本書は日本の写真家100人(上下巻・各50人)と、その代表作について記した読み物である。ときに社会的なリスクを負ってまで取り組む写真家の個人的動機。そして、彼らの仕事に反応し、それを評価した同時代的状況。その接点をひとつずつ積み重ねていくと、現代史の実感が改めて見えてくる。(帯から引用)
早稲田大学写真部OB会
今年も菊池さん(昭42卒)と宇野さん(昭45卒)にご協力いただき合評会が始まりました。
実家からの帰りにiphoneで隠し撮りした写真だそうです。
加工してみごとに作品に仕上がっています。いつでもどこでもチャンスはあるということですね。
カラーネガで撮影してスキャンしてプリントしています。
ここ数年この手法が流行っています。デジタルのガチガチした描写ではないやさしい表現に合っているのでしょうね。微笑ましい母の視線がよいと思います。
ノーファインダーでここまでクリヤーに写るのはすごいですね。
完成度の高い作品を次から次へと発表しているTくん。昨年の早稲田祭合評会で写真家の元田敬三さんから指摘されていた作家としてのオリジナリティーのある作品作りが課題であるように思いました。
稲城のタウン誌「グレーピア」に「稲城百景」と称して、2014年の10月から稲城を紹介する記事とイラストを12回連載しました。その12回の連載記事に新たに24の文章とイラストと写真を足して、「稲城三十六景」と題してこの度単行本を出版しました。
小学校と中学校の授業の中で作文の授業が最も苦手だったのに、自分の書いた随筆が出版されるのは夢のようです。何事も諦めないで努力するものだと思いました。
稲城で暮らすようになって30数年、取材を始めるとまだまだ自分の知らない稲城の魅力が沢山あると気付きました。私の拙い文章でその魅力を伝えられたか疑問ですが、足りないところは絵と写真で補っていると思っています。
稲城市内の一部の本屋さん、いなぎ発信基地ペアテラスやアマゾンで購入できます。ご高覧下さいますよう、お願い申し上げます。
はじめに
1941(昭和16)年12月8日、日本陸軍はマレー半島に上陸し、海軍は真珠湾を奇襲した。蘭印(蘭領東インド、現インドネシア)との石油輸入交渉「日蘭会商」の打切りから6ヵ月、米国の日本資産凍結、「石油禁輸」の実施から4ヵ月後の開戦であった。この時、中国との戦争はすでに4年5ヵ月続いており、西に中国、南に英国、オランダ、豪州、東に米国と「三面戦争」の開始であった。
開戦前の同年7月25日、日本の南部仏印(現ベトナム南部、カンボジア、ラオス)への進駐部隊が海南島を出港した。同日、米国は在米日本資産の凍結令を公布した。翌日以降、英国、フィリピン、蘭印がこれに続いた。8月1日、米国は日本に対する全ての石油輸出の許可制を発動し実質的な石油禁輸を行った。日本限定の世界最初の「石油危機」の発生でり、南部仏印進駐に対する米国の厳しい制裁であった。この米国の対応は日本にとって想定外であり、政府、陸海軍に大きな衝撃を与えた。それ以前から米国は日本の南進に対して強く警告を行っていたが、日本は米国の真意が理解できていなかった。
第一次大戦以降、戦争は当事国の軍隊だけでなく産業、人口、資源を総動員する総力戦になることが見込まれていた。石油がなければ軍艦も飛行機もただの鉄とアルミの塊に過ぎないが、日本はこの石油資源に恵まれておらず石油需要の9割強は海外から輸入していた。その輸入の6?7割は米国からであった。日本は米国から輸入した石油で国内産業を動かし、中国との戦争を戦っていたのである。政府はこの石油の米国依存に危惧をもち、日中戦争の開始後、米国の経済制裁、特に石油に関連した制裁が強まると米国に代わる石油供給源を求めた。それが蘭印であった。政府は蘭印の宗主国オランダがドイツに占領されると蘭印から石油を中心とする戦略物資の輸入を計画する。この輸入交渉は「日蘭会商」と呼ばれ1940年9月から翌年6月まで行われた。この日蘭会商はアジア・太平洋戦争の前哨戦でもあった。交渉はそれなりの成果をあげたが日本は満足しなかった。本書ではこの交渉の過程に焦点を当てた。そこには日本の南進の意図とこれに対するオランダを中心に英米の日本の南進阻止の戦略が浮き上がってくる。米国の石油禁輸を受けて、日本の陸海軍は急速に米国との戦争へと傾いていった。アジア・太平洋戦争は、具体的には米国の石油禁輸の後、日本が蘭印に石油の代替供給を求めた戦いであった。また、開戦時の真珠湾攻撃が成功するかどうかの最大の懸案は艦隊への石油補給であった。日本の艦隊は長距離渡洋用に設計されていなかった。攻撃の機動部隊は予備油槽を設置し、ドラム缶、石油缶を積載して出撃した。本書ではこの機動部隊の航海にも焦点を当てた。アジア・太平洋戦争は開戦前、緒戦、戦争中も石油が大きな課題であり、石油を求めた戦争であった。では、なぜ、最重要物資の石油の輸出国、米国と戦争をすることになったのであろうか。また、この事態の急変に対して日本はどのような予測と対処をしたのであろうか。そこには満州事変以来、10年間の日本の対外政策の集積があった。本書は石油に
焦点を当ててこの「アジア・太平洋戦争と石油」の関係を明らかにする。
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b357764.html
稲門写真クラブの関根史さん(平26卒)ふげん社店主の提案で早慶現役とOBの撮り鉄写真展が実現しました。
■開催概要 撮り鉄早慶戦2018 会期:6月19日(火)〜7月7日(土) 前期 6月19日(火)〜6月28日(木) 後期 6月29日(金)〜7月7日(土) 火-金 12時〜19時 / 土 12時〜17時 / 日・月休 会場:コミュニケーションギャラリーふげん社 〒104-0045 東京都中央区築地1-8-4 築地ガーデンビル 2F TEL:03-6264-3665
投票もありますのでぜひ足をお運びください。
出品者の展示は前期と後期に分かれます。
前期
昭和38年 庄村勝男、平成3年 増田智、平成11年 寺尾健太郎、昭和50年 湯川登紀雄、昭和60年 塩澤秀樹、平成2年 下原英幸、平成4年 内海敬一郎、平成7年 酒井敏寛(順不同敬称略)
後期
昭和42年 漆原勝造、昭和45年 白谷達也、昭和46年 石崎幸治、平成2年 金城正道、昭和63年 木内格志、昭和43年 横井太郎、昭和43年 守屋道治、平成10年 中藤毅彦(順不同敬称略)
平成26年2月11日にお亡くなりになった、昭和34年卒の丸山好雄さんの訃報を、修正・追記しました。
https://wp.me/p9kr1f-2P
昭和35年卒の植田安平さんが昨年5月に、同年卒の唐木正雄さんが12月に亡くなっておられることがわかりました。詳細は不明です。
稲門写真クラブの会員でもあるふげん社の関根史さんからの「現役・OB合同 撮り鉄早慶戦2018」の作品募集がありました。とりあえず4月末までに興味あるかたは連絡ください。
連絡先 増田 智 masudasj@zc5.so-net.ne.jp
「現役・OB合同 撮り鉄早慶戦2018」
開催のご案内と出品のお願い
ふげん社
代表 関根 薫
東京都中央区築地1-8-4
築地ガーデンビル2F
謹啓 陽春の候 貴会におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
この度は、弊店にて6月下旬に開催いたします「撮り鉄早慶戦2018」のご案内と出品のお願いでご連絡を差し上げました。
弊店は、創業68年目の渡辺美術印刷株式会社が東京・築地にて運営する、ブックカフェ・ギャラリースペースです。ギャラリーでは企画展を中心に展覧会を開催しながら、イベントスペースとして作家によるトークイベント、落語会や歌舞伎セミナーなどを開催しております。書店ではセレクトした新刊を仕入れ販売しております。
3年前からスタートした企画展「撮り鉄早慶戦」は、早稲田大学写真部と慶應義塾大学カメラクラブに所属する鉄道好きの学生が鉄道写真を出品し、来場者の投票で勝敗を決定する、年に一度のイベントです。
「鉄道落語」の創始者である噺家・古今亭駒次さんの鉄道落語会を弊店でおこなうことが決まり、ギャラリーで鉄道写真展を同時開催するべく、店主の出身サークルである早稲田大学写真部に協力を仰ぎ、企画したのが始まりでした。
落語二席の間におこなわれる出展学生と駒次さんによる鉄道トークは、例年盛り上がります。
3年目となる今年の「撮り鉄早慶戦」は、より社会的な広がりのあるイベントとしたく、現役生・OBの皆様の合同展として「撮り鉄早慶戦2018」を企画いたします。
4月下旬より改装工事をし、ギャラリーをリニューアルいたしますので、より作品に集中してご覧いただけるスペースとなります。
ぜひOBの皆様にはふるってご参加いただき、イベントを盛り上げていただきたく存じます。
鉄道写真をとおし、早稲田・慶応、現役・OBの交流はもちろん、弊店に集うさまざまな方々とのご交流をお楽しみいただけましたら幸いです。
何卒宜しくお願い申し上げます。
謹白
【開催概要】
現役・OBOG合同 撮り鉄早慶戦2018
会期:6月19日(火)〜7月7日(土) 休廊:日・月
企画・会場:コミュニケーションギャラリーふげん社
〒104-0045 東京都中央区築地1-8-4 築地ガーデンビル 2F
TEL:03-6264-3665 MAIL:info@fugensha.jp
搬入:6月18日(月) 10時〜
搬出:7月7日(土) 17時〜
撮り鉄交流会:6月30日(土)14時〜 参加費1000円 写真展会場にて
どなたでもご参加可能です。
ささやかですがワインと乾き物をご用意いたします。お持ち込み歓迎。
【出品条件】
<前期6/19(火)〜6/28(木) ・・・30点>
早稲田 現役7点 OB 8点 慶応 現役8点 OB 7点
早稲田 現役8点 OB 7点 慶応 現役7点 OB 5点
作者名・タイトル・撮影日・撮影場所・車両・撮影エピソード100~150字程度
【イベント】
古今亭駒次の鉄道落語会
7月6日(金)19時〜 参加費1,500円(ドリンク付)
「鉄道落語」のパイオニアであり、新書「鉄道落語」(交通新聞社)の著者である噺家
古今亭駒次さんによる鉄道落語会を開催します。鉄道にまつわる濃ゆ〜い新作落語2席を披露。駒次×「撮り鉄早慶戦」出展者によるトークショーも予定しています。
築地で名調子!東家一太郎 ふげん社の会 第6回 早稲田SP
6月22日(金)19時〜 参加費1,500円(ドリンク付)
早稲田大学出身の浪曲師東家一太郎が、早稲田浪曲2席を初披露!
1席は書き下ろし新作、もう1席は尾崎士郎の名作「人生劇場」を予定しております。
【過去のイベントのようす】
銀座経済新聞 記事
https://ginza.keizai.biz/headline/3241/
【本企画に関するお問い合わせ先】
ふげん社店主 関根 史(稲門写真クラブ所属)
info@fugensha.jp 03-6264-3665
春暖の候、過ごしやすい季節になりました。
本日は早稲田大学写真部「椿季展」にお越しいただき、誠にありがとうございます。
この椿季展は毎年3月に行われ、卒業生3名を含む卒展として開催しております。入念に部員たちが準備を進め、試行錯誤を重ねた作品をご覧いただけますと幸いです。
本日はどうぞごゆっくりお楽しみください。
2018年3月20日
早稲田大学写真部部員一同
・卒業生K.Kくんの作品
今回も鉄道のある風景です。夕方の黄昏どきのどこか優しさが感じられる作品でした。それにしても彼の写真は湘南に夏に飛来するアオバトの写真が印象深いです。
英国で撮影されたようです。良い海風を感じることができました。プリントにやや難があるように見えました。
・卒業生K.Yくんの作品
1年生から一貫したスタイルで追ってきたテーマの集大成でした。このまま撮り続けていってほしいですね。6?6でフィルム撮影してスキャンしてデータ化してプリントするといった我々の時代では考えられない方法で制作しています。
毎度、なんとも言えない作品になっています。植物の隙間の一点に合焦していました。ボケた植物の感じが何とも不思議な世界を展開していました。
・Tさんの作品
何気ない風景ですがTさんの感性で作品になっていると思います。いつもカメラを持ち歩いていないと撮れない写真ですね。自分の感性を大切にしてほしいです。
不思議な色合いでした。思ったプリントにするために紙選びからやったそうです。それは成功しているな〜と思いました。
・Wくんの作品
車からのバックファイヤーに焦点を絞って撮影したショットは1500カットだそうです。執念なくして撮れませんね。この日はトータルで6000ショット撮ったそうです。セレクトは地獄ですね。
マニアックな1カットですね。地獄のセレクト作業などにも若さを感じました。レーシングカーのマフラーが出ている場所を初めて知りました。ご苦労さん!!
・Tくんの作品
最近はシャドー部をいかに調子を残しより黒に近づけていくかにこだわって制作してるようです。インクジェット紙もいろいろ試している様子。会場の照明ではつぶれてしまい残念でした。
いつものとうりフランスで撮影されたものだと思っていましたが、蒲田での撮影でした。パリから蒲田への移動に?非凡さ?を感じました。この間まで、「Tくんもプリントが上手になった〜」と思っていたのに、今回、ちっとも上達していないことが判りました。精進!精進!!
歴代の幹事長が3名そろいましたので写真を撮りました。前代表の鈴木文武さんが現役生のもとに足しげく通い、OBと現役生の関係復活を志され、ずいぶんたったのを実感しました。
今回の「椿季展」は、折角「WPS」OBの関根 史さんが店主の「ふげん社」ギャラリーでの開催だったのにちょっと低調で寂しかったけど、毎回メンバーが変わるから仕方ないか。強い写真で年寄りにショックを与えて、年寄りに元気を与えてください。
昭和46年卒の金井靖雄さんが、大晦日に肺炎のため亡くなっていたことが判りました。
僕の二代後の代表委員でしたが、写真部のことよりも学生運動の方に精力を注いでいたように仄聞します。文学部だった金井くんは、革マル派の襲撃を常時警戒していて、当時、商学部の地下にあった写真部部室に隣接して革マル派の拠点が有ったため、部室に近寄れなかったのかもしれません。
「いわた」で麻雀をして、深夜に馬場の方にキャンパスを抜ける時など「白谷さん、革マルがやばいから離れないでね」とすり寄って来られて緊張したものでした。
革マルにはやられませんでしたが、癌にやられてしまいました。前回の「写真の早慶戦」の時には、受付けを元気にやってくれていたのに、唐突と思える旅立ちでした(昭和45年卒・白谷達也)