6月1日「写真の日」、三田の笹川記念会館にて公益社団法人日本写真協会(PSJ)主催の叙勲・褒章祝賀式典が行われ、稲門写真クラブ会員の土生一俊さんの叙勲が讃えられました。


早稲田大学写真部OB会
6月1日「写真の日」、三田の笹川記念会館にて公益社団法人日本写真協会(PSJ)主催の叙勲・褒章祝賀式典が行われ、稲門写真クラブ会員の土生一俊さんの叙勲が讃えられました。
◎昭和40年卒の飯窪敏彦さんが写真展「古きよき展」を開かれます。
沖縄の写真だそうです。大石ちはやさんの絵とのコラボです。
「三田写真会」の春の恒例行事「桜撮影会&お花見会」へのお誘いを受け、幹事会メンバー6人が参加しました。(白谷代表幹事、菊池、宇野、福田、増田、浅野幹事)
4月18日(土)、11時に拝島駅集合。「三田写真会」10人(内ご夫婦2組)、「稲門写真クラブ」6人の総勢16人は、「三田写真会」百武幹事の先導で陽光の下ぶらぶらと「多満自慢 酒蔵 石川酒造」へ向かいました。
石川酒造の亡くなった先代当主が、「三田写真会」会員だったご縁で、毎年この地で撮影会とお花見会が行われることになったそうで、もう10年ほど続いているそうです。
青空の下、満開の八重桜や樹齢700年を超えるという欅の大木、多摩川の河原を1時間ほど撮影・散策した後、八重桜の下にセットされたテーブルに着き、「三田写真会」杉田幹事の開催挨拶(金井会長は朝鮮通信使の足跡を歩くツアーに参加中で、この日は韓国・慶州に滞在のため欠席)、中村・前会長の「今年の写真の早慶戦でも、また勝つ」という意欲満々且つ挑戦的なご挨拶を頂戴し、全員の自己紹介の後石川酒造特製の地ビール『多摩の恵』で乾杯して、贅沢な宴はスタートしました。
酒蔵直営のレストラン「福生のビール小屋」から運ばれる美味しいイタリアンをつまみに、地ビール3種と純米酒『多満自慢』を堪能。
白壁の土蔵群と欅の巨木に見守られる中、青空に映える濃いピンク満開の八重桜を愛で、落花を杯に受けながらの会話は弾み3時間にも及びました。
参加者は皆一様に大満足。10月の「写真の早慶戦」での再会を約しつつ、よろよろと拝島駅に向かいました。
拝島駅で三田組はスマートに散会、飲ん兵衛集団の稲門組はいつもの生活レベルの居酒屋「庄や」に転進し、「写真の早慶戦」の打ち合わせという錦の御旗をおっ立てて二次会に及んだのでした。
「春季展」ご挨拶
木々も芽吹き、新緑の葉が茂る季節となりました。
本日は早稲田大学写真部「春季展」にお越し頂き誠にありがとうございます。
この春季展は、当部の定期写真展の中で毎年最初に開催する写真展です。
「春」と銘打っておりますが、今年もひとつのテーマに絞られておりません。
作風や雰囲気などがそれぞれ異なる、様々な作品が数多くございます。 写真の数だけ、伝えたいことがあります。
部員たちが試行錯誤しながら生み出した、ひとつひとつの個性がある作品をぜひご覧ください。
そしてその中で、皆様のお気に入りの一枚が見つかりますことを祈っております。本日はごゆっくりお楽しみください。
早稲田大学写真部 部員一同
★
今回は、いつもの増田幹事(平成3年卒)に加え、ゲストに 柏木OB(昭和47年卒)に参加してもらって「春季展」を見に行った。
先だって同じ会場で開催された「椿季展」の時感じていた照明の違和感が解消されて落ち着いた照明になっていた。天井の蛍光灯を間引きしたとのことだった。
出展数は25点。出したいと思った人は誰でも出すことが出来るそうで、昨年よりは点数も多いとのことだったが、もう少し点数が有っても良いような気がした。bookは少なく2点に止まっており、ちょっと写真展のやり過ぎとも思った。
「ジイサンの写真ばっかり!!年寄りが写した写真だらけ!!」
と、のっけから柏木OBの辛口コメントが炸裂し、親切に対応してくれていたYさんが思わずよろめいた。
ジイサンの僕もドキンとした。
柏木OBは毎年ニューヨークに出かけて行っては地下鉄などでスナップショットを撮っている人なので、草花と風景がほとんどで人を写した写真の展示が一点だけだったので不満だったようだ。因に桜の写真は4点もあった。
『幽玄』
『春を恨んだりはしない』
柏木OBが唯一興味を示したのはTさんの『女の子』という作品だけだった。
「どうして『女の子』に興味が有るの?」
「人が写っているから」
と、理由は非常に分かりやすいものだった。
『女の子』
TさんはM美術大学の学生だがWPSのメンバーとして毎回意欲的に創作活動をやっている男子だ。
因に他大学からの部員はというと、男子が3校から、女子は女子大主体に6校から入部していて、合計30名ほどの在籍者があり全部員の3割ほどを占めているとのことだった。
思わずOB3人はカオを見合わせたのだった。
「う???ん、女子大からそんなに!!生きる時代を間違えた!!」
毎回現役の写真展に足を運んでいる増田幹事の感想は
「以前の出品作でも言われたことですが、作品点数やセレクトに迷いが感じられる。ストーリー性を持たせるのもおもしろいではないか。いずれにしても、一点一点は撮影者と被写体との距離感が伝わる良い写真」
とのことだった。
『跫音』
Yさんの『跫音 』。
「普段は鉄道や工場夜景を撮っているが、何だか一枚だけ撮れちゃった写真」
とのことだった。
スナップショットのエキスパートである柏木OBにもチョッピリ興味を示した風情が見て取れたが
「足が動いた時を狙った方が良かったのでは」
という苦言を呈することを忘れなかった。僕には止まっている方が良いように思えた。
「普段は鉄道や夜景を撮影しているYくんからは想像もつかない写真で驚いています。ある程度決められた場所や角度で撮影する鉄道や夜景とは違い、ふと何かを感じてシャッターを押してしまうといった感じが伝わってくるYさんにとっては新しい方向性の写真」というのが増田幹事の感想だった。
その温厚な人柄がそうさせるのか、現役諸兄のモチベーションを下げないために、つい褒め上手になってしまう増田幹事だった。
『早春の甘党』
Hさんの『早春の甘党』。
「な、何だ!!このタイトルは!!こんな写真出したら目の前で破かれてたよ、昔は!!」とは柏木OB
自宅の庭の梅の木に止まったウグイス。ピントはしっかり来ているが背景がやや中途半端になったかな。
『沈黙』
Sさんの『沈黙』。足尾銅山への撮影行での成果。
「この建物の中に入らなかったの?」とは柏木OB。
「立ち入り禁止でしたから」とは同行したYさん。
立ち入り禁止の建物に侵入するかどうかは別として、奥の本山地区には行かなかったようで、むしろその事が僕にとっては不思議なことだった。
〖柏木OBからのお手紙〗
前略、早稲田老人クラブの春季展にお招きいただき、ありがとうございました。
人生の先輩の皆様に、僭越ですが若輩の身から感想を述べさせていただきます。
桜の花々を写した写真が数点ありますが、定番写真の常識を守り、月並み写真
の王道をいく方法と見受けました。千鳥ヶ淵の夜景を取り入れた写真などは、
余分なビルなど、邪魔な風物を取り入れ、現代に媚びて、感心しません。
花と鶯、もうすこし余白をいれると、俳句を書き込むのに最適で見事です。
老人たるもの、周辺の人々と争うことなく、自分の枠をしっかりと守り、何事
も平穏無事が大切です。街角で人々を撮影して、トラブルに巻き込まれること
など、厳しく慎むべきことです。
足尾銅山の写真でも、正しく法律を順守し、立ち入り禁止をかいくぐることな
ど、決してゆるされません。写真さえ面白くなればなど、とんでもないことです。
何事にも、こだわりを捨て、ただただ流れに身を任せて、平々凡々こそ、
長生きの極意です。自分自身を見つめすぎてはいけません。写真なんて、ほん
の趣味なんですから、打ち込んでは元も子もありません。
残り少ない人生とは思いますが、皆様のますますのご精進をお祈りします。
◎平成6年中退の中藤毅彦さんが第24回林忠彦賞を受賞しました。
受賞記念写真展が4月17日から年内3ヶ所(東京、山口、北海道)で開催されます。
◎昭和26年理工卒の写真家・詫間喬夫さんが3月24日永眠されました。
ご遺族からのお知らせにより判りました。
葬儀は故人のご希望により近親者にて3月26日に執り行われたそうです。
詫間さんは生まれ故郷の名古屋を中心に活躍され、奥会津のいきいきとした山里の暮らしや変貌する懐かしい風景を記録した貴重な写真集『奥会津残照』(2009年 日本カメラ社刊)などがあります。
◎昭和34年卒の鈴木文武さんが3月18日(水)午前5時すぎに肺炎のため亡くなりました。
学院時代から写真に親しみ、政経学部に進学後すぐに写真部に入部。卒業後は新潮社写真部に就職。程なくしてグラビア編集部に異動。取材に走り回る慌ただしい仕事の中で「週刊新潮」・谷内六郎さんの表紙絵担当を何と26年間に渡り全うされました。谷内さんとの二人三脚ぶりは『思い出の記ー週刊新潮表紙絵を中心にー』鈴木文武著、私家版、2008年刊に詳しくありますが、鈴木さんのお人柄が偲ばれます。
平成4年に古巣写真部に戻られ、定年後は稲門写真クラブの代表幹事を長く努められ、クラブの運営に多大な貢献をされました。
昨年末転倒されて入院。入院中にインフルエンザに罹り肺炎を併発、一時持ち直されましたが誤嚥性肺炎のため亡くなられたとのことです。
・通夜 ;3月22日(日)午後6時から
・告別式:3月23日(月)午前10時30分から12時まで
・式場 :いずれも「セレモニー大宮ホール」(さいたま市大宮区宮町2−31)
電話=048−631−1100
※稲門写真クラブとしてお花をお供えさせていただきます。
良いシーンを撮ることによって、自分がひとつ豊かになる。そんな写真生活をおくりたいと常に思っている。
自分にない感性に触れて、驚くのも刺激的だから、機会を見つけてはギャラリー歩きをしている。
「椿季展」は早稲田大学写真部(WPS)112期卒業生と新規入部学生の合同写真展である。
私がいつ卒業したかというと、1965年、う?ん、50年前である。
現役生との接触の機会がなく、どんな写真が見られるのだろう、楽しみでもあったが、難解な作品だったらどうしよう。心配だった。
20人が出品していた。いや、心配は杞憂。皆、写真を楽しんでいた。一様の作風でなく、各自それぞれの方法で見せていた。
☆K.Yさん「おはよう」(左)、「やすみのひ」
K.Yさんの「おはよう」「やすみのひ」。
私ならこの場でカメラを向けないであろう写真で、ショックなことであった。しかも、立派な作品に仕上がっているのだった。
☆S.Cさん「君を想えば」
S.Cさんの「君を想えば」。
花を前にした少女の表情をとらえた一枚だが、少女を撮った人からも優しさが感じられる写真でホッとするものがあった。
☆U.Sさん「monument」
U.Sさんの「monument」。
祖父の古いアルバムから何枚かはがして、自分なりに会場の壁面で構成し、自分の撮った写真はほんのわずかに組み入れているだけ。
家族の歴史が伝わってきた。U家の茶の間が時とともに変わるが、机上に果物の鉢が必ずあって、すてきな人々と家風が見えてくるのだった。
☆F.Kさん「クローゼット」
F.Kさん。バリエーション豊かな、たくさんの作品を見せてくれていた。
壁面展示2作と机にアルバムを2冊。どれもすぐれた技術で裏打ちされた作品だった。写真がおもしろくてしょうがないという気が感じられた。
アルバムの1冊には正方形の写真が続いているので、「ハッセルで撮ったの?」と訊いたら、「ケータイです」だって。「800万画素あるんでA4ほどなら充分です」って。
外国の人物写真もあったが、街の人も、ケータイで撮られる分には心を許して、素顔で接してくれるであろう。
新しい写真術だな、とすっかり感心してしまった。
☆F.Kさん「21」
4人の紹介だけでも、WPSの健在ぶりがわかるであろう。
10日前に、1967年卒の勝山泰佑氏の写真展と写真集「Photo 50年 できごと ひとびと」を見せてもらった。
白黒フィルムによる美しいプリントであった。美しい仕上げは撮影態度のあらわれでもある。しっかり見据えたカメラアイは見るものに強く訴えかけていた。
それが50年である。そのボリュームに圧倒された。
ところで、氏のプロフィール欄にカメラをタテに構えたポートレートがあり、シャッターをおす右手が上にあった。右手が下にくる人もいる。それぞれ撮影者の性格からくる構え方だと思うが、どうであろう?
上段に構える人は強い気迫で撮るタイプの人かもしれない。実は私は下なのであるが・・・・。
そうなるとケータイ、スマホでの構え方はどんな意味合いを持ってくるのかな?何やらおもしろくなってきそうである。
そして、WPSは老若男女、元気です。
(昭和40年卒、飯窪敏彦)