【訃報】昭和32年卒の須田善一さんが亡くなりました。

昭和32年卒の須田善一さんは、脳梗塞でかねてから療養中でしたが、12月31日夜ご自宅で亡くなられました。享年83歳でした。

週刊誌創刊ラッシュの時代に、文藝春秋写真部の初代写真部員として暗室作りから携わり、「文藝春秋」「週刊文春」など文藝春秋社のすべての出版物のための写真撮影をはじめ、「ぜんちゃん、ぜんちゃん」と慕われて「キャップ」を定年まで務められました。

美代子夫人とは早稲田大学写真部の同期です。

【訃報】昭和33年卒の高橋敏男さんが亡くなられました

昭和33年卒の高橋敏男さんが15日に亡くなられました。81歳でした。2年前に脳梗塞で倒れられて療養中だったそうですが、安らかに逝かれたそうです。

 葬儀は1日葬で、4月24日(月)12時から13時「川崎北部斎苑」川崎市高津区下作延6−18−1

         044−822−3171で執り行われます。喪主は長女の高橋麻里さんです。

【稲門写真クラブ】からお花と弔電を手配いたしました。

【訃報】昭和34年卒の丸山好雄さんが亡くなっていたことがわかりました

◎昭和34年卒の丸山好雄さんが、長年患っておられた肺気腫で、昨年(平成26年)2月11日に亡くなられていたことがわかりました。ご冥福をお祈りいたします。

※【修正・追記】平成30年5月14日、ご家族からのご連絡がありましたので、本記事を修正・追記いたしました。(平成2年卒・金城)

 

【訃報】昭和31年卒の新田満夫さんが亡くなられました

 

(昭和32年卒の村上照信さんから一報が寄せられました)
 
◎昭和31年卒の新田満夫さんが10月27日に肝臓がんのため都内の病院で亡くなられました。享年82歳。
 
 新田さんは大学卒業後渡米され洋書業界について学ばれ、昭和35年2月、戦争で活動を停止していた『雄松堂書店』を木造2階建ての社屋から再興されました。
 マイクロフィルム出版事業、図書館関連の諸事業、古書業の国際化、書誌学上の優れた研究や業績を顕彰するゲスナー賞を創設されるなど、紙の本文化に関わる功績には目を見張るものがあります。
 
 2010年のサザビーズ・オークションで9億6千万円ほどで落札された大著「アメリカの鳥」の復刻版を、国内各方面に呼びかけ印刷・製紙・製本技術を結集し『雄松堂』から出版された時には大いにマスメディアを沸かせました。
 
 紙の本の受難のこの時代に、誠に惜しい方を無くしたという思いを強くいたします。
以下、雄松堂書店HPより引用です。
 
当社 前代表取締役会長兼社長 逝去のお知らせ。
当社 前代表取締役会長兼社長 新田満夫 儀 10月27日午後5時15分逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご連絡申し上げます。
なお 密葬の儀は過日近親者のみにて執り行われました。
別途葬儀並びに告別式を社葬として下記の通り執り行いますのでお知らせいたします。ご遺族の強いご希望により ご香典 ご供花 ご供物の儀は 固くご辞退申し上げます。
 
2015年11月4日
株式会社雄松堂書店
代表取締役社長 西浦信義
 
 
・日時:     2015年12月7日(月曜日)
・葬儀・告別式: 午後2時?午後3時半
・場所:     護国寺 桂昌殿
         文京区大塚5丁目40番1号
・電話:     03-3941-0764(代表)
 
(本件の問い合わせ先)
 雄松堂書店 管理本部 電話:03-3357-1413(直通)
以上
 

【訃報】昭和32年卒の河野 毅さんが亡くなられました

◎昭和32年卒の河野 毅さんが入院中、心不全・肺炎のため8月31日に永眠されました。

享年82歳。ご家族に看取られながら逝かれたということです。

写真界の新らしい流れにややヒートアップ気味だった同期のメンバーの中で、いつも落ち着いたカメラアイと氏の言動は兄貴のような存在でした。

昭和アルミニウム缶株式会社の社長、会長を歴任し、引退後には「ライオンの会」(3ケ月毎に集い互いの健康やデジタル時代の写真状況などについて話し合う会)の幹事をしてくれていました。

(昭和32年卒・野中昭夫)

 

【訃報】昭和34年卒の矢野勇さんが亡くなられました

 ◎昭和34年卒の矢野勇さんが亡くなったことが朝日新聞2日付け朝刊で判りました。

 ここ数年断続的に入退院を繰り返され、人工透析などを続けられていましたが、「第12回写真の早慶戦」には「出品する」の返事を頂戴しておりました。ご冥福をお祈りいたします。

・矢野勇さん死去 本紙「花おりおり」

 本紙で5年間続いた連載「花おりおり」で写真を担当した植物写真家の矢野勇(やの・いさむ)さんが1日、腎不全のため死去した。83歳だった。通夜、葬儀は行わない。

「花おりおり」は2001年から本紙1面に連載された花のコラムで、矢野さんは複数いる専門カメラマンの中心的な存在だった。(6月2日朝日新聞朝刊訃報欄より)

【訃報】昭和26年卒の詫間喬夫さんが亡くなりました

 ◎昭和26年理工卒の写真家・詫間喬夫さんが3月24日永眠されました。

 ご遺族からのお知らせにより判りました。

 葬儀は故人のご希望により近親者にて3月26日に執り行われたそうです。

 詫間さんは生まれ故郷の名古屋を中心に活躍され、奥会津のいきいきとした山里の暮らしや変貌する懐かしい風景を記録した貴重な写真集『奥会津残照』(2009年 日本カメラ社刊)などがあります。

【訃報】昭和34年卒の鈴木文武さんが亡くなりました

 ◎昭和34年卒の鈴木文武さんが3月18日(水)午前5時すぎに肺炎のため亡くなりました。

 学院時代から写真に親しみ、政経学部に進学後すぐに写真部に入部。卒業後は新潮社写真部に就職。程なくしてグラビア編集部に異動。取材に走り回る慌ただしい仕事の中で「週刊新潮」・谷内六郎さんの表紙絵担当を何と26年間に渡り全うされました。谷内さんとの二人三脚ぶりは『思い出の記ー週刊新潮表紙絵を中心にー』鈴木文武著、私家版、2008年刊に詳しくありますが、鈴木さんのお人柄が偲ばれます。   

 平成4年に古巣写真部に戻られ、定年後は稲門写真クラブの代表幹事を長く努められ、クラブの運営に多大な貢献をされました。

  昨年末転倒されて入院。入院中にインフルエンザに罹り肺炎を併発、一時持ち直されましたが誤嚥性肺炎のため亡くなられたとのことです。

 ・通夜 ;3月22日(日)午後6時から

 ・告別式:3月23日(月)午前10時30分から12時まで

 ・式場 :いずれも「セレモニー大宮ホール」(さいたま市大宮区宮町2−31)

      電話=048−631−1100

 

  ※稲門写真クラブとしてお花をお供えさせていただきます。