕の感覚でいくとこれ(バス停)を基軸にしたくなるので。じゃあ有刺鉄線とフェンスシリーズにいくっていうのだったらもっと捻るよね。単純に夜景にしてもいいですよ、これを置き換えてまあそういう・・・。 

菊池 話の途中ですけどね、こういうディティールが出るっていうのは、これフィルムじゃ出ないんだよね、フィルムで撮るとね、暗部がつぶれちゃんですよね必ず。ところがねデシタルでやると出るんだよね。
 
 これは今までフィルムでやっていた人にはできない方法だから、決してバカにしたもんじゃないですよ。ディティールが出るんですよ手触り感が。銀塩で夜景撮ったら絶対こういうふうには出ないからね、それは新しいアドバンテージをもらってるわけだから、それはやってもいいんじゃないかな、少しおとなし過ぎるかなとは思うんだけどね。
 

 
H.I   金網とか金属みたいのが好きなので、また次回広げられたらいいと思います。 

菊池 じゃあ金網でいくべきだな、次回。 

鈴木 だったらとにかく歩く、歩くこと。そういう場が写真の出会いだから。 

H.O 歩いた距離に比例するからね。猟みたいなもんで取れ高だから、収穫ですよ。 

菊池 猟ってあのハンティングね。 

鈴木 で、それやってくとあるとき突然、それこそよく言うけど神の助けじゃないけど、それがやって来て、えっ!こんなとこ有ったのかって、そういう瞬間って必ずあるから。 

菊池 よく言うじゃないですか「写真の神様に導かれて、今角を曲がったらいいのがあった」とか、そういうの必ずありますから。
 
H.O だから腹減ったりお茶のみたくなっても、歩く。そうするとなんか有る。
 
★★★★★★★★

M.Iさんの写真を見る

 
M.I えーと私が撮ってるものはですね、いちおう目には、一般的には見ない、じゃない見えない、こんなものは日常には無いんですけど。写しているのは世界の状況とか、思い描いてるのはそういうことです。
 
 こっちの作品二枚の組写は、タイトルは「zoom」ですけど、この赤いところをズームしていくとこれになるんですね。どういう切り取り方をするかで、見え方っていうのはすごく変わってくるんですね。そういうのをまんま写してもいいんですけど、まあ私はこういう作風を持ってるので、こういうのをしてみようとして作ったのが「zoom」という作品です。
  
 で、タイトルがフォーカスでないのは、日々の情勢に人がフォーカスしてるかっていうと、そうではなくて取りあえずズームして何んかを感じていると思ったので、フォーカスよりはズームというタイトルにしました。
 
 で、こちらが「imitation」でこちらが「dropping」なんですが、二色使ってこういうのを作るのを連作でやっています。
 
鈴木 ちょっと、もう一回言ってくれる。
 
M.I 二色の色を、似てるかもしれませんが、二色使って連作をずっとやってまして、世の中は二色、いろんな二つの力があると思うんですよ。
 いろんな見方ができるんですけど、そういうのが境界があって均衡してそのポイントがあって、今そのポイントがあって、というかそのポイントを見つけたくて、いろいろ研究をしていたりとか戦ったりとかしていると思うんですね。
 で、そういうのを表したくて基本二色で写真を撮っています。
   
 で、人によってイメージはそれぞれ持って良いと思ってるんですけども、私が撮ったときのイメージは、これは日本とアメリカなんですけど、右と左っていうのは単純に自分は右は赤で、左はこういう色だと思っているからなんですけど。
   
 私アメリカに一年間留学してまして、アメリカで向こうの情勢を見て思ったのは、まあ資本主義云々とか言ってるけども、私、安倍さん嫌いなんですよ、なんか右翼とかそういうの好きだし、なんだかんだ好きだし、まあそういうのが混ざるのはいいし、そういう流れなので良いと思うんですけど、(今の日本の状況が)こういうふうな感じになってるのかなと思ったのでこういう感じ=どす黒い感じで。
     
 何んか日本ってマネするの好きじゃないですか、別にマネすることは悪いことじゃないと思うんですけど、いくらマネしてもマネはマネで、何んか淡いだけでよくわかんないっていう、それが日本なんじゃないかと思って撮ったんで。そういうふうに思いつつ、ウーンって思いながらフーッてやって、ポッと撮ったんです。
   
 で、もう一枚あったのは「ground」って言って、持ってこれなかったんですけど、長いやつなんですけど。
 まあ「ground」というのは、こっちにも写ってるんですけど、落ち葉が落ちてて、まあグランドって踏みしめてる地面っていうのはいろんなものが堆積してできたもので、そこには歴史もあるし、例えば早稲田キャンパスだったらいろんな人が死んだとか、射撃場だったとか、いろんなグランドには歴史があるじゃないですか。そういうのが実はもうちょっと滲み出てるんだろうなと思って撮ったのがこの写真です。
 
[zoom]
菊池 これがこれの一部だって?どこですか?
 
M.I    ここの真ん中のへんをズームしたときに。
 
鈴木 で、撮影意図というのは。
 
M.I    はい?
 
鈴木 いま話していたでしょ、いろいろこういう写真を撮ったことを。
 僕が見て、あー面白いなと思ったのは、この二つがかなり好きで、こっちのデジタルっぽい方は、色自体は好きじゃないけど、ただ面白いとは思ったね。
    あと私、友人に現代美術の版画家が何人かいて、版画家はいま写真を使うことが当たり前になってて、写真と版画が交差してるわけだけど、そういう友人たちの現代版画の作品を思い出した。
     
 で、そのアメリカ云々とかそういう意図というのはどちらかというと文章の世界で、写真の場合は観る人間の自由に任せるべきだと、僕は思ってるんだよね。
     
 それと、これなんかは撮るっていう時に何を撮るわけ?いや単純にどうやって撮ってるの?
 
M.I えーとボールに水を張って、それを地面なり、何もないところに置いてインクを垂らして撮っています。なのでこういうところは外で撮ってますので、若干太陽とかの反射とか入って明るくなってますね。こういうのは室内とかで、下からこう当てて撮ってるのでそういうのはないですけど。
 
H.O あのね、Iさんの口上込みで作品があると思う
 
M.I   口上?
 
H.O 口上、いまのトーク。あなたのトーク込みでようやくこの意味が分かる。写真の1枚1枚というよりは、Iさんのプロテストというか、まあ極めてポリティカルな意見をお持ちのようですけど、それが込みで一つの作品になっているから。要するにこういう形でしか表現としては完結しないんじゃないか。
 
M.I そうです。だから今日この機会をすごい楽しみにしていて。
 
H.O 一枚のまあその滲みっぽい、単なる滲みっぽい写真、まあ抽象絵画もそうだけど、だからそれだけではわかんなくて、エイエイエイッて自分でやってパシャッと撮っている。
  まあ表現のレベルとしてはどうか、というより、行為としては新しいかなと思う。そういう口上つきの、トークつき写真プレゼンテーションで表現を完結するという形がなるほどなと思って。
    自分がアメリカに行ってどうのこうのっていう点に関しては、写真的な目線で見ちゃうと、まあまあ実験的なことをやってらっしゃるなということで、あとあれですねどっちかというと抽象絵画。
 
M.I そうですね、ジャクソン・ポロックとか。
 
H.O そうそうだから美大系。やっていることは女子美の人とかがやりそうな範疇のとこに行ってて、だからそれを写真というメディアを使ってわざわざ早稲田大学写真部でやるとユニークかもしれないけど、まあまあそういう意味で言うとちょっと新しいっていうかね、他の皆さんとはちょっと路線が違うところに突き進んでいらっしゃる気がして、これが変わっていくとどうなるのかなと思うとおもしろい、という感じですけど。
 
ground
 
M.I    いちおうポートレートとか景色みたいのは撮るんですけど、作品となるとやっぱり。
 
鈴木 撮ることは撮るわけだ。
 
M.I   撮ります、まだこの場に出したことはないですけど。
 
鈴木 そっちも、ちょっと見てみたいね。
 
H.O 文章で書いちゃった方が早いような気もするけど、でもあえてこれでやっているのが。
 
M.I   あっ、タイトルとこれだけでは絶対伝わってないなというのはわかっているし、それを今後どうしていくべきかというのが自分の課題で。
 
H.O 最初に文章にいかないで、最初こっちに行ってるとこがおもしろいんですよ。
 
鈴木 だから口上つきだったらまだしも、要するにこの写真みてIさんが言ったことは誰も思わないわけだよね。 
 で、それで良いのかどうかということだけど、正確じゃなく、アバウトにでも伝わるのかどうか。写真でも小説でも美術でもそうだけど、皆んな何かしらいろんなことを考えて、政治的なことも考えて抽象絵画描いている人もいるわけだけど、でもそれを展示した抽象絵画を観るときに、今のアメリカ状勢とかわからせたいというのは、要するに作者の我が儘っていうか、一方的な思い込みになっちゃうわけだから。
そこでね、いわゆる文章つきだとか口上つきだとか、そこらへんの問題はどう思う?
 
M.I   展示会場でずっと立って話してればいいんですけど。
 
H.O だからね露店みたいにね、昔のガマの油売りみたいに。だからそれしか無いわけだよね、そのパフォーマンスしかないんだけど、それじゃあまりにも伝わりにくいし、効率が悪いっていうかね。
 
M.I   できれば写真でやりたいんですよ。
 
H.O だから写真に撮って完成したっていうのが弱いんだよね。むしろ、そういう想念を写真で伝えたいのであれば、もっと写真のやり方を考えて。
  口上つきでやるにしても、もうちょっとこの絵自体が。もっと努力したほうがいいということだよね。
 
菊池 ぼくも一年の頃こういう抽象絵画風のものをやったことあるの。
     で、その時の先輩に言われましたよ、「これは写真じゃないよ」と。
  確かにそうだよね。だけどね、こういうのをやった経験からいうと、こういう作品は何気なく撮っているようで何回も試作をやっているんだよね。
 写真っていうのは街角まわってパアーッと見て瞬間的にどこを撮ったら良いか判断するのが一つと、モノをジーッと見ていてどこから撮ったら良いかを発見して行くのと二つあるんですよ。
   
 で、この絵が成功しているかどうかちょっと判らないんですけども、そういう見方の二つのうちの一つの大事なものをあなたは嫌じゃなくてできる人だと思う。普通の人だったらこんな辛気臭いこと厭ですよ。
  だけどね、それができるのがもしかしたら将来豹変するかもね、という感想をもちました。なかなかいますぐ完成品なんかできないよね。
 
鈴木 そういう想いで撮っていること自体は大賛成ですよ、世界のことを何も考えないで撮ってるのよりは大賛成。
 それと、文章つきか、口上つきか、という問題が。それが今後の課題だね、これからの。
 
菊池 口上もおもしろかったけどね、大道芸みたいで(笑)
 
M.I   しゃべるの好きです、けっこう。
 
H.O ぶつぶついいながらこう録って、それを流しとくとかね。
 
M.I   テープレコーダーで。
 
鈴木 あと、機会があったらポートレートみたいなのも観てみたい気がします。
 
★★★★★★★★★

M.Mさんの作品を見る

 
菊池 じゅうびょうといろ?
 
鈴木 じゅうねこって読ませたいの?
 
M.M えーと読まれることは想定してなくてそれぞれ読んでもらえたらなと思いました。自分でも読めない。
 
鈴木 タイトルぎりぎりで、もうちょいユーモアを感じさせるかどうかっていうところでぎりぎりかなという感じがします。
 
M.M 本当は猫って、野良猫撮ったんですけど、人に可愛がられて幸せそうな猫も、いっぱい居るんですけど、捨てられちゃってすごい悲しそうな顔をしていたり、そういうのも居たりするんですけど、早稲田祭でそういう暗い猫をもってくるかって悩んで、こういうものを出すことになりました。
 
 
【十猫十色】
 
H.O なんで暗い猫は早稲田祭に出すと、なんかそのネガティブなチェックを自分で入れたのか、どういう流れで