現役七月展訪問

現役「七月展」に行ってきました。

◎早大写真部幹事長Mさんの寄稿

聞くところよると私、初の女性幹事長らしいです!驚きです….!歴代の幹事長の先輩方に少しでも近づけるように12月まで頑張ってまいりますのでよろしくお願いいたします。
先日の「七月展」の合評会ですが、5人のOBの方々にさまざまな意見をいただきました。わたしは壁の組写真・ブック共に (no)sound というタイトルの作品を出展しました。そこに音はないかもしれない、でも写真を見ることでその人の記憶や思いや考えとリンクして何か音があるように感じる、そんな意図があります。
ただ、配置を変えることでもっと見る人に伝わりやすくなったり、中央の写真は2枚いらないかもしれない、という意見などをいただきました。それらは見る人に自分が意図している以上のことを伝えたり、逆に分かりづらくしてしまうことがあるということをお話から考えました。自分の中に「伝えたい」という気持ちがある以上は、もっと考えて作品として昇華していかなければならないと思います。
また、ブックでカラーとモノクロの写真を混ぜたことについて意見をいただき、自分の考えを整理するきっかけをいただきました。モノクロをカラーの彩度を落としたものと捉える感覚が自分のことにあるかもしれないと思い、これからより考えて行こうと思いました。
わたしは2年生までほとんど合評会に参加したことがありませんでした。3年生になり合評会に参加するようになって、この機会を写真について自分の考えを深めるきっかけと捉えられるようになりました。写真部の作風は十人十色ですが、OBのみなさまにはこれからもご指導頂ければ幸いです。
                 ★

メイン展示はフォトブックです。班活動でそれぞれが自分だけのフォトブック(ミニ写真集)を作成したものが展示してありました。テーマはまちまちで風景、人、スナップ、いろいろです。誰でも簡単に写真集が印刷でき、またデジカメの進化により自由に写真が撮れて、その水準も非常に高いものである時代になったことを実感しました。

以下はフォトブックと連動する形で展示してあった作品です。壁面展示はモノクロでフォトブックはカラーでした。写真で映像表現のような時間の動きを表現することに最近取り組んでいるそうです。OBから「ゆるふわ」ですねといわれると「『ゆるふわ』といわれると違和感があるんです。もっとしっかりしたものなんですけどね。」といってました。自分自身を写真で思うままに撮影したらゆるふわ調になったのではと思いました。

(no)sound  壁面展示Mさん作品
壁面展示と連動したMさんの写真集

展示フォトブック 「Crossing」 Y.Hさん

壁面展示は

「光を」 Y.Tさん
「Sans titre」 M.Tさん
「The curves」 T.Kさん

撮り鉄早慶戦が終わりました。集計結果報告。

7月7日で無事に撮り鉄早慶戦が終わりました。

出品された方、来場していただいたかたありがとうございました。

最終集計結果がふげん社関根さんより届きましたので報告します。

【後期投票結果】
投票者数 220名
得票数 617票

《後期・個人部門TOP10》
1位 宗谷本線塩狩峠 百武直樹 K OB 50票
2位 聖夜の無人駅 漆原勝造 W OB 48票
2位 Winterlight 中藤毅彦 W OB 48票
4位 なつかしの国鉄蒸機 萩原弘幸 K OB 40票
5位 1978年11月 中国・哈爾濱駅 白谷達也 W OB 33票
5位 夏へ、一直線。 小野杏太 W 33票
5位 リスボンの夜 永井秀典 W 33票
8位 鉄道員 蛯名健太 K 27票
9位 旅愁 横田拓紀 K 25票
10位 餘部鉄橋 浜克行 K OB 24票
10位 夜明けを背負って 齊藤大起 K OB 24票

《後期・早慶票数》
早稲田 294票
慶應 323票
後期は、慶應の勝利です!

【総合・早慶票数】
総票数 1231票
投票者数 410名
早稲田 655票
慶應 576票

よって「撮り鉄早慶戦2018」は、早稲田の勝利でした。

出品作の総合優勝は67票獲得しました「落日 」稲門OBの塩澤 秀樹さんでした。 おめでとうございました。現役生にいいところをみせられました。

総合1位 落日 塩澤秀樹

大先輩の漆原さんは後期2位でした。さすがです。

2位  聖夜の無人駅  漆原勝造

 

 

 

 

 

撮り鉄早慶戦懇親会がありました

6/30にいま開催しています撮り鉄早慶戦の現役とOBをまじえた懇親会がありました。

庄村、漆原、田中各先輩に加え、名古屋からは守谷先輩もお出かけくださいました。


現役を交え、三田写真会、慶応カメラクラブの現役生も加わり、楽しいいっときでした。

途中でふげん社店主関根さんから前期展示作品の投票結果が発表されました。

前期の投票結果は下記のとおりです。
投票者数 190名
得票数 614票
前期部門
1位 落日 塩澤 秀樹 W OB 67票
2位 Silence 永井 秀典 W 49票
3位 SLでのひととき 高橋 正虎 W 39票
3位 The Terminal 小野 杏太 W 39票
5位 夜の闇へ向かって 橘 晋平 K OB 33票
6位 暴走機関車 藤田 将史 K 29票
7位 夕暮れに輝く 酒井 敏寛 W OB 28票
7位 雪中行軍 岡内 祐治 K 28票
9位 出羽富士に見送られて 吉野 聡 W 23票
10位 Welcome aboard 樫山 大樹 W 22票

前期部門
早稲田 361票
慶応 253票

土曜日までの来場者数は、およそ200人強です。
上記の数は芳名帳に記載のある人数なので、実際はもうすこし多いと思います。

それから後期展示作品の出品者がそれぞれの思いを語りました。撮り鉄の熱い話が聞けました。

最後は庄村さんのハーモニカの伴奏で早慶お互いに校歌、応援歌を歌いあいました。

昭和41年卒・鈴木龍一郎さんが掲載されています。

本書は日本の写真家100人(上下巻・各50人)と、その代表作について記した読み物である。ときに社会的なリスクを負ってまで取り組む写真家の個人的動機。そして、彼らの仕事に反応し、それを評価した同時代的状況。その接点をひとつずつ積み重ねていくと、現代史の実感が改めて見えてくる。(帯から引用)

 

 

現役文芸祭展にいってきました。

今年も菊池さん(昭42卒)と宇野さん(昭45卒)にご協力いただき合評会が始まりました。

帰り Tさん

実家からの帰りにiphoneで隠し撮りした写真だそうです。

加工してみごとに作品に仕上がっています。いつでもどこでもチャンスはあるということですね。

加工前のオリジナルの画像

 

ここから Mさん

カラーネガで撮影してスキャンしてプリントしています。

ここ数年この手法が流行っています。デジタルのガチガチした描写ではないやさしい表現に合っているのでしょうね。微笑ましい母の視線がよいと思います。

スクランブル前のキス Tさん

ノーファインダーでここまでクリヤーに写るのはすごいですね。

市内を望んで Tさん
Point de détente Tさん

完成度の高い作品を次から次へと発表しているTくん。昨年の早稲田祭合評会で写真家の元田敬三さんから指摘されていた作家としてのオリジナリティーのある作品作りが課題であるように思いました。

昭和46年卒・石崎幸治さんが「稲城三十六景」を出版しました。

稲城のタウン誌「グレーピア」に「稲城百景」と称して、2014年の10月から稲城を紹介する記事とイラストを12回連載しました。その12回の連載記事に新たに24の文章とイラストと写真を足して、「稲城三十六景」と題してこの度単行本を出版しました。

小学校と中学校の授業の中で作文の授業が最も苦手だったのに、自分の書いた随筆が出版されるのは夢のようです。何事も諦めないで努力するものだと思いました。

稲城で暮らすようになって30数年、取材を始めるとまだまだ自分の知らない稲城の魅力が沢山あると気付きました。私の拙い文章でその魅力を伝えられたか疑問ですが、足りないところは絵と写真で補っていると思っています。

稲城市内の一部の本屋さん、いなぎ発信基地ペアテラスやアマゾンで購入できます。ご高覧下さいますよう、お願い申し上げます。

 

昭和46年卒・岩間 敏さんが新著を出版されました

はじめに

1941(昭和16)年12月8日、日本陸軍はマレー半島に上陸し、海軍は真珠湾を奇襲した。蘭印(蘭領東インド、現インドネシア)との石油輸入交渉「日蘭会商」の打切りから6ヵ月、米国の日本資産凍結、「石油禁輸」の実施から4ヵ月後の開戦であった。この時、中国との戦争はすでに4年5ヵ月続いており、西に中国、南に英国、オランダ、豪州、東に米国と「三面戦争」の開始であった。

開戦前の同年7月25日、日本の南部仏印(現ベトナム南部、カンボジア、ラオス)への進駐部隊が海南島を出港した。同日、米国は在米日本資産の凍結令を公布した。翌日以降、英国、フィリピン、蘭印がこれに続いた。8月1日、米国は日本に対する全ての石油輸出の許可制を発動し実質的な石油禁輸を行った。日本限定の世界最初の「石油危機」の発生でり、南部仏印進駐に対する米国の厳しい制裁であった。この米国の対応は日本にとって想定外であり、政府、陸海軍に大きな衝撃を与えた。それ以前から米国は日本の南進に対して強く警告を行っていたが、日本は米国の真意が理解できていなかった。

第一次大戦以降、戦争は当事国の軍隊だけでなく産業、人口、資源を総動員する総力戦になることが見込まれていた。石油がなければ軍艦も飛行機もただの鉄とアルミの塊に過ぎないが、日本はこの石油資源に恵まれておらず石油需要の9割強は海外から輸入していた。その輸入の6?7割は米国からであった。日本は米国から輸入した石油で国内産業を動かし、中国との戦争を戦っていたのである。政府はこの石油の米国依存に危惧をもち、日中戦争の開始後、米国の経済制裁、特に石油に関連した制裁が強まると米国に代わる石油供給源を求めた。それが蘭印であった。政府は蘭印の宗主国オランダがドイツに占領されると蘭印から石油を中心とする戦略物資の輸入を計画する。この輸入交渉は「日蘭会商」と呼ばれ1940年9月から翌年6月まで行われた。この日蘭会商はアジア・太平洋戦争の前哨戦でもあった。交渉はそれなりの成果をあげたが日本は満足しなかった。本書ではこの交渉の過程に焦点を当てた。そこには日本の南進の意図とこれに対するオランダを中心に英米の日本の南進阻止の戦略が浮き上がってくる。米国の石油禁輸を受けて、日本の陸海軍は急速に米国との戦争へと傾いていった。アジア・太平洋戦争は、具体的には米国の石油禁輸の後、日本が蘭印に石油の代替供給を求めた戦いであった。また、開戦時の真珠湾攻撃が成功するかどうかの最大の懸案は艦隊への石油補給であった。日本の艦隊は長距離渡洋用に設計されていなかった。攻撃の機動部隊は予備油槽を設置し、ドラム缶、石油缶を積載して出撃した。本書ではこの機動部隊の航海にも焦点を当てた。アジア・太平洋戦争は開戦前、緒戦、戦争中も石油が大きな課題であり、石油を求めた戦争であった。では、なぜ、最重要物資の石油の輸出国、米国と戦争をすることになったのであろうか。また、この事態の急変に対して日本はどのような予測と対処をしたのであろうか。そこには満州事変以来、10年間の日本の対外政策の集積があった。本書は石油に

焦点を当ててこの「アジア・太平洋戦争と石油」の関係を明らかにする。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b357764.html

撮り鉄早慶戦2018のお知らせ

稲門写真クラブの関根史さん(平26卒)ふげん社店主の提案で早慶現役とOBの撮り鉄写真展が実現しました。

■開催概要 撮り鉄早慶戦2018 会期:6月19日(火)〜7月7日(土) 前期 6月19日(火)〜6月28日(木) 後期 6月29日(金)〜7月7日(土) 火-金 12時〜19時 / 土 12時〜17時 / 日・月休 会場:コミュニケーションギャラリーふげん社 〒104-0045 東京都中央区築地1-8-4 築地ガーデンビル 2F TEL:03-6264-3665

投票もありますのでぜひ足をお運びください。

出品者の展示は前期と後期に分かれます。

前期

昭和38年 庄村勝男、平成3年 増田智、平成11年 寺尾健太郎、昭和50年 湯川登紀雄、昭和60年 塩澤秀樹、平成2年 下原英幸、平成4年 内海敬一郎、平成7年 酒井敏寛(順不同敬称略)

後期

昭和42年 漆原勝造、昭和45年 白谷達也、昭和46年 石崎幸治、平成2年 金城正道、昭和63年 木内格志、昭和43年 横井太郎、昭和43年 守屋道治、平成10年 中藤毅彦(順不同敬称略)