◎ 早稲田祭展合評会報告Vol.3
昨年11月10日(日)に深見幹事長(当時)以下現役学生14名とOB5名が学生会館に集いました。
4時間半に及んだ合評会の第3回目の報告です。
★参加者
・ 昭和41年卒・鈴木龍一郎さん(写真家)
・ 昭和42年卒・菊池武範さん(写真家)
・昭和59年卒・H.Okadaさん(写真家)
・ 現役学生(1年生?5年生)14名
(幹事会メンバーの平成3年卒・増田 智、昭和45年卒・白谷達也が記録係りを勤めました)
【初めに一言】
(前2回と同じ内容です)
鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て、私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。
今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。
あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか。あるいは今、あなた方学生さんの就活の問題とか、あるいは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ。1963年、考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
皆さんの写真を早稲田祭でも展示で拝見しましたけど、それに加えて、今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
H.O:84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。
その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思った。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。
★★★★★★★
H.Iさんの写真を見る
H.I タイトルが「being lost」で失われることなんです。このバス停を撮ったのはすごい夜なんですけど、人がいないところで。ここはもとがなんだったか判らないんですけど建設現場で。これは鉄条網のなかにある鉄柱なんですけど。
で、自分には手が届かないものみたいなものを表現できればなと思って撮ったんですけど。
【being lost】
菊池 ぼくは、左上と右下の写真はいらないんじゃないかなと思ったんだよね。
H.I 最初この2枚で作ったんですけど。
菊池 でも、この2枚だけにしちゃうと、ちょっとまた不満なんだよね。
H.O この2枚を軸にするんだったら、これふたつの要素があるじゃない。夜景っていうのと、一つはコンポジション。その方向でもう少し狙っていけばいいかもね。
この有刺鉄線とフェンスっていうのは、まあ正直足りなかったんだろうなと、思います。だからこの2点、夜景は今撮れちゃうからね。前はこんなの撮るの大変だったからね。必ずブレていたのがパシッと撮れちゃうから。だったらこの軸で、もうちょっと広げると良かったのではないでしょうか。
菊池 この写真は撮ったらこの色だったの?それともあとから変えたの?
H.I ちょっとだけ変えてるんですけど、ほとんど変えてないです。
菊池 でね、この色味ね、デジタル独特の色味なんだよね。これはこれで僕はいいんだと思うんですよ。
鈴木 夜景だって気づかなかったよ、俺。
H.O これさーパイプ椅子の位置とか直しに行ってるでしょ。ちゃんとこの位置でいつもあるの?
H.I 行ってないです。(笑い)
H.O これはどこのバス?国際興業か。国際興業これ置いてるんですかね?あなたが持ち歩いてるんじゃないよね?(笑い)
妙にインスタレーションっぽいじゃない、これ雰囲気としては。狙ってるともうちょうこっちにやりたくなると思うね。この辺もきちっと間隔合ってるんで、やってるんじゃないのって思ったけどやってないんですね。
鈴木 またタイトルなんだけど、タイトル気になるなあ。再検討してください。
それで、この4枚の組み合わせでは分裂してるなって思ったね。要するに、こちら2人がどっちかっていうと夜景の方で、僕が関心あるのはこっちの2枚。
だからそのくらい写真っていうのは、受け取り方が見る人間によって違うんだよ。
こっちを仮に鉄線シリーズっていうと、このシリーズでもっと歩いて発展すると何か出てくるんじゃないかなって思った。
こっちの夜景の方は単なる構成的なコンポジションで、それ以上の面白さは感じられないんだよね、僕には。こっちでどんどん歩いて、全部が金網と鉄線ならそれでもいいし、あるいは他の物でもいいけど、写真って理屈じゃないんで、現代の、現代社会の閉塞感のようなもの、言葉として言っちゃうとそんな風になるけど、そういうので撮ってゆくと、鉄線とか、あと金網とかを集中的に撮る。
だからもっと歩いて。こっちの夜景でやるという方法もある。
H.O モノクロ的な感覚とか、造形的なものとか、写真的な言語っていろいろあるんですよ。だからそれを起点に、膨らませるってこともある。
夜景写真のおもしろさっていうのは、実際そこでみているものを写真にすると全然違って見えるということなんだよね。いわばシュールなもの、それを一つの見方として自分の中で持ってて、撮る時に、あっこれはそっちだって思っていくとより深まるよね。だからそういういろいろな引き出しがあれば、出会ったときこっちこっちって、行けばいいので。
白谷 4枚をたすき掛けにしたっていうことに何か意味があるんじゃない?
H.I ここ二つにして並べちゃうと、下いらなくてなっちゃうって。どっちかになっちゃうかなと、こう斜めにしたんですけど。
H.O AB型?
H.I Bです。(笑い)
H.O いやセパレ−トだからね、だからいいんですよこれは。これはこれでいいんだけど。ただでもね、僕の感覚でいくとこれ(バス停)を基軸にしたくなるので。じゃあ有刺鉄線とフェンスシリーズにいくっていうのだったらもっと捻るよね。単純に夜景にしてもいいですよ、これを置き換えてまあそういう・・・。
菊池 話の途中ですけどね、こういうディティールが出るっていうのは、これフィルムじゃ出ないんだよね、フィルムで撮るとね、暗部がつぶれちゃんですよね必ず。ところがねデシタルでやると出るんだよね。
これは今までフィルムでやっていた人にはできない方法だから、決してバカにしたもんじゃないですよ。ディティールが出るんですよ手触り感が。銀塩で夜景撮ったら絶対こういうふうには出ないからね、それは新しいアドバンテージをもらってるわけだから、それはやってもいいんじゃないかな、少しおとなし過ぎるかなとは思うんだけどね。
H.I 金網とか金属みたいのが好きなので、また次回広げられたらいいと思います。
菊池 じゃあ金網でいくべきだな、次回。
鈴木 だったらとにかく歩く、歩くこと。そういう場が写真の出会いだから。
H.O 歩いた距離に比例するからね。猟みたいなもんで取れ高だから、収穫ですよ。
菊池 猟ってあのハンティングね。
鈴木 で、それやってくとあるとき突然、それこそよく言うけど神の助けじゃないけど、それがやって来て、えっ!こんなとこ有ったのかって、そういう瞬間って必ずあるから。
菊池 よく言うじゃないですか「写真の神様に導かれて、今角を曲がったらいいのがあった」とか、そういうの必ずありますから。
H.O だから腹減ったりお茶のみたくなっても、歩く。そうするとなんか有る。
★★★★★★★★
M.Iさんの写真を見る
M.I えーと私が撮ってるものはですね、いちおう目には、一般的には見ない、じゃない見えない、こんなものは日常には無いんですけど。写しているのは世界の状況とか、思い描いてるのはそういうことです。
こっちの作品二枚の組写は、タイトルは「zoom」ですけど、この赤いところをズームしていくとこれになるんですね。どういう切り取り方をするかで、見え方っていうのはすごく変わってくるんですね。そういうのをまんま写してもいいんですけど、まあ私はこういう作風を持ってるので、こういうのをしてみようとして作ったのが「zoom」という作品です。
で、タイトルがフォーカスでないのは、日々の情勢に人がフォーカスしてるかっていうと、そうではなくて取りあえずズームして何んかを感じていると思ったので、フォーカスよりはズームというタイトルにしました。
で、こちらが「imitation」でこちらが「dropping」なんですが、二色使ってこういうのを作るのを連作でやっています。
鈴木 ちょっと、もう一回言ってくれる。
M.I 二色の色を、似てるかもしれませんが、二色使って連作をずっとやってまして、世の中は二色、いろんな二つの力があると思うんですよ。
いろんな見方ができるんですけど、そういうのが境界があって均衡してそのポイントがあって、今そのポイントがあって、というかそのポイントを見つけたくて、いろいろ研究をしていたりとか戦ったりとかしていると思うんですね。
で、そういうのを表したくて基本二色で写真を撮っています。
で、人によってイメージはそれぞれ持って良いと思ってるんですけども、私が撮ったときのイメージは、これは日本とアメリカなんですけど、右と左っていうのは単純に自分は右は赤で、左はこういう色だと思っているからなんですけど。
私アメリカに一年間留学してまして、アメリカで向こうの情勢を見て思ったのは、まあ資本主義云々とか言ってるけども、私、安倍さん嫌いなんですよ、なんか右翼とかそういうの好きだし、なんだかんだ好きだし、まあそういうのが混ざるのはいいし、そういう流れなので良いと思うんですけど、(今の日本の状況が)こういうふうな感じになってるのかなと思ったのでこういう感じ=どす黒い感じで。
何んか日本ってマネするの好きじゃないですか、別にマネすることは悪いことじゃないと思うんですけど、いくらマネしてもマネはマネで、何んか淡いだけでよくわかんないっていう、それが日本なんじゃないかと思って撮ったんで。そういうふうに思いつつ、ウーンって思いながらフーッてやって、ポッと撮ったんです。
で、もう一枚あったのは「ground」って言って、持ってこれなかったんですけど、長いやつなんですけど。
まあ「ground」というのは、こっちにも写ってるんですけど、落ち葉が落ちてて、まあグランドって踏みしめてる地面っていうのはいろんなものが堆積してできたもので、そこには歴史もあるし、例えば早稲田キャンパスだったらいろんな人が死んだとか、射撃場だったとか、いろんなグランドには歴史があるじゃないですか。そういうのが実はもうちょっと滲み出てるんだろうなと思って撮ったのがこの写真です。
[zoom]
菊池 これがこれの一部だって?どこですか?
M.I ここの真ん中のへんをズームしたときに。
鈴木 で、撮影意図というのは。
M.I はい?
鈴木 いま話していたでしょ、いろいろこういう写真を撮ったことを。
僕が見て、あー面白いなと思ったのは、この二つがかなり好きで、こっちのデジタルっぽい方は、色自体は好きじゃないけど、ただ面白いとは思ったね。
あと私、友人に現代美術の版画家が何人かいて、版画家はいま写真を使うことが当たり前になってて、写真と版画が交差してるわけだけど、そういう友人たちの現代版画の作品を思い出した。
で、そのアメリカ云々とかそういう意図というのはどちらかというと文章の世界で、写真の場合は観る人間の自由に任せるべきだと、僕は思ってるんだよね。
それと、これなんかは撮るっていう時に何を撮るわけ?いや単純にどうやって撮ってるの?
M.I えーとボールに水を張って、それを地面なり、何もないところに置いてインクを垂らして撮っています。なのでこういうところは外で撮ってますので、若干太陽とかの反射とか入って明るくなってますね。こういうのは室内とかで、下からこう当てて撮ってるのでそういうのはないですけど。
H.O あのね、Iさんの口上込みで作品があると思う
M.I 口上?
H.O 口上、いまのトーク。あなたのトーク込みでようやくこの意味が分かる。写真の1枚1枚というよりは、Iさんのプロテストというか、まあ極めてポリティカルな意見をお持ちのようですけど、それが込みで一つの作品になっているから。要するにこういう形でしか表現としては完結しないんじゃないか。
M.I そうです。だから今日この機会をすごい楽しみにしていて。
H.O 一枚のまあその滲みっぽい、単なる滲みっぽい写真、まあ抽象絵画もそうだけど、だからそれだけではわかんなくて、エイエイエイッて自分でやってパシャッと撮っている。
まあ表現のレベルとしてはどうか、というより、行為としては新しいかなと思う。そういう口上つきの、トークつき写真プレゼンテーションで表現を完結するという形がなるほどなと思って。
自分がアメリカに行ってどうのこうのっていう点に関しては、写真的な目線で見ちゃうと、まあまあ実験的なことをやってらっしゃるなということで、あとあれですねどっちかというと抽象絵画。
M.I そうですね、ジャクソン・ポロックとか。
H.O そうそうだから美大系。やっていることは女子美の人とかがやりそうな範疇のとこに行ってて、だからそれを写真というメディアを使ってわざわざ早稲田大学写真部でやるとユニークかもしれないけど、まあまあそういう意味で言うとちょっと新しいっていうかね、他の皆さんとはちょっと路線が違うところに突き進んでいらっしゃる気がして、これが変わっていくとどうなるのかなと思うとおもしろい、という感じですけど。
【ground】
M.I いちおうポートレートとか景色みたいのは撮るんですけど、作品となるとやっぱり。
鈴木 撮ることは撮るわけだ。
M.I 撮ります、まだこの場に出したことはないですけど。
鈴木 そっちも、ちょっと見てみたいね。
H.O 文章で書いちゃった方が早いような気もするけど、でもあえてこれでやっているのが。
M.I あっ、タイトルとこれだけでは絶対伝わってないなというのはわかっているし、それを今後どうしていくべきかというのが自分の課題で。
H.O 最初に文章にいかないで、最初こっちに行ってるとこがおもしろいんですよ。
鈴木 だから口上つきだったらまだしも、要するにこの写真みてIさんが言ったことは誰も思わないわけだよね。
で、それで良いのかどうかということだけど、正確じゃなく、アバウトにでも伝わるのかどうか。写真でも小説でも美術でもそうだけど、皆んな何かしらいろんなことを考えて、政治的なことも考えて抽象絵画描いている人もいるわけだけど、でもそれを展示した抽象絵画を観るときに、今のアメリカ状勢とかわからせたいというのは、要するに作者の我が儘っていうか、一方的な思い込みになっちゃうわけだから。
そこでね、いわゆる文章つきだとか口上つきだとか、そこらへんの問題はどう思う?
M.I 展示会場でずっと立って話してればいいんですけど。
H.O だからね露店みたいにね、昔のガマの油売りみたいに。だからそれしか無いわけだよね、そのパフォーマンスしかないんだけど、それじゃあまりにも伝わりにくいし、効率が悪いっていうかね。
M.I できれば写真でやりたいんですよ。
H.O だから写真に撮って完成したっていうのが弱いんだよね。むしろ、そういう想念を写真で伝えたいのであれば、もっと写真のやり方を考えて。
口上つきでやるにしても、もうちょっとこの絵自体が。もっと努力したほうがいいということだよね。
菊池 ぼくも一年の頃こういう抽象絵画風のものをやったことあるの。
で、その時の先輩に言われましたよ、「これは写真じゃないよ」と。
確かにそうだよね。だけどね、こういうのをやった経験からいうと、こういう作品は何気なく撮っているようで何回も試作をやっているんだよね。
写真っていうのは街角まわってパアーッと見て瞬間的にどこを撮ったら良いか判断するのが一つと、モノをジーッと見ていてどこから撮ったら良いかを発見して行くのと二つあるんですよ。
で、この絵が成功しているかどうかちょっと判らないんですけども、そういう見方の二つのうちの一つの大事なものをあなたは嫌じゃなくてできる人だと思う。普通の人だったらこんな辛気臭いこと厭ですよ。
だけどね、それができるのがもしかしたら将来豹変するかもね、という感想をもちました。なかなかいますぐ完成品なんかできないよね。
鈴木 そういう想いで撮っていること自体は大賛成ですよ、世界のことを何も考えないで撮ってるのよりは大賛成。
それと、文章つきか、口上つきか、という問題が。それが今後の課題だね、これからの。
菊池 口上もおもしろかったけどね、大道芸みたいで(笑)
M.I しゃべるの好きです、けっこう。
H.O ぶつぶついいながらこう録って、それを流しとくとかね。
M.I テープレコーダーで。
鈴木 あと、機会があったらポートレートみたいなのも観てみたい気がします。
★★★★★★★★★
M.Mさんの作品を見る
菊池 じゅうびょうといろ?
鈴木 じゅうねこって読ませたいの?
M.M えーと読まれることは想定してなくてそれぞれ読んでもらえたらなと思いました。自分でも読めない。
鈴木 タイトルぎりぎりで、もうちょいユーモアを感じさせるかどうかっていうところでぎりぎりかなという感じがします。
M.M 本当は猫って、野良猫撮ったんですけど、人に可愛がられて幸せそうな猫も、いっぱい居るんですけど、捨てられちゃってすごい悲しそうな顔をしていたり、そういうのも居たりするんですけど、早稲田祭でそういう暗い猫をもってくるかって悩んで、こういうものを出すことになりました。
【十猫十色】
H.O なんで暗い猫は早稲田祭に出すと、なんかそのネガティブなチェックを自分で入れたのか、どういう流れで