「私的昭和史 桑原甲子雄写真集」  昭和44年卒・平嶋彰彦

◎昭和44年卒の平嶋彰彦さんの手によって、素晴らしい本が編み出されましたのでおしらせします。(昭和45卒・白谷達也)

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  1年ほど前からとりくんできた桑原甲子雄の作品集をこの10月に毎日新聞社より刊行しましたので、ご案内いたします。
 
○『私的昭和史 桑原甲子雄写真集』
 上巻「東京・戦前篇」/解説・松山巖
 
下巻「満州紀行、東京・戦後篇」/解説(口述)・荒木経惟
B5判(上巻336頁、下巻319頁)。
3800円+税。発行元・毎日新聞社
 
編者は毎日新聞社の後輩で写真家の伊藤愼一と私(平嶋彰彦)です。
私は桑原甲子雄の作品と業績については通りいっぺんの知識しかなかったのですが、世田谷美術館を介して著作権代行をたのまれ、心ならずも引き受けるはめになりました。遺品のプリントや撮影ネガは、いずれどこか適当な機関に寄贈するつもりでいますが、その整理のかたわらカタログ代わりに制作したのがこの写真集です。
桑原甲子雄は折々の徒然に膨大な写真をうつしました。きわめて私的な興味に任せたものに過ぎないのですが、ていねいにみていくと、下町生活の地平から見た昭和の東京が浮き彫りになり、逝き去りし日の生命のざわめきが聞こえてきます。そこで写真集のタイトルを「私的昭和史」としてみました。
 
桑原甲子雄(19132007年)は、戦前にアマチュア写真界のホープとして木村伊兵衛や堀野正雄から将来を期待されましたが、写真家としては終生アマチュアのまま通しました。生家は上野駅近く(車坂町、現・東上野3丁目)の質屋。その跡取り息子です。
濱谷浩は早稲田大学写真部の先輩の方々が世話になった写真家。桑原の家とは隣どうしで、二人は幼友達でした。写真評論家の田中雅夫は濱谷の実兄。桑原は濱谷から写真技術を習いおぼえたということです。
桑原は終戦直後に家業をはなれ、まったく経験のない写真雑誌の編集者、それもいきなり編集長になりました。以来1970年代まで何誌ものの編集長を歴任しています。
資料を調べていくうちに、戦後写真界の新しい動きに暖かい眼差しをそそぎ新人作家の育成に力を注いだ大変な編集者だったことが少しずつ分かってきました。1950年代には、写真雑誌『カメラ』(アルス社)の月例選者に木村伊兵衛と土門拳を起用し、この二人の熱のこもった合同審査から戦後のリアリズム写真の運動が生まれたといわれています
森山大道や荒木経惟も1960年代に桑原甲子雄から少なからず恩恵をうけていたようです。森山はデビュー作『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、1968年)を刊行した当初、まともな批評をしてくれたのは桑原甲子雄たった一人だったと『写真よさようなら』(写真評論社、1974年、中平卓馬との対談)で発言しています。荒木は桑原がその「天才」的な資質を見ぬいて、写真誌『カメラ芸術』(中日新聞社)や『フォトコンテスト』(写真評論社、発行人吉村伸也)の表紙・口絵に重用した写真家です。
ちなみに吉村伸也は早稲田大学写真部のOB。私財をもって写真評論社を設立し、『フォトコンテスト』と併行して『季刊 写真映像』を発行していました。その編集長を桑原甲子雄がつとめています。また『写真よさようなら』は吉村の編集です。
 
荒木経惟には、口述ですが、下巻で写真と人物像について解説してもらいました。そのなかで「桑原写真は写真の写真たる頂点かもしれない」と述べていますが、私は桑原甲子雄の写真はアマチュアリズムの理想ではないかと思っています。
 
書店に立ち寄る機会があれば、ぜひ手にとってみてください。
 
2013.10.22 昭和44年卒・平嶋彰彦