◎ 早稲田祭展合評会報告 vol.2
11月10日(日)に現役学生14名とOB5名が学生会館に集いました。
4時間半に及んだ合評会の第2回目の報告です。
◉参加者
・ 昭和41年卒・鈴木龍一郎さん(写真家)
・ 昭和42年卒・菊池武範さん(写真家)
・昭和59年卒・H.Okadaさん(写真家)
・ 現役学生(1年生?5年生)14名
(幹事会メンバーの平成3年卒・増田 智、昭和45年卒・白谷達也が記録係りを勤めました)
【初めに一言】
(前回と内容は同じです)
鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て、私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。
今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。
あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか。あるいは今、あなた方学生さんの就活の問題とか、あるいは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ、1963年。
考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
皆さんの写真を早稲田祭でも展示で拝見しましたけど、それに加えて、今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
H.O:84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。
その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思った。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。
★★★★
【Y・Iさんの作品を見る】
Y.I:今回4枚出しまして、この3枚はそれぞれ独立してるんですけど、色で見せたかったので同じ場所でまとめて展示しました。これだけは1枚別で。
こちらが、まああのヨーロッパの裏路地で、ベネチアとパリとフィレンツェですけど、まあ「the other side」ということで、反対側=裏側ということで。表通りの賑やかな町と打って変わってキリッとした、ちょっと怖いかなみたいな、そういうところを撮って、あえてバラバラにしないで1枚にスッキリ納めてみたかったので、こういう形(3枚合わせ)で出しました。
こちらはそれぞれ、そうですね、これもパリで撮ったものですけど、外が曇ってて照明が赤かったのが結構反射して全体的に幻想的な感じがしてたのでそれを収めました。
並木の方も結構スラーッと奇麗に並んでいたので、まあちょっと安直かもしれませんけど
「整然と」という名前をつけました。
こちらがキャプションだと「green/green」ですけど、スラッシュで「green/green」なんですけど、まあちょっと木の下に緑が有るってな意味でそういう名前にしたんですけど。
え?とこちらが「ハンター」です。冷たい雰囲気を出そうと思ってかなり絞って撮りました。
「整然と」 「green/green」 「ハンター」
鈴木:今日は最初っから言ってるように、僕が写真見る場合、自分がインスパイアーされないと、自分に引っかかるものが無いと意味ないのね。で、これ(「整然と」)とこれ(「green/green」)ははっきり言って関心が無い。だから何にも言いません。
これ(「ハンター」)については面白いな?と思って。
真っ黒につぶれちゃってるけど調子がもうちょっとあるわけ?
Y.I:調子はあります。もともと暗めに撮って、潰しました。
鈴木:調子をもうちょっと出すべきだよ。
特に目とか。よく質感っていうけど、この場合質感っていう意味じゃなくて。ただこれだと単純なシルエットで模様というか単なるイラストになっちゃうんだよね。
目とか、くちばしとかの調子が出てくることによって見る人間のイメージが広がるんだよね。
あと、これ(「the other side」)は僕もヨーロッパ随分行ったけど僕より歩いてないよ。若いんだから、もっともっと歩かなきゃ。
さっきも言ったけどソマリアの戦争撮ってるわけじゃないんだから、写真撮って殺されるって事はまずない、殴られるくらい。(笑)
腰が引けてるんだよ。だいぶ年上の僕の方がもっと歩いて撮ってる。
これはプロとかアマとかじゃなくて、写真を撮る以上はそこらへんの覚悟みたいなものが必要で、早稲田祭展見て、皆んな腰が引けてるって感じがした。
「the other side」
これ(「ハンター」)には関心があります。
深瀬昌久さんって名前ぐらいは知ってる?
深瀬さんのカラスは見といた方が良いよ。何か参考になると思う。
Y.I:自分としては意図で敢て黒く潰したんですけど、そうじゃない方が良かったでしょうか?
H.O:まあ、何となく判るけどね。多分、造形的なのが好きなんじゃない。ちょっと、あの作品(「ハンター」)だけ違うけど。もっと要素を抜いていければ良いんだよね。 だから、葉っぱ1枚撮れば良いんだよね。枝と葉っぱだけにすりゃあこれと繋がるじゃん。ただ、それはつまんない写真になるかもしれない。写真のありようとしてはまとまるけども。
菊池:これを見たときに、正方形にトリミングしたら、もっとデザイン的になるな?、写真じゃなくて良いからそれはそれで纏まったものになるな?と思ったね。
でもその代わりに、緑のディティールの違いを出すんだね、プリントでね。絵画と同じように緑の差を微妙に出しちゃうとか。そしたらそれはそれなりのものになると思うよ。
H.O:写真って何年ぐらいやっているの?
Y.I:大学入ってからです。
H.O:なんでまた写真始めようと思ったの?
Y.I:中学、高校の時からふつうに携帯のカメラだったりコンデジだったり、旅行の時なんか軽い気持ちで撮ってて。その流れで一眼レフカッコイイナと思って。軽い気持ちですね。
H.O:かなり軽いね?。(笑)
写真的なカルチャーの拠り所がなくなってきているんだね。
たとえば、僕らの頃は未だ写真誌が強くて、そこの作家たちを見て目標にするとか視点があった。
今の写真誌はその頃よりカメラがメインになってるから、カメラありきで写真をやっているというケースが多くなっている。
菊池:いやカメラ好きでも良いんだよ。別に、写真機が好きだからダメっていってるわけじゃない。
H.O:ただちょっと写真の在り方っていうのが変わって来てますよね。今携帯で写真が撮れるようになっちゃってるから。
最初にカメラを手にした時の重みってのが、やっぱり僕らの世代というか昭和銀塩世代とはぜんぜん違うんだよね。
これだけ万人が手軽に写真を撮っている時代に、写真部が継続してるってのちょっと不思議な気もする。
写真がお手軽になってオープンになってくると、自分の表現としてやっていく場合、撮影する強いモチベーションが無いとしんどい。技術的に簡単になったことが新しい方向を生むかもしれないけど、ブログにアップするような写真だけでなく、さらに突っ込んでなんでやるんだっていう理由を持ったものが必要になる。
僕らの世代はひたすら銀塩写真やって、地続きで表現って所に行ってたんだけど、ある意味大変かも、今の人たちは。
まあ、デザイン的なのが好きなのは判るんで、その辺でやってみると何か・・・。
菊池:こういうの好きだったら徹底してやるべきだよ。
H.O:やっぱり延々やってる人のパワーってすごいんで、けっこう陳腐だと思われているようなことも一生続けたらすごいことになるね。
写真と関わったからには抜けられないんだ、という感じで続けた方が良いかも。
それと写真はいっぱい見た方が良いですよ。そしてコピーする。
良く言うんだけど、音楽と同じで、それだけ技術や表現が自分のものになっていくということだから、アイドルっていうか、好きな作家がいたら先ずそいつを真似するっていうこと、結構僕らの世代はそれをやっていた。
今は、若い写真家でも良いし、昔であれば、それこそ深瀬さんとかね、森山さんとかね。
僕らの頃より、30年の蓄積があるわけだから。
恵比寿の都写美(写真美術館)の図書館に行ったらビンテージの写真集が平気で見られますよ。
★★★★★
F.Sさんの作品を見る
F.S タイトルは「dessin」といいます。モデルは私と同い年の画家として一応活動している男の子なんですけど、その人を彼がいつも作品を制作しているアトリエで撮りました。
メインはこちらのブックなんですが、ブックから三枚壁に出しました。
ポートレートを今まで撮ってきて、憧れというか夢がありまして、それは、アーティストを撮るということです。
彼は美術大学の学生ですが、去年その学校の芸術祭で彼の絵に出会いまして、それ以来彼の絵のずっとファンだったんですね。
一年後に再会して、そこでまあオファーというか、ぜひ撮らせてくださいということで撮らせてもらいました。
今回はモノクロで出したんですけど、「dessin」というタイトルからモノクロにしたっていうのもあって、あとは男性を撮る場合はモノクロで撮りたいなとずっと思ってました。
それは篠山紀信さんが本木雅弘さんを撮った写真を見て、男性をモノクロで撮るとすごいかっこいいし、渋くてストイックな感じがして、それでモノクロで撮りました。
で、アーティストを撮りたいと思ってたのは、アルベルト・ジャコメッティという彫刻家がいるんですが、その人を被写体として結構高名な写真家が撮った写真集がありまして、それを見てずっとあこがれていました。
そのジャコメッティという作家のことも私はすごく好きで、その人の作品に対するアプローチの仕方にすごく共感するところがありまして、それと彼(若い画家)の作品へのアプローチと私の世界へのアプローチとの3つを重ね合わせてこの作品を作成しました。
で、いつもはカラーで出すんですが今回はモノクロということで、壁はちょっと違うものをやりたいなと思って。
彼が花が好きなので花の色を出して、こちらはアトリエの象徴としてこの赤を出して、こちらは彼の好きな色、青のちょっとくすんだ色が好きなのでその色を出しました。
「dessin」
菊池 この色はもともとあった色なの?
F.S はい、もともとあった色です。最初カラーで撮ってそれをフォトショップで加工しました。
で、先ほどから皆さんいろいろエディットとか編集とかお話をされてきたと思うのですが、私はWさんみたいに技術で撮るんじゃなくて、ストーリー性というか、そちらのほうを重視していまして、ブックは私のその何ていうか美学というか、そこをちゃんと出したつもりです。
菊池 いやーポートレートの類としても別に卑下することはないし、あなたの写真はけっこういい人間が撮れていますよ。
まあでも辛口の文句が出てくると思うけど。
F.S 大丈夫です。どんどんお願いします。
H.O じゃ、なんで銀塩でやらなかったの?
F.S 銀塩やったことなくて、その内やりたいなとは思ってるんですけど。
H.O いい機会じゃん。
F.S そうですよね、今4年生ですが来年もいるので。(笑)
H.O モノクロでやりたいっていうモチベーションがあるなら、まず銀塩でやらないのが変だよ。そこのイージーさがちょっとまずい。
銀塩でやってみるって決めたほうが、より自分のやりたいことへ近づけるだろうし、そこでの発見もあるので。
まあ結局フォトショップで色を抜いてもモノクロ化するっていうのは、モノクロ風にしかなってないので。
で、やっぱね、銀塩を経験すると、デジタルのみの人とは明らかに表現に違いが出てくると思いますよ。
さっきのWくんだっけ、妄想系のひとはデジタル強いと思うんですよね。
やっぱりリアルに人を撮るっていうか、リアルに現実のものを切り取る感覚というのは銀塩をやっているとね、かなり身についてくると思うんで。
鈴木 本の中で、アップの時の表情に良いのがあるんだよね。なんでこの3点を選んだのかっていう問題があって、トップはこれでいいとして、他の2点が両方とも中途半端です。
この3点で壁に展示というのはちょっと違うなと思って、ブックみたらおもしろいのがあるんで。
アップの表情のつかまえ方、実はこれもちょっと中途半端になってる。
で、せっかくモデル頼んで、演出じゃないけど、こっち向いてとかあっち向いてとか言うわけ?
F.S あまり言わないです、自然体で。
鈴木 言わなくていいんだけど、彼がこっち向いている時にときどき視線が変わったりする、その瞬間をパシャと撮る、それだけでも写真が違ってくる。
もうひとつは、モデル使って写真を撮るということは、どこかで自分を投影するわけじゃない。
貴女がこの、週刊誌なんかで話題の誰々で5頁とかよくあるじゃない、そういうのとは違う写真を目指しているんだったら、この撮り方だと被写体との関係性みたいのがよく分かんないんだよね、
で、この2点が中途半端な距離感で、タイトルがカタカナでデッサンならともかく横文字でdessinでしょ、そうすると何なんだこれは、ということになるんで。
ブック見て、あーおもしろいのがあるぞと思ってたのに、そうするとこの選び方は一体なんだというのと、タイトルも疑問だし。
菊池 やっぱりしょうがないんだよね。ぼくも学生のころは、横文字っていうかカタカナのタイトルつけたがった。大人になってから恥ずかしくて止めた。止めるけどね、学生のころはどうしてもそうなっちゃんですよね。
鈴木 今日最初からタイトル、タイトルって言ってるけど、けっこう大っきい問題なんだよね。それでわりと横文字とか。
本を読みすぎて頭でっかちになっているのか、本を読まないで教養不足かどっちなんだかわかんないけど、写真の内容とそのタイトルがうまく皆んな合ってないよ。
F.S 壁をこの3点を選んだのは色を出したいと思ったんで、色重視で選んでしまったんで、色としてのバランスは自分的には納得がしてるんですが、確しに被写体との距離感があまり詰められていないし、その人の本質いうのが見れていない。
撮影したのが会って二回目ぐらいだったし、相手が異性というのもありますし、ちょっと距離感があったかなと思います
H.O まあ人物撮るときは距離感をいかに縮めるか
まあ技術というかね、写真家の在りようのうちなんでね。あえて突き放して撮るというスタンスもあるんだけど、それならそれなりにもっと写真の方向性というのがあるんで、そういう意味ではちょっと中途半端かなという気はするね。
後この2点にしたのは、なんでこの2点にしたんですか、このブックのなかで数ある写真のなかで?
F.S 最初に選んだのはこれなんですけど、これってまあアトリエの外、アトリエの名前が出ているのと、こちらアトリエの中の風景がはいっている写真を1点ほしいなと思って。
色を1個出すというアイデアがあったので、そしたらこの国旗・日の丸を出したいなと思ってこの写真をチョイスして、これはまあピンクと赤だから、寒色系の色を出したいなと思ってこの写真を選びました。このシャッターの色がちょうど青かったんで、
H.O いやその時も頭の中モノクロ化してないよね
つまりモノクロで見ていると、被写体に対してもうちょっと明確になるんだよね、テーマの捕らえ方とかが、色とかっていうよりは。
だからおそらくその辺が見えにくくなっているっていうところもあるし、カラーで撮っているから。
あと、そのブックは自分で編集したんですか?その体裁とかも全部?レイアウトとかもやっている?
F.S ネットで編集できまして、それをネットで印刷所に頼んで。
あのいちおう写真部員なんですが、文章を入れるというのが私のモットーというか、作品を作るうえで自分の言葉を入れるというのはあるので、こういう形でいつもやっています。
H.O あの、いろいろ真面目過ぎかも。もっと、たとえばこの屋内を入れなくちゃとか屋外で色が良いとかいって、そこを押さえていくうちに要素がてんこもりになって、それで最終的にアウトプットが希薄になってるような気がする。
もっとそのへんをズバズバ、厚かましく切った方がまとまると思う。
鈴木 あとあれだね、これは講評とかじゃないけど、私はフォトショップほとんど使えないのに等しいんだけど、いや本当にね。
で昔モノクロのプリントに着色する、セーヌ左岸の屋台なんかで着色したポストカードがいっぱい売られてたり、日本でも幕末・明治とかあるじゃない、あとアラーキーかなんかもやっている。
F.S 描いたりなんかしてますよね。
鈴木 あれはやっぱり自分の手で塗るのとフォトショップでやるのとではぜんぜん意味合いが違う。作者にとってもね。ここをこうやりながらと手で塗っていくのとね、おそらく違う意味をもってくるだろうと思うんだよね。やっぱりフォトショップのデジタルのイージーさというのは極力警戒したほうが良いとは思うね。
菊池 僕は逆に違う意見を持ってまして。
今現在でこういうことができるんだからやってもいいと思うんだよね。古い人間は一度銀塩をやっているわけ。デジタルはあとから出て来たものだから拒否反応をするところが割りとあるんですよ。
考えてみたら僕らだって明治時代のカメラマンのように自分でガラス乾板に感光材料を塗るという技術はないわけね。だけど、いちおう写真は撮れるわけね。で、貴女方は銀塩をやる技術はないかもしれないけど写真撮れるんだから。あんまりそこを我々のようなとうの立ったような者が言うことを、ははーって聞くことはないんだよ。(笑)
鈴木 それはよくわかる、ここで論争するんじゃなくて、僕は普通の携帯だけど、スマフォのカメラすごいでしょ。であれでね、ウェブなんかにだいぶ載ってるらしいけど、スマフォの写真ももちろんあれも写真だって思ってる。あれだけ機能があれば、メインのカメラとして作品も可能で、こちょこちょブログで載せてるけど、それだけで終わってる。あれだけ手軽に高機能で撮れるということは、なんかもっと新しい世界があるはずなんだよね。そういう意味では我々の時とは違う、若い人にはそういう冒険をもっとやって貰いたい。
菊池 我々の言うことが未来永劫正しいわけではないから、ただ感想をいっているわけですから、我々は古い世代のものを多少知っているから。
で、そういう目でみると、銀塩の出方と256段階しか無いんだかよく知らないけど、デジタルの出方とは違うのはあたりまえですよ。いやモノクロ写真なんて特にね。デジタルなんてどんなに逆立ちしたってまだ追いつかないけれども、そのうち追いつくかもしれないしね
H.O ただ、やっていることはオーソドックスなんだよ。
デジタルネイティブではあるけど、昔の中央公論のグラビアみたいな感じのことをやりたいんじゃないかな、これを表紙に持ってくるっていうセンスからいってもね。だからすごいクラシック。センスが古いっていうわけじゃないけど、割と見方っていうのは昔と変わってないな。
菊池 こういうのがすぐ出来ちゃうんだから才能はあるんだよ
H.O だからオーソドックスなんだよ、そういう意味では。だからもっとぶっ飛んでてもいいんだけどね。そこをブレーキングスルーできないと限界が見えてきちゃう。
まあだからモニターでちょこちょこチェックするのをやめたほうがいいと思うよ、見るでしょ皆んな?
デジカメが始まった頃に、カメラマンが撮った後、かがみながらこう確認してるでしょ、自分がソソウしたかどうか見ているみたいで、あのかがんでモニターを見ているさまが、いや、いまでは僕も見ますけどね、すごく厭で、撮ったら撮ったでパッと次行けって思う。
そこで銀塩で撮って背面を見たくなって、思わず見たら黒い蓋しかないから。それを一回味わってみて。
★★★★★★
(M.Oさんが机に置いたのはクリップに下がっている2Lサイズのプリントだった)
菊池:大きいのはどうしちゃったの?
M.O:持って来れなったのですよ。このあと寄るところがあって、どうしても持ち運べなかったのです。
鈴木:一年生?いやー「早稲田祭展」の会場で見て、写真的にいいセンスしてるなと思ったんだけど、あの会場でも小さいと思ったのに、ましてこれじゃ全然わからない。あれもなぜあのサイズなのか、今日ちょっと聞こうと思ってたんだけど。
◎昭和32年卒の池田宏さんと「国立極地研究所」のコラボ展です。
《あなたは、どこまで地球のことを知っていますか?》
「子どもから大人まで、少しでも極地を知ってもらいたい」という池田さん+国立極地研究所+コニカミノルタプラザの思いが実現した企画展です。
お子さんやお孫さんと共にお出かけください。
www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2013december/polar/index.html
・期間:2013.12.10(火)ー/26(木)10:30−19:00(最終日は15時まで)
・場所:コニカミノルタプラザ(新宿駅東口、フルーツの高野4F)TEL:03-3225-5001
・公開授業1「北極、南極ってどんなところ」12/15(日)14:00−15:00(定員50名)
ゲスト:早稲田大学高等研究所・田邊優貴子さん
・公開授業2「ペンギンのくらしを知ろう」12/21(土)14:00−15:00(定員50名)
ゲスト:国立極地研究所・渡辺佑基さん
先月OBの「写真の早慶戦」が無事終わりましたが、12月は現役生の早慶展が開催されます。
現役生はOBのように対戦はしないですがぜひ足を運んでみてください。平3卒 増田 智
◎昭和44年卒の平嶋彰彦さんの手によって、素晴らしい本が編み出されましたのでおしらせします。(昭和45卒・白谷達也)
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1年ほど前からとりくんできた桑原甲子雄の作品集をこの10月に毎日新聞社より刊行しましたので、ご案内いたします。
○『私的昭和史 桑原甲子雄写真集』
上巻「東京・戦前篇」/解説・松山巖
下巻「満州紀行、東京・戦後篇」/解説(口述)・荒木経惟
B5判(上巻336頁、下巻319頁)。
各3800円+税。発行元・毎日新聞社
編者は毎日新聞社の後輩で写真家の伊藤愼一と私(平嶋彰彦)です。
私は桑原甲子雄の作品と業績については通りいっぺんの知識しかなかったのですが、世田谷美術館を介して著作権代行をたのまれ、心ならずも引き受けるはめになりました。遺品のプリントや撮影ネガは、いずれどこか適当な機関に寄贈するつもりでいますが、その整理のかたわらカタログ代わりに制作したのがこの写真集です。
桑原甲子雄は折々の徒然に膨大な写真をうつしました。きわめて私的な興味に任せたものに過ぎないのですが、ていねいにみていくと、下町生活の地平から見た昭和の東京が浮き彫りになり、逝き去りし日の生命のざわめきが聞こえてきます。そこで写真集のタイトルを「私的昭和史」としてみました。
桑原甲子雄(1913−2007年)は、戦前にアマチュア写真界のホープとして木村伊兵衛や堀野正雄から将来を期待されましたが、写真家としては終生アマチュアのまま通しました。生家は上野駅近く(車坂町、現・東上野3丁目)の質屋。その跡取り息子です。
濱谷浩は早稲田大学写真部の先輩の方々が世話になった写真家。桑原の家とは隣どうしで、二人は幼友達でした。写真評論家の田中雅夫は濱谷の実兄。桑原は濱谷から写真技術を習いおぼえたということです。
桑原は終戦直後に家業をはなれ、まったく経験のない写真雑誌の編集者、それもいきなり編集長になりました。以来1970年代まで何誌ものの編集長を歴任しています。
資料を調べていくうちに、戦後写真界の新しい動きに暖かい眼差しをそそぎ新人作家の育成に力を注いだ大変な編集者だったことが少しずつ分かってきました。1950年代には、写真雑誌『カメラ』(アルス社)の月例選者に木村伊兵衛と土門拳を起用し、この二人の熱のこもった合同審査から戦後のリアリズム写真の運動が生まれたといわれています
森山大道や荒木経惟も1960年代に桑原甲子雄から少なからず恩恵をうけていたようです。森山はデビュー作『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、1968年)を刊行した当初、まともな批評をしてくれたのは桑原甲子雄たった一人だったと『写真よさようなら』(写真評論社、1974年、中平卓馬との対談)で発言しています。荒木は桑原がその「天才」的な資質を見ぬいて、写真誌『カメラ芸術』(中日新聞社)や『フォトコンテスト』(写真評論社、発行人吉村伸也)の表紙・口絵に重用した写真家です。
ちなみに吉村伸也は早稲田大学写真部のOB。私財をもって写真評論社を設立し、『フォトコンテスト』と併行して『季刊 写真映像』を発行していました。その編集長を桑原甲子雄がつとめています。また『写真よさようなら』は吉村の編集です。
荒木経惟には、口述ですが、下巻で写真と人物像について解説してもらいました。そのなかで「桑原写真は写真の写真たる頂点かもしれない」と述べていますが、私は桑原甲子雄の写真はアマチュアリズムの理想ではないかと思っています。
書店に立ち寄る機会があれば、ぜひ手にとってみてください。
2013.10.22 昭和44年卒・平嶋彰彦
◎H20卒・平尾 敦さんの壮行会が開催されました。
ニューヨークのICP(国際写真センター)フォトジャーナリスト育成プログラムに参加する平尾 敦さん(平成20年卒)の壮行会が、幹事会主宰で7月27日、「銀座アスター・新宿賓館」にて開催されました。
ICP受験の際、推薦状を書いていただいたS41卒・鈴木龍一郎さんをはじめ、「稲門写真クラブ」幹事会メンバー6名(菊池、白谷、平嶋、福田、浅野、増田)、早稲田大学写真部現役の深見幹事長、石井副幹事長2名が出席しました。
鈴木さんは乾杯の挨拶で、「もし僕が40才若かったら、僕が入学したかった」と熱く述べられ、本当に嬉しくてたまらない様子でした。次々と激励と期待に満ちた挨拶が続きましたが「あんまり期待しすぎると、帰って来にくくなるかもしれないよな?」ということで「何があっても、凱旋将軍のように帰って来ること」というところに落ち着きました。
平尾さんは「ブログラムには、11カ国30人が参加する。行ってみないと中身は判らないが、多様な方々との交流を通じて人脈の構築にも気を配り、感性を磨きつつ写真の勉強をしてきたい」と挨拶しました。
以前、ケープタウンの雑誌社の写真インターン募集広告を見て応募し、3か月間勤めた経験などについても話が及び、壮行会は予定時間を大幅に超えて3時間に及びました。
なお、平尾さんは、9月入学の為に、8月1日に渡米。ニューヨークでの生活ぶりは、随時このホームページで報告される予定です。ご期待ください。