現役生の3サークル有志写真展にいってきました 平3卒増田 智

◎【WPS】+【シャレード】+【リコシャ】の写真3サークルの有志による写真展 

WPS現役生のUさんからお誘いいただき、菊池(昭42年卒)白谷(昭44年卒)宇野(昭45年卒)増田(平3年卒)のOB4名で写真展に行ってきました。11名の方が出品していました。

今回の主催者、waseda_photo3は早稲田大学にある3つの写真サークルの中でワークショップなどを通じ様々な写真へのアプローチを目指した有志のグループで、月2回の研究会を行っているようです。

HPを拝見するといろいろな試験的撮影や作品制作方法への挑戦が伺え、また外部の人をよんでの講評会をしていておもしろそうです。

http://waseda-photo3.com/

たまたま訪れた日も公開講評会をやっていましたのでギャラリーとして参加させていただきました。

出展者がまず撮影意図をプレゼンして、その日のゲスト(この日はWPSのOGでフォトグラファーの黒田菜月さんと友人の藤掛さん)が講評し、最後に会場の人から質問してもらう形で進み、この日は5名の出展者が話していました。

全体の印象としては技術的なことや写真の知識というよりは、コンセプトや撮影者の心情が話の中心といったところでした。

そのなかで今回の案内をいただいたUさんの作品「ダイニング」は、一見何の変哲もないようないろいろな家族のダイニングルームを撮影していて、都筑響一さんの「TOKYO STYLE」をつい思い出しましたが、違うテイストの先にあるUさんのある程度の客観性を感じることのできる写真であり、次回作が楽しみになりました。

我々が伺った日の翌日に行われたUさんの講評会のことをご本人にお聞きしましたら「私の講評ですが、テーマに対してはどの方にもお褒めの言葉をいただきました。『コンセプトがしっかりしているし、見る人が自由に読み取れる』とのことでした。ただ、やはり構図や距離感が中途半端だとの感想をいただきました。自分でも納得することが多く、もっと突き詰めて作品を作っていきたいと思っております。」とのことでした。

 

 

 早大写真部のUさんの作品 「ダイニング」

 

会場での講評会風景

「早稲田祭展」現役+OB合評会ドキュメント vol.4

早稲田祭展合評会報告vol.4

(最終回)

 
昨年11月10日(日)に深見幹事長以下現役学生14名とOB5名が学生会館に集いました。
4時間半に及んだ合評会の最終報告です。
 
★参加者
・ 昭和41年卒・鈴木龍一郎さん(写真家)
・ 昭和42年卒・菊池武範さん(写真家)
・昭和59年卒・H.Okadaさん(写真家)
・ 現役学生(1年生?5年生)14名
 
(幹事会メンバーの平成3年卒・増田 智、昭和45年卒・白谷達也が記録係りを勤めました)
 
【初めに一言】
(前3回と同じ内容です)
鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て、私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。
 
今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。
 
で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか。或いは今、あなた方学生さんの就活の問題とか、或いは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
 
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
 実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ。1963年、考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
 皆さんの写真を早稲田祭でも展示で拝見しましたけど、それに加えて、今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
 
H.O84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。
 その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思った。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。
 
 
 

★★★★★★★★★★
E・Yさんの写真を見る
 
E.Y これはまあ猫なんですが、正直今年の早稲田祭は作品を売れるということで、売れそうなものを置いておきたいな、と、ちょっと下心をもちながらA3ノビまでのばしました。(笑い)
 
菊池 売れましたか?
 
E.Y 売れませんでした(笑い)
 
 で、一番写真の王道とは外れているものなんですが、ある意味外れているのはそちらの横向きのブックなんです。
    このブックの主旨は、えっと私がかなり記憶力が悪いので、どのようなレンズをどのようなパターンで使えるか、というのを自分用にメモしたものになります。
 
菊池 写真は手馴れているよ、撮り方がね。
 
E.Y いや始めて一年ぐらいですね。で、こちらの写真が一番と思われると思いますが、カメラの中のファインダーの第一レンズ視度調整ダイヤルの部分になります。
   
  実は早稲田祭の二週間か三週間前に、車のトランクからカメラを落下させまして、ここの部分が壊れました。それを直すために、分解するとどうやって戻せばいいのかわかんなくなってしまうんで、写真を撮らなければいけなくて、どうせだからそれを作品にしようと友達からキャノンのカメラを借りまして、マクロレンズを使って、撮ったのがこちらになります。

 

菊池 ただのメモだけどおもしろい。
 
H.O で、これ修理したの?直ったの?
 
E.Y    あっ、できました。
 このカメラはだいぶ古くキャノンの1DS初代ですね、2002年発売の機械なんで。
 
白谷 さすが理工学部だね。(笑い)
 
E.Y  はい、ただレンズが枠から外れていただけだったので、それを付け直すだけでなんとかなりました。
 
菊池 ぼくはこれね、割合おもしろいと思ったの。
 
H.O まあ趣味の世界だね。
 
菊池 その趣味の世界をこういうふうに撮っちゃうというのがおもしろくなるんだよね。いわゆる作品になりうるかもしれないというのを感じさせるんだよこれ。単なる分解メモと思えるけどね。
  どうしてあんなに黄色いの、もしかして電球の下で撮ったんじゃない?
 
E.Y そうですね、電球というか普通の電球ふたつに、一応青フィルターかけて、ホワイトバランス一致させてから、一気に現像、あの時間がなかったから、急いで処理しようと一括処理で行いました。
  
  はい、けっこう自分の思い通りの写真になりました。レンズの写真の方で黒をつぶさなくて眠たい写真が多くなったと友人にいわれたのですが、それはそれで私としては好きな処理であるんですが、まあ少しぐらい気持ち悪い絵も作ってみたいと思いまして。
 
   
 
  ただこちらの猫とかもそうなんですが、額に入れるのがけっこう難しくて。難しいというか私が慣れていないせいで、かなり埃が混入してしまって、しっかり見ると埃とか変な毛とかが、大量に入って、なんか悲しいなと思います。
     
    そちらのほうは日頃スナップしたのをまとめたものですね。使っているレンズはかなり安いものです。
  
菊池 シグマの18ミリ。どうしてこんなになっちゃうんだろうね。
 
E.Y はい、だいたい3万円以下。いちばん安くて2000円、3000円だったかな、のレンズです。
     ちなみに私くしがキャノン使っている理由は、中学高校時代の友人がキャノンを使ってて、友人からレンズを借りないといけなかったからです。ニコンの人はほとんどいなくて。
 
 ブックは枚数を稼ぐために、ちょっと自分でもどうかなという絵がいくつか、それについては反省しています。猫写真が多いのは猫が好きでもないんですが、撮るのは楽ですね。撮るのが楽なのと楽しいのでなかなか多くなってしまいます。
 
 
白谷  もう長く写真やっているの?
 
E.Y 大学に入ってから1年目はフィルムカメラでちょっと。父がフィルムカメラ貸してくれたのと、また祖父からもフィルムカメラなんかを。
 
白谷   何んていうカメラなんですか?
 
E.Y 父がEOS5QDで、1990年ぐらいの普通のオートフォーカスカメラで。
  で、父方の祖父がキャノンのA-1ですね。で、母方の祖父が、もう亡くなっているのですが、オリンパスPEN—Fを貸してくれまして、私がそれを遺品としていただきました。
   
     で、それを使ってパシャパシャ撮ってて、2年生になる直前にデジタル一眼レフを、ヤフオクで1万円で購入いたしまして、それからちょっとづつレンズが増えていきました。
 
  私くし射撃部でライフル射撃をやっておりまして、それがあまり忙しくなくなったので写真部に入りました。
 
A.S 彼、夜景400ミリでぶれないで手持ちで撮れるので。
 
菊池 あーそうですか、やっぱり射撃部だね。
 
白谷 上手だよね、すごく上手。
 ★★★★★★★★★★★★
S.Sさんの写真を見る

S.S こっちの4枚が壁に出していた作品で「宇宙」ってタイトルです。こっちが「8月の秘密」っていう1枚だけ の作品で。

 「宇宙」なんですけど。春ぐらいから「生活と宇宙」っていうテーマで撮りたいなと思って。
あとなんかゴミゴミしたものときれいなものどっちもあるから楽しいよな、みたいな感じで撮ろうと思ってたんですけど、夏休みくらいにデジタルカメラを買いまして、それまではずっとフィルムで撮ってたんですけど、デジタルになったらマクロができるし、あと撮ってすぐ見れるから色がきれいなものを撮りたくなってしまって、気付いたらお花畑になってたのです。(笑い)
 
  で、なんか1枚コスモスの写真があるのでコスモスと宇宙をかけて、「宇宙」というタイトルをつけました。こっちの3枚がデジタルで、こっちはフィルムで撮りました。
 
 宇宙
 
 こっちの写真なんですけど、これもデジタルで撮った写真で、「8月の秘密」というタイトルなんですけど。
 えーと、これは地元で撮った写真で、地元は福島県の猪苗代町っていう所なんですけど、何かその帰省したときに、何んかこうトンネル抜けて森ができる感じで、その何んていうんでしょう、小さい頃を思い出して、何んかその楽しいだけじゃなくて、熊とかが普通に出る町なんですけど、小っちゃいときはそういう森とか、今だと怖くては入れないですけど、小っちゃいときはぜんぜん気にしないで入ってたなって、そういう思い出が楽しいものだけじゃなくて、ちょっと怖いところもあるなと、そういう明るい思い出だけじゃない感じを出したいなと思って「8月の秘密」というのをつくりました。
 
鈴木 またタイトルから始まっちゃうんだけどね、私の場合。会場で度胆抜かれたのね、「宇宙」っていうタイトルに。
 
 怪訝そうな顔してるけど、おそらく、僕が言うことほとんど通じそうもないけど、宇宙っていうのは大変なことなんだよね。せめて「マイコスモス」とか「私の宇宙」とかなら。
「宇宙」って言い切ると、天文学だけでなく、結局、我々は何故生きてるのかとか哲学的な問題も入ってくるわけだよ。そのくらい宇宙っていう言葉は深くて広い意味を持ってるんだよね。それをこの写真につけるとは、ちょっと僕は度胆を抜かれました。
 
  あと、美しいものを美しく撮るって、今言われたよね。でこれとは関係ないか、いや関係あるんだけど、この中ではこの写真がぼくは一番良いと思うね。
 たとえば富士山のご来光って美しいことになってるじゃない。で、あれ本当に美しいのかどうか、あるいは尾瀬の四季、尾瀬の紅葉を見るとみんなきれいって言う、カレンダー見て皆んなきれいって言う。あれ本当に美しいのか?
 
 美しいものを何が美しいのか何が美しくないのか、と考えるとこから写真は始まると僕は思ってます。だから、こっちはあまり関心ありません。
そして、こっちはなんで良いんだろうって思うんだけど。やっぱりハイキ—の効果なのかなという感じと、まあいろんな理由がありそうだけど、他とは何かが違うんだよね。
 
 あと「8月の秘密」だっけ、これも昔「八月の濡れた砂」っていう映画と歌があったんだけど、そこら辺の関連で、この写真でタイトルが「8月の秘密」っていうのはないだろうって思いますね。
どう思う?これはこれで「宇宙」で良いんだ、タイトル、そう思いますか?
 
 
八月の秘密
S.S う??ん、そんなに深くは考えてなくて、半分ダジャレなので、あんまりそんな意味があるかと聞かれたら、ないんですけど。
 
鈴木 この写真ができてからタイトル「8月の秘密」っていう、それとも先に「8月の秘密」っていうフレーズがどっか頭にあって、この写真を撮ってつけたの?
 
S.S うんと「8月の秘密」っていう歌のタイトルがあって。歌なんですけど、それが頭にあって。
 森に行ったときに、あ?そういえば、昔はこんなこともあったな、ってみたいなことを考えて。
 そうですね、その場所に行って撮る時はわりと既にそういうことを考えていました。まあその感じが出ていないと言われたらそうなのかもしれないですけど、個人的な感傷というか、そういう感じで。あーこの場所に来るとあれを思い出すみたいな、感じで撮りました。
 
菊池 個人的にそうなんでしょうけど、見た人はそんなことわからないんだよね。それとタイトルの方が美しすぎる、写真じゃなくて。
 で、これ見てみると、いわゆる花写真になってないのが少し救いなんだよね。年をとるとさ、みんな花を撮ったりなんかし始めるけどね、そうなってないのが多少救いだねこれ。まだ若いし。昔ヨドバシカメラとかあのへんに行くといいおばさんが、肩からカメラをさげて、エクタクロームを何十本も買ったりなんかしていて、何を撮るのかなと横で聞いているとだいたい花なんだよね。
 
 花を撮るのが悪いとはいわないけど、そういう人たちはね、お手本写真のような花しか撮らないの。あんなの何百枚も撮ったって感動もなにも与える写真撮れないんだけどね。
これはそういう花写真と少し違うところがよかったですね。
 

H.O いま鈴木さんがたまたま並べ変えましたが、これ明るさを、結局このトーンにもってったってことにあるわけじゃない。この2枚に関して。

 
S.S 並べ方ですか
 

 
H.O このトーンをチョイスしたってことがあって、唯一この写真に寄って立つものがあるとすればそれなんです。他ほとんど意味がない。
 と言うか、写真としてのパワーが出てきてない。唯一パワーがあるのはこのハイキ—なトーンのところなんで、ここをつかまえてテーマにして、花でもいいですけど、まとめていけばなんとかなるかな、というのがありますよね。
 極めて今っぽいですけどね、このトーンは。ですが、写真的なまとまり、かっこつけていくっていうのも一つの在り方なんで。やっぱりこのままだとレア過ぎちゃって、生っぽいんですよね、撮った感じが。
 
 で、いろんな調理の仕方があって、水玉の質感とか、これはもっと本当はシャープに全体にパンフォーカスになっている方がおもしろいでしょうとか、あとコスモスのハイキ—な感じと、っていうことで意識していくとひとつのシリーズとして写真が動くと思うんですよね。
 
 で、それを自分の中でわかってないとすると、ちょっと残念かなって。それをつかまえてればもっとこれで組めたんでね。そこがさっきから言っている編集っていうところで。つまり、もうひとつの人格を作って写真を見てみる。撮った人間ってやっぱりこうなっちゃうから。
 それは、映画だとか、いろんな写真を見てると、だんだん会得できてくる。だからもっと他から刺激を受けていくと良いんじゃないですかね。
 
菊池 これ技術的にみたら失敗作なんだよね。普通は水玉ピシッと出す。
 
 で、これはそれができなかったのか、わざとしなかったのか知らないけど、良くみるとガクにピントがあってるし、まあ花の写真の王道じゃないよね。でもこれはハイキ—にしているんで辛うじて見られるようになったということかもしれないですね。
 軽いという言い方は失礼かもしれないけど、軽くなりすぎてるんだよね。
 
H.O でも今っぽいですよね、今もっと軽いですから、もっとのってますから。
 
鈴木 川内倫子という人の写真展をこの前見に行って、普通の水滴一粒をハイキーにしてこんなにでっかいサイズにしてるんだよ。そういうのがあったの。
 で、これは普通の花の写真で、これをこうするとハイキ—っていうかトーンの問題もあるけど、持っている世界が違う。この2枚とこの2枚とは、世界が違う。
 撮るポイントで違う世界を与える、そこらへんをちょっと・・・。
 
 
菊池 H.Oさんが言ったこれはやっぱりリアル的ですよね、こっちは違いますよね。
 
鈴木 まあ今っぽいって言われて、確かに今の女性の写真ではかなり見受けるんだけど、でもこっちのほうがおもしろい、こっちは単なる花の写真ですよ。
 
H.O たぶん、オートフォーカスが、カメラが間違ってるんですよ。
 オートフォーカスでピントがズレたのを補正するっていう使いこなし方が、今求められちゃってるんですけど。
 まあ銀塩でずっとやっていた方が良かったかもね。
 
鈴木 例えばアマチュアのおばさんおじさんの写真グループとかの写真があるじゃない、写真持っていくとこれとこれが良いとかって言う、そういう写真指導の先生が来てると、言われる可能性がある。「なにこれピントがどこにあるかわからないから駄目」だって。これはピントがきてるしってそういう評価の仕方もある。だからそういうことでは、後は自分の道を信じるしかないですよ。
  

★★★★★★★★★★★★★

J・Dさんの写真を見る

 
J.D 早稲田祭4回連続出品ということで、今回が最後ってことで、まあ出品の意図としては、最後の早稲田祭で集大成の作品を出そうということで、A3ノビ、部室で出せるプリンターサイズ最大の大きさで、これまで大学生活4年間で撮り貯めたものの中から良いものを15枚選んで、集大成にしようという意図で出しました。
 
 で、私は15歳の時から写真をやってまして、その写真を始めたきっかけっていうのも、こういうミリタリーな乗り物が好きで、その好きな対象へのアプローチとして写真が良いんじゃないかっていうことで写真を始めて、それから8年間一貫してこういうことをやってきて、今回4年間の区切りということで出しました。
 
 で、一枚一枚に本当に思い出があって、これを語りだすと2時間くらいかかるのですけど、どの写真も僕にとってはドラマがある、だからこれ出したことでけっこう自己満足はできましたが、正直こういう場で評価されるべきではないと思っています。
 
 私が2年生の時にHさんという先輩に言われたんです、「堂脇の写真はおれは写真として見てない。こういうミリタリーの被写体を見るつもりで見ている」って言われて、正直すごく悔しかったんですけど、だったらもうそれを突き進めるしかない、僕はそれが好きなんだから、それを突き進めるしかないと発奮してこういう写真を撮ってきました。
 
 
H.O なんでミリタリー研究会とかそっちにいかなかったの?なんで写真部に入ったの?
 
J.D 写真部の機材が使いたかったからです。(笑い)
 
H.O じゃ基本的にはこういうものが好きなんですね?で、これ以上の広がりはないわけですね?写真に関していうとね。
 
J.D いや、被写体としては人も風景も一通り人並みには撮れるんですけど、そういう小手先の作品を写真展に出そうという考えがなくて。まあそういうのは人並みのレベルでいいかなと。僕はこっちを突き進めようと。
だから写真部としては相応しくないというのはじゅうじゅう承知しています。
 
 
H.O こういうものって、こう撮るしかないかなっていうレベルのとこで、まあたぶん機材とかスキルっていうのはちょっとづつ上達して反映されているんだろうけど、やっぱりもう、要は鉄道写真とか、形式をちゃんと撮るっていうのと、ちょっと情緒的なものっていうのと、入ってますけど、だからまあそのどっちにいきたいのというところもあるけれど、おそらくその形式がすごい好きで、コレクタタブルのように。
 
 所有欲の代償だよね。だから本当いえば、こういう飛行艇がちゃんととまってて自分のためだけに、そこでカメラを構えて、高画素のデジタルカメラでそれを複写できれば一番幸せっていう。
 
J.D そういうことになりますね。
 
H.O それは帰着点が見えちゃってるから、そういう意味でいうとご苦労様でしたっていうしかないんで。ただそれを本当にそういう野心があるのであれば、これからそういう機会をつくるべく努力して、そういう、我々が見れないようなレベルでの高精細な兵器の写真撮るっていうのはひとつにはおもしろいかもしれないですね。
 
 今デジタルが銀塩時代よりものすごく精度が上がっている。堅くてメタル、金属質なものを撮った時に写真映えするようになっているのでね。
 
菊池 もう就職決まっちゃったから遅いけどさ、自衛隊にはいればよかったんだよ。
 
 
J.D それはまた僕のなかでは別の話なんですよ。たとえばディズニーランドが好きだからって、ディズニーランドで働こうとは思わないし、写真が好きだからってカメラマンになる人もそういないじゃないですか。
 
菊池 ぼく自衛隊のカメラマンが撮った写真を見たことあるんだけどね、エッと思う写真が撮れるんだよ、どこへでもいけるから。まっくら闇の中で戦車が発砲するわけだよ、煙がこうなって、発砲した明かりだけで撮ってるんだけどさ、それなんか芸術的なんだよ。一般人には撮れないしね。
 ほんとに感心する、エッていう写真あるよね。ぼくらはとても近くにいけないものだからね、やっぱり乗り物、レースの写真と、同じだから。
 
鈴木 これさー、軍艦とかジェット戦闘機とか戦車とかを撮ると、写真ではないの?さっき写真ではないって言ってたけど。
 
J.D 写真ではあるんですけど、そのいわゆる写真的評価を、与えられる作品ではないと。
  
鈴木 そんなことはないよ、なに撮ったって、写真は写真だよ。
 会場で見て巧いなと思った。長玉の使い方が巧いなと思った。
 
 で、自衛隊に入ればいいっていう話は別ね。ちょっと後でそれは聞きたいんだけどそれは別で。
 
 軍艦だろうが戦車だろうが、何んだって写ってれば、カメラ使えば写真だよ。写真的表現って、なんとなくアートっぽいとか、あるいはブレッソンみたいだと、写真なの?どうしてこれは写真的な作品じゃないの?
 
 僕はあまり技術とか、カメラは写ればいいと思ってるんだけど、会場で見たときにあー自衛隊のPRに使えるなって、広報で借りに来るんじゃないかなって。そのくらいのレベルには行ってるでしょ。
 ぼく自体がこういうものについて、どう思っているかっていうのはまた別の問題なんだけど。
 だけど、技術的にはうまいなと思いましたね。
 
J.D ありがとうございます。それは自分でも自信があることで、大学生でこのレベル撮れる人はそうはいないって思います。
 
菊池 世界の艦船とかあーいう雑誌にも使えるくらいだよ。
 
J.D そうですね、そういう専門誌にはけっこう定期的に僕の写真が載っています。
 知ってる人は知ってるっていう感じです。
 
鈴木 で、これは空撮だけど、これはやっぱり自衛隊記念日かなんかの時に、基地が開放されて?
 
 
 
J.D あっそれ空撮じゃなくて、レインボーブリッジから。日本でこのアングルが撮れるのは、レインボーブリッジとあと瀬戸大橋だけっていう。
 場所のリサーチとかは経験から得たりとか、ひとに訊いたり。場所命ですね、場所とタイミングです。
 
白谷 何か所ぐらい行ったの?
 
J.D これはもう北は北海道から南は福岡まで、だいたい40とかそれ以上。
 
鈴木 ちなみに早稲田祭に出してて、他の大学の写真部の学生とかあるいは写真部でない学生が見て、こういう自衛隊の写真が並んでて、どういうつもりで撮ってるんだってきかれることはある?
 
J.D それがあんまりないですよね。僕は完全に政治的なあれは切り離して考えてるんですけど、まあこういう写真を出す以上は、そういう批判みたいなのがあるかなって思っていたら、4年間出し続けて、意外とないんですよ。
 
 だからこういう死の商人的な人殺しの道具を撮るのはいかがなものか、というような意見は意外となかったです、この4年間。
 
鈴木 まあ死の商人とまではいわないけど。(笑い)
 
 
H.O そう思って撮ってたらもっと違う写真が撮れるよ。
 
J.D あっそうですね、僕は単純に美しさを表現したいと思って。
 
鈴木 マニアが撮ってるって感じがわかるね。
 
H.O マニアックすぎちゃって、その専門誌までですよね。
 極めて専門誌的なところで、だからそっから先があるとすればさっき言ったようにもっと近くに寄って高精細で撮る、写真的な怖さっていうところが、もしこういうのにあるとすれば
 
菊池 スペースシャトルとかを撮ってる人がいるよね
 
H.O もっと労力を使ってますよね、金も使ってるだろうし。だから結局そういうことなんですよね、そっから先があるのは、アマチュアとしてできる範囲では、行ける所までは行ったかなって感じなんでしょう?
 
J.D そうですね、おっしゃるとうりです。
 
H.O だからもっと冷徹に切り離していって、背景が写らないとか、なるたけ要素がからまないとか、そういうのがもっと高精細でぐっと出てくると、写真的にすごいっていうか。
 要するにこういう「オタクが撮ってる写真」というよりも、刺さってくるかもしれないですね。
 要はこういうフォーメーションのきれいさとか、そういうのにうっとりしてない、質感だけに寄るっていう、だからそこのね、いろいろ鉄道写真とか見ても、もう一歩寄るとモノとしてのすごさがでてくる、そこまで行ってくれるとおもしろい。
 

 

【初めに一言】
(前2回と同じ内容です)

鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て、私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。
 今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
 
 というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。
 
 あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか。あるいは今、あなた方学生さんの就活の問題とか、あるいは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
 
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
 実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ。1963年、考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
皆さんの写真を早稲田祭でも展示で拝見しましたけど、それに加えて、今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
 
H.O84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。
 その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思った。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。
 
 

 
★★★★★★★
H.Iさんの写真を見る 

H.I タイトルが「being lost」で失われることなんです。このバス停を撮ったのはすごい夜なんですけど、人がいないところで。ここはもとがなんだったか判らないんですけど建設現場で。これは鉄条網のなかにある鉄柱なんですけど。

で、自分には手が届かないものみたいなものを表現できればなと思って撮ったんですけど。 

being lost

菊池 ぼくは、左上と右下の写真はいらないんじゃないかなと思ったんだよね。
 
H.I   最初この2枚で作ったんですけど。
 
菊池   でも、この2枚だけにしちゃうと、ちょっとまた不満なんだよね。
 
H.O この2枚を軸にするんだったら、これふたつの要素があるじゃない。夜景っていうのと、一つはコンポジション。その方向でもう少し狙っていけばいいかもね。 
この有刺鉄線とフェンスっていうのは、まあ正直足りなかったんだろうなと、思います。だからこの2点、夜景は今撮れちゃうからね。前はこんなの撮るの大変だったからね。必ずブレていたのがパシッと撮れちゃうから。だったらこの軸で、もうちょっと広げると良かったのではないでしょうか。
 
菊池 この写真は撮ったらこの色だったの?それともあとから変えたの?

 H.I   ちょっとだけ変えてるんですけど、ほとんど変えてないです。

菊池 でね、この色味ね、デジタル独特の色味なんだよね。これはこれで僕はいいんだと思うんですよ。
 
鈴木 夜景だって気づかなかったよ、俺。 

H.O これさーパイプ椅子の位置とか直しに行ってるでしょ。ちゃんとこの位置でいつもあるの?
 
H.I      行ってないです。(笑い)
 
 

H.O    これはどこのバス?国際興業か。国際興業これ置いてるんですかね?あなたが持ち歩いてるんじゃないよね?(笑い)

妙にインスタレーションっぽいじゃない、これ雰囲気としては。狙ってるともうちょうこっちにやりたくなると思うね。この辺もきちっと間隔合ってるんで、やってるんじゃないのって思ったけどやってないんですね。

鈴木 またタイトルなんだけど、タイトル気になるなあ。再検討してください。
 それで、この4枚の組み合わせでは分裂してるなって思ったね。要するに、こちら2人がどっちかっていうと夜景の方で、僕が関心あるのはこっちの2枚。
だからそのくらい写真っていうのは、受け取り方が見る人間によって違うんだよ。 
こっちを仮に鉄線シリーズっていうと、このシリーズでもっと歩いて発展すると何か出てくるんじゃないかなって思った。

 こっちの夜景の方は単なる構成的なコンポジションで、それ以上の面白さは感じられないんだよね、僕には。こっちでどんどん歩いて、全部が金網と鉄線ならそれでもいいし、あるいは他の物でもいいけど、写真って理屈じゃないんで、現代の、現代社会の閉塞感のようなもの、言葉として言っちゃうとそんな風になるけど、そういうので撮ってゆくと、鉄線とか、あと金網とかを集中的に撮る。
だからもっと歩いて。こっちの夜景でやるという方法もある。 

H.O モノクロ的な感覚とか、造形的なものとか、写真的な言語っていろいろあるんですよ。だからそれを起点に、膨らませるってこともある。

 夜景写真のおもしろさっていうのは、実際そこでみているものを写真にすると全然違って見えるということなんだよね。いわばシュールなもの、それを一つの見方として自分の中で持ってて、撮る時に、あっこれはそっちだって思っていくとより深まるよね。だからそういういろいろな引き出しがあれば、出会ったときこっちこっちって、行けばいいので。 

白谷  4枚をたすき掛けにしたっていうことに何か意味があるんじゃない? 

H.I ここ二つにして並べちゃうと、下いらなくてなっちゃうって。どっちかになっちゃうかなと、こう斜めにしたんですけど。

H.O AB型? 

H.I   Bです。(笑い) 

H.O いやセパレ−トだからね、だからいいんですよこれは。これはこれでいいんだけど。ただでもね、僕の感覚でいくとこれ(バス停)を基軸にしたくなるので。じゃあ有刺鉄線とフェンスシリーズにいくっていうのだったらもっと捻るよね。単純に夜景にしてもいいですよ、これを置き換えてまあそういう・・・。 

菊池 話の途中ですけどね、こういうディティールが出るっていうのは、これフィルムじゃ出ないんだよね、フィルムで撮るとね、暗部がつぶれちゃんですよね必ず。ところがねデシタルでやると出るんだよね。
 
 これは今までフィルムでやっていた人にはできない方法だから、決してバカにしたもんじゃないですよ。ディティールが出るんですよ手触り感が。銀塩で夜景撮ったら絶対こういうふうには出ないからね、それは新しいアドバンテージをもらってるわけだから、それはやってもいいんじゃないかな、少しおとなし過ぎるかなとは思うんだけどね。
 

 
H.I   金網とか金属みたいのが好きなので、また次回広げられたらいいと思います。 

菊池 じゃあ金網でいくべきだな、次回。 

鈴木 だったらとにかく歩く、歩くこと。そういう場が写真の出会いだから。 

H.O 歩いた距離に比例するからね。猟みたいなもんで取れ高だから、収穫ですよ。 

菊池 猟ってあのハンティングね。 

鈴木 で、それやってくとあるとき突然、それこそよく言うけど神の助けじゃないけど、それがやって来て、えっ!こんなとこ有ったのかって、そういう瞬間って必ずあるから。 

菊池 よく言うじゃないですか「写真の神様に導かれて、今角を曲がったらいいのがあった」とか、そういうの必ずありますから。
 
H.O だから腹減ったりお茶のみたくなっても、歩く。そうするとなんか有る。
 
★★★★★★★★

M.Iさんの写真を見る

 
M.I えーと私が撮ってるものはですね、いちおう目には、一般的には見ない、じゃない見えない、こんなものは日常には無いんですけど。写しているのは世界の状況とか、思い描いてるのはそういうことです。
 
 こっちの作品二枚の組写は、タイトルは「zoom」ですけど、この赤いところをズームしていくとこれになるんですね。どういう切り取り方をするかで、見え方っていうのはすごく変わってくるんですね。そういうのをまんま写してもいいんですけど、まあ私はこういう作風を持ってるので、こういうのをしてみようとして作ったのが「zoom」という作品です。
  
 で、タイトルがフォーカスでないのは、日々の情勢に人がフォーカスしてるかっていうと、そうではなくて取りあえずズームして何んかを感じていると思ったので、フォーカスよりはズームというタイトルにしました。
 
 で、こちらが「imitation」でこちらが「dropping」なんですが、二色使ってこういうのを作るのを連作でやっています。
 
鈴木 ちょっと、もう一回言ってくれる。
 
M.I 二色の色を、似てるかもしれませんが、二色使って連作をずっとやってまして、世の中は二色、いろんな二つの力があると思うんですよ。
 いろんな見方ができるんですけど、そういうのが境界があって均衡してそのポイントがあって、今そのポイントがあって、というかそのポイントを見つけたくて、いろいろ研究をしていたりとか戦ったりとかしていると思うんですね。
 で、そういうのを表したくて基本二色で写真を撮っています。
   
 で、人によってイメージはそれぞれ持って良いと思ってるんですけども、私が撮ったときのイメージは、これは日本とアメリカなんですけど、右と左っていうのは単純に自分は右は赤で、左はこういう色だと思っているからなんですけど。
   
 私アメリカに一年間留学してまして、アメリカで向こうの情勢を見て思ったのは、まあ資本主義云々とか言ってるけども、私、安倍さん嫌いなんですよ、なんか右翼とかそういうの好きだし、なんだかんだ好きだし、まあそういうのが混ざるのはいいし、そういう流れなので良いと思うんですけど、(今の日本の状況が)こういうふうな感じになってるのかなと思ったのでこういう感じ=どす黒い感じで。
     
 何んか日本ってマネするの好きじゃないですか、別にマネすることは悪いことじゃないと思うんですけど、いくらマネしてもマネはマネで、何んか淡いだけでよくわかんないっていう、それが日本なんじゃないかと思って撮ったんで。そういうふうに思いつつ、ウーンって思いながらフーッてやって、ポッと撮ったんです。
   
 で、もう一枚あったのは「ground」って言って、持ってこれなかったんですけど、長いやつなんですけど。
 まあ「ground」というのは、こっちにも写ってるんですけど、落ち葉が落ちてて、まあグランドって踏みしめてる地面っていうのはいろんなものが堆積してできたもので、そこには歴史もあるし、例えば早稲田キャンパスだったらいろんな人が死んだとか、射撃場だったとか、いろんなグランドには歴史があるじゃないですか。そういうのが実はもうちょっと滲み出てるんだろうなと思って撮ったのがこの写真です。
 
[zoom]
菊池 これがこれの一部だって?どこですか?
 
M.I    ここの真ん中のへんをズームしたときに。
 
鈴木 で、撮影意図というのは。
 
M.I    はい?
 
鈴木 いま話していたでしょ、いろいろこういう写真を撮ったことを。
 僕が見て、あー面白いなと思ったのは、この二つがかなり好きで、こっちのデジタルっぽい方は、色自体は好きじゃないけど、ただ面白いとは思ったね。
    あと私、友人に現代美術の版画家が何人かいて、版画家はいま写真を使うことが当たり前になってて、写真と版画が交差してるわけだけど、そういう友人たちの現代版画の作品を思い出した。
     
 で、そのアメリカ云々とかそういう意図というのはどちらかというと文章の世界で、写真の場合は観る人間の自由に任せるべきだと、僕は思ってるんだよね。
     
 それと、これなんかは撮るっていう時に何を撮るわけ?いや単純にどうやって撮ってるの?
 
M.I えーとボールに水を張って、それを地面なり、何もないところに置いてインクを垂らして撮っています。なのでこういうところは外で撮ってますので、若干太陽とかの反射とか入って明るくなってますね。こういうのは室内とかで、下からこう当てて撮ってるのでそういうのはないですけど。
 
H.O あのね、Iさんの口上込みで作品があると思う
 
M.I   口上?
 
H.O 口上、いまのトーク。あなたのトーク込みでようやくこの意味が分かる。写真の1枚1枚というよりは、Iさんのプロテストというか、まあ極めてポリティカルな意見をお持ちのようですけど、それが込みで一つの作品になっているから。要するにこういう形でしか表現としては完結しないんじゃないか。
 
M.I そうです。だから今日この機会をすごい楽しみにしていて。
 
H.O 一枚のまあその滲みっぽい、単なる滲みっぽい写真、まあ抽象絵画もそうだけど、だからそれだけではわかんなくて、エイエイエイッて自分でやってパシャッと撮っている。
  まあ表現のレベルとしてはどうか、というより、行為としては新しいかなと思う。そういう口上つきの、トークつき写真プレゼンテーションで表現を完結するという形がなるほどなと思って。
    自分がアメリカに行ってどうのこうのっていう点に関しては、写真的な目線で見ちゃうと、まあまあ実験的なことをやってらっしゃるなということで、あとあれですねどっちかというと抽象絵画。
 
M.I そうですね、ジャクソン・ポロックとか。
 
H.O そうそうだから美大系。やっていることは女子美の人とかがやりそうな範疇のとこに行ってて、だからそれを写真というメディアを使ってわざわざ早稲田大学写真部でやるとユニークかもしれないけど、まあまあそういう意味で言うとちょっと新しいっていうかね、他の皆さんとはちょっと路線が違うところに突き進んでいらっしゃる気がして、これが変わっていくとどうなるのかなと思うとおもしろい、という感じですけど。
 
ground
 
M.I    いちおうポートレートとか景色みたいのは撮るんですけど、作品となるとやっぱり。
 
鈴木 撮ることは撮るわけだ。
 
M.I   撮ります、まだこの場に出したことはないですけど。
 
鈴木 そっちも、ちょっと見てみたいね。
 
H.O 文章で書いちゃった方が早いような気もするけど、でもあえてこれでやっているのが。
 
M.I   あっ、タイトルとこれだけでは絶対伝わってないなというのはわかっているし、それを今後どうしていくべきかというのが自分の課題で。
 
H.O 最初に文章にいかないで、最初こっちに行ってるとこがおもしろいんですよ。
 
鈴木 だから口上つきだったらまだしも、要するにこの写真みてIさんが言ったことは誰も思わないわけだよね。 
 で、それで良いのかどうかということだけど、正確じゃなく、アバウトにでも伝わるのかどうか。写真でも小説でも美術でもそうだけど、皆んな何かしらいろんなことを考えて、政治的なことも考えて抽象絵画描いている人もいるわけだけど、でもそれを展示した抽象絵画を観るときに、今のアメリカ状勢とかわからせたいというのは、要するに作者の我が儘っていうか、一方的な思い込みになっちゃうわけだから。
そこでね、いわゆる文章つきだとか口上つきだとか、そこらへんの問題はどう思う?
 
M.I   展示会場でずっと立って話してればいいんですけど。
 
H.O だからね露店みたいにね、昔のガマの油売りみたいに。だからそれしか無いわけだよね、そのパフォーマンスしかないんだけど、それじゃあまりにも伝わりにくいし、効率が悪いっていうかね。
 
M.I   できれば写真でやりたいんですよ。
 
H.O だから写真に撮って完成したっていうのが弱いんだよね。むしろ、そういう想念を写真で伝えたいのであれば、もっと写真のやり方を考えて。
  口上つきでやるにしても、もうちょっとこの絵自体が。もっと努力したほうがいいということだよね。
 
菊池 ぼくも一年の頃こういう抽象絵画風のものをやったことあるの。
     で、その時の先輩に言われましたよ、「これは写真じゃないよ」と。
  確かにそうだよね。だけどね、こういうのをやった経験からいうと、こういう作品は何気なく撮っているようで何回も試作をやっているんだよね。
 写真っていうのは街角まわってパアーッと見て瞬間的にどこを撮ったら良いか判断するのが一つと、モノをジーッと見ていてどこから撮ったら良いかを発見して行くのと二つあるんですよ。
   
 で、この絵が成功しているかどうかちょっと判らないんですけども、そういう見方の二つのうちの一つの大事なものをあなたは嫌じゃなくてできる人だと思う。普通の人だったらこんな辛気臭いこと厭ですよ。
  だけどね、それができるのがもしかしたら将来豹変するかもね、という感想をもちました。なかなかいますぐ完成品なんかできないよね。
 
鈴木 そういう想いで撮っていること自体は大賛成ですよ、世界のことを何も考えないで撮ってるのよりは大賛成。
 それと、文章つきか、口上つきか、という問題が。それが今後の課題だね、これからの。
 
菊池 口上もおもしろかったけどね、大道芸みたいで(笑)
 
M.I   しゃべるの好きです、けっこう。
 
H.O ぶつぶついいながらこう録って、それを流しとくとかね。
 
M.I   テープレコーダーで。
 
鈴木 あと、機会があったらポートレートみたいなのも観てみたい気がします。
 
★★★★★★★★★

M.Mさんの作品を見る

 
菊池 じゅうびょうといろ?
 
鈴木 じゅうねこって読ませたいの?
 
M.M えーと読まれることは想定してなくてそれぞれ読んでもらえたらなと思いました。自分でも読めない。
 
鈴木 タイトルぎりぎりで、もうちょいユーモアを感じさせるかどうかっていうところでぎりぎりかなという感じがします。
 
M.M 本当は猫って、野良猫撮ったんですけど、人に可愛がられて幸せそうな猫も、いっぱい居るんですけど、捨てられちゃってすごい悲しそうな顔をしていたり、そういうのも居たりするんですけど、早稲田祭でそういう暗い猫をもってくるかって悩んで、こういうものを出すことになりました。
 
 
【十猫十色】
 
H.O なんで暗い猫は早稲田祭に出すと、なんかそのネガティブなチェックを自分で入れたのか、どういう流れで

平尾 敦のN.Y.日記 ♯3

◎平尾 敦のN.Y.日記 #3(2014.01)
 
投稿が始まってから早くも3ヶ月も経ってしまいました。当初の目的であっった学校生活に関して今日は書かせていただきます。
 
その前に、そもそもInternational Center of Photography(国際写真センター、通称ICP)はどのような施設なのか簡単に説明させていただきます。
 
 
【ICP】
 
1974年、コーネル・キャパにより設立。
1950年代、コーネル・キャパの周りで写真家の死(ロバート・キャパ…1954年、ワーナー・ビショップ…1954年、デビッド・シーモア…1956年)が相次いだことから、彼らの写真作品の保存を目的に1966年、the International Found for Concerned Photographyを設立、これがICPの前身となりました。
 
現在では継続的に重要な展示を行うと同時に、3000人を超える写真家の作品を所蔵しています。また教育施設も併設し、週末限りのワークショップから1年間の認証プログラム、修士課程まで用意されています。
 
私が参加しているのはこのうち1年間の認証プログラム(One-Year Certification Program)です。このプログラムにも私の参加するドキュメンタリー・報道写真専攻(Documentary and Photojournalism)と一般写真専攻(General Study of Photography)があります。
 
学生はそれぞれ約40名ずつ、計80名ほどで、11カ国から集まってきています。アメリカ人は全体の約半数で、留学生は南米出身とイタリア人が多い印象です。アジア系は全員で10名ほどです。そのうち一番多いのは台湾人で、幸か不幸か日本人は私1人しかいません。
 
学生の背景も様々で、写真家としてのステップアップを目的とする者、高校・大学を卒業してそのまま入学した者、他の職業(弁護士や銀行員)を辞めて写真の世界に飛び込んだ者、年齢も18歳から50代まで様々な学生がいます。

【New York and me】

プログラムのスケジュールとしては、9月から12月まで写真の基礎講座をみっちりとこなし、年明けから半年かけて卒業制作に取り組むというのがおおまかな流れです。
 
我々フォトドキュメンタリー写真専攻の学生たちは現在、写真史、クリップオンストロボを使ったライティング講座、デジタル写真講座などを受講しています。
 
加えて、課題にそった写真を撮影し、全員でセレクトや議論を行う講義もあります。課題は1週間に「地下鉄の中で400枚撮影してくること」「移民3人を100枚ずつ撮影」など、なかなかやり応えのある内容です。
それも複数の課題が同時に出ることも日常茶飯事です。結果、生活リズムは「寝る」か「授業」か「撮影」かということになります。
 
講師陣のほとんどは50代から60代が中心ですが、ほぼ全員が現役の写真家です。
驚くのは、彼ら自身が常に新しいことに挑戦しているということです。写真のみならずマルチメディア作品も制作し、インターネットを使った最も効果的な作品発表の方法を模索し続けています。
 
「何で撮ろうが、結局はデジタルをうまく使わないと絶対に生き残れない」という強いメッセージを日々感じます。
 
 
【New York and me】
 
こうしてこの数ヶ月を思い返すと、推薦状を書いていただいた鈴木龍一郎さんの言葉を思い出します。
「今いくつ? 25歳? いちばんいいね。あんまり若いとなんだか分からないまま終わってしまうから。」
 
日々得られる情報が多い分、時間が過ぎていくのも早く感じられ、周りの話を聞いているだけでは1年なんてすぐに終ってしまうのだろうと思います。必要な情報を意識して聞くことが出来るのは、自分なりに試行錯誤した時間があったからなのだと実感します。
 
1年後に撮った作品がどのようなものになっているか、自分でも楽しみです。
 
 
★二枚目と三枚目の写真は「世界報道写真コンテスト大賞受賞写真家Frank Fournier氏の
ワークショップ課題、"New York and me"より」
 
その他の写真は以下のURLでご覧いただけます。

現役早慶展を見て(12/12?17ヒルトン東京)昭和34年卒・古怒田 潔

◎現役早慶展を見て(12/12?17ヒルトン東京)    
 
昭和34年卒・古怒田 潔
 
 今年の早慶展の出展者は、W11人、K16人と少々寂しい感じがしました。秋の早稲田祭のあと撮影期間があまりなかったと幹事長のK君が説明をしておりました。せっかくの機会ですから、部員数70名に見合うたくさんの展示が見たかったですね。
 
 全体に仕上げがきれいで、いわゆるデジタル加工でシャープの効きすぎたものやコントラストの強すぎるものがなく、気持ちの良い空間となっていました。額装は一人一人が作品の内容に合わせて工夫し、変化にとんだ展示となっていました。
 
 内容も自分のテーマが決まって、専門分野に深入りする人がいるかと思うとレタッチの方法にこだわってアートの世界で作品作りをする人など興味深い傾向がうかがえました。ジャンルの一つである組み写真の作品が何点かあり、ドキュメント風なもの、ストーリー的な、また心象風景としてなど写真を通じての表現が多様化しつつあるように感じました。
 
 Kの作品は対象を素直に表現した作品が多く、今秋のOB展の傾向がここにも見られました。Wの作品はそれなりの経験から、一ひねりした作品があり、やや難解といった感じでした。 画題からの作者の意図を写真からは推測できないものもあり、意あまって言葉足らず、わかりやすい写真を目指してもらいたいと思いました。 
 
 
★「TAC DEPARTURE」
基地を飛びたつ自衛隊の飛行機、乗務員の顔が見えるほどのシャープさで一瞬をとらえています。これはいわゆるミリタリー写真の専門家のジャンルで余人の立ち入るところがありません。近代兵器は現代科学の最先端技術でつくられ、想像もつかない図鑑的な美しさです。でもなりふり構わず、相手を打ち負かそうとすると、あのオスプレイのように格好の悪いデザインを見せてしまうのかもしれません。
 
★「雨上がりの瞳」
人の命を削ろうとする飛行機と打って変わって可愛い猫の写真です。
モノクロで無光沢、コントラストのほとんどない、いわば眠い写真、サイズもひときわ小さい。展覧会の片隅にひっそりと飾られている写真だが、なぜか気になります。
 雨上がりといっても路面に雨の降ったあとはなく、晴れ間の見える気配もありません。
でもこの小さな画面から、感じるのは小さな生命、生まれたばかりの奇跡のような生命を子猫の瞳の中に作者は見たのかもしれません。傍らの無機質な乗用車の排気口は、将来の過酷な環境を感じさせます。現代を生きる生命のあやふさを感じる写真です。
 
★「港」
3枚組の一枚ですが中心となる写真です。つかの間の着陸時間の間に大急ぎで貨物の積み込みをしている旅客機の写真ですが、大胆なカットで飛行機のボリューム感があり、作業員が3名それぞれの積み込み口に立っているという一瞬のチャンスをとらえました。単写真で十分ですが、到着、離陸という他の2枚の写真を添えてドラマテイックに空港を表現しています。
 
★「Invisible」
白い壁で有名なスペインのゴルドバの風景です。壁の落書きは“しゃりこうべ(どくろ)”に紙幣を撒いているカリカチュアですが、作者の興味をよびました。私は日本のことわざの「石に衣は着せられず」のスペイン版のようにうけとりました。インビジブルは絵の人物の顔が塗りつぶされているところから題名としたようですが、やや難解で、それらしき現実の人物を比喩的に点在させるとか、作者の表現を見たいところです。
 
★「たかく、高く」
  
2枚の組写真です。早朝のバルーン打ち上げで、体験試乗の機中からの一枚がメインです。
コスモスの花も下からのアングルで、青空を目指して茎をのばし、バルーンもバーナーバルブをいっぱい回して上昇しようとしています。ゴンドラの中からの間近な着火、上昇の写真はあまり見たことがなく、天空への希望がわくような力強さを感じます。組み写真としてはやや唐突な組み合わせですが、コスモスの花びらとバルーンの傘を作者の感性で結び付けるなど斬新です。
 
★「secret meanies
CDのジャケットカバーの写真でしょうか?有名なミュージシャンはただいるだけで肖像写真になるといいますが、この人たちは有名なのでしょうか?でもネットでも出てこないところを見ると、まだ売り出し中のバンドなのでしょう。 この人たちがブレークしてビッグバンドとなった何年か後、この写真は大変な値打ちものとなるかもしれません。
 そういえば、グループの人たちの表情から、青春そのものの挫折や苦悩、不屈の精神、将来への秘めた希望といったものを感じるのは私だけではないと思います。  
  
 
 

昭和55年卒・六田知弘さんの写真集「時のイコン」が発売されました。

◎「写真の早慶戦」で一番人気に推された昭和55年卒・六田知弘さんの写真集(A4変型 96頁 2500円)が平凡社から発行されました。

 東日本大震災から3週間後、私は宮城県仙台市の荒浜に立っていた。津波による想像を絶する惨状に、ただ立ち尽くすほかなかった。
 
 震災9か月後、ふたたび訪れた被災地で、足元に落ちているモノたちを白い紙の上に載せて撮りはじめた。できる限り、分け隔てることなく紙に載るものは片っ端から撮っていった。
 
 モノには時が堆積している。私は「モノの記憶」を力メラによって写し撮ろうと思った。それから1年の間に撮った総数は5000点にもなろうか。
 
 しかし、それらのモノのほとんどは、ガレキとして処分されたり、自然に朽ちたりして、いまはおそらくこの世に存在しない。
 
 これらのモノたちの写真をまとめるにあたって、本当に多くの方々のご助力をいただいた。発表する前に被災地に住む人、あるいは被災地を故郷に持つ人たちに、あらかじめ写真を見ていただいて、その感想をお聞きした。
 
 何よりも、これらの写真によって震災で傷ついた人の心をより深く傷つけることになることを恐れたからだ。しかし人びとの反応は思いのほか好意的なものであった。私が逆に励まされた。心の底から感謝しています。(略)ー本書「あとがき」よりー
 
2013年11月六田知弘

「早稲田祭展」現役+OB合評会ドキュメント vol.2

早稲田祭展合評会報告 vol.2
 
11月10日(日)に現役学生14名とOB5名が学生会館に集いました。
4時間半に及んだ合評会の第2回目の報告です。
 
◉参加者
 
・ 昭和41年卒・鈴木龍一郎さん(写真家)
・ 昭和42年卒・菊池武範さん(写真家)
・昭和59年卒・H.Okadaさん(写真家)
・ 現役学生(1年生?5年生)14名
 
(幹事会メンバーの平成3年卒・増田 智、昭和45年卒・白谷達也が記録係りを勤めました)
 
【初めに一言】
(前回と内容は同じです)
 
鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て、私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。
 
今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
 
というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。
 
あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか。あるいは今、あなた方学生さんの就活の問題とか、あるいは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
 
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
 
実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ、1963年。
考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
皆さんの写真を早稲田祭でも展示で拝見しましたけど、それに加えて、今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
 
H.O84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。

その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思った。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。

 

 
★★★★
【Y・Iさんの作品を見る】

 
Y.I:今回4枚出しまして、この3枚はそれぞれ独立してるんですけど、色で見せたかったので同じ場所でまとめて展示しました。これだけは1枚別で。 

こちらが、まああのヨーロッパの裏路地で、ベネチアとパリとフィレンツェですけど、まあ「the other side」ということで、反対側=裏側ということで。表通りの賑やかな町と打って変わってキリッとした、ちょっと怖いかなみたいな、そういうところを撮って、あえてバラバラにしないで1枚にスッキリ納めてみたかったので、こういう形(3枚合わせ)で出しました。
 
こちらはそれぞれ、そうですね、これもパリで撮ったものですけど、外が曇ってて照明が赤かったのが結構反射して全体的に幻想的な感じがしてたのでそれを収めました。
並木の方も結構スラーッと奇麗に並んでいたので、まあちょっと安直かもしれませんけど
「整然と」という名前をつけました。
 
こちらがキャプションだと「green/green」ですけど、スラッシュで「green/green」なんですけど、まあちょっと木の下に緑が有るってな意味でそういう名前にしたんですけど。
 
え?とこちらが「ハンター」です。冷たい雰囲気を出そうと思ってかなり絞って撮りました。
 
「整然と」       「green/green」       「ハンター」
 
鈴木:今日は最初っから言ってるように、僕が写真見る場合、自分がインスパイアーされないと、自分に引っかかるものが無いと意味ないのね。で、これ(「整然と」)とこれ(「green/green」)ははっきり言って関心が無い。だから何にも言いません。
 
これ(「ハンター」)については面白いな?と思って。
真っ黒につぶれちゃってるけど調子がもうちょっとあるわけ?
 
Y.I:調子はあります。もともと暗めに撮って、潰しました。
 
鈴木:調子をもうちょっと出すべきだよ。
 
特に目とか。よく質感っていうけど、この場合質感っていう意味じゃなくて。ただこれだと単純なシルエットで模様というか単なるイラストになっちゃうんだよね。
目とか、くちばしとかの調子が出てくることによって見る人間のイメージが広がるんだよね。
 
あと、これ(「the other side」)は僕もヨーロッパ随分行ったけど僕より歩いてないよ。若いんだから、もっともっと歩かなきゃ。
さっきも言ったけどソマリアの戦争撮ってるわけじゃないんだから、写真撮って殺されるって事はまずない、殴られるくらい。(笑)
 
腰が引けてるんだよ。だいぶ年上の僕の方がもっと歩いて撮ってる。
これはプロとかアマとかじゃなくて、写真を撮る以上はそこらへんの覚悟みたいなものが必要で、早稲田祭展見て、皆んな腰が引けてるって感じがした。
 
 
 「the other side」
これ(「ハンター」)には関心があります。
 深瀬昌久さんって名前ぐらいは知ってる?
 深瀬さんのカラスは見といた方が良いよ。何か参考になると思う。

Y.I:自分としては意図で敢て黒く潰したんですけど、そうじゃない方が良かったでしょうか?

H.O:まあ、何となく判るけどね。多分、造形的なのが好きなんじゃない。ちょっと、あの作品(「ハンター」)だけ違うけど。もっと要素を抜いていければ良いんだよね。 だから、葉っぱ1枚撮れば良いんだよね。枝と葉っぱだけにすりゃあこれと繋がるじゃん。ただ、それはつまんない写真になるかもしれない。写真のありようとしてはまとまるけども。

菊池これを見たときに、正方形にトリミングしたら、もっとデザイン的になるな?、写真じゃなくて良いからそれはそれで纏まったものになるな?と思ったね。

でもその代わりに、緑のディティールの違いを出すんだね、プリントでね。絵画と同じように緑の差を微妙に出しちゃうとか。そしたらそれはそれなりのものになると思うよ。
 
H.O:写真って何年ぐらいやっているの?
 
Y.I:大学入ってからです。
 
H.O:なんでまた写真始めようと思ったの?
 
Y.I:中学、高校の時からふつうに携帯のカメラだったりコンデジだったり、旅行の時なんか軽い気持ちで撮ってて。その流れで一眼レフカッコイイナと思って。軽い気持ちですね。
 
H.O:かなり軽いね?。(笑)
写真的なカルチャーの拠り所がなくなってきているんだね。
たとえば、僕らの頃は未だ写真誌が強くて、そこの作家たちを見て目標にするとか視点があった。
今の写真誌はその頃よりカメラがメインになってるから、カメラありきで写真をやっているというケースが多くなっている。
 
菊池:いやカメラ好きでも良いんだよ。別に、写真機が好きだからダメっていってるわけじゃない。
 
H.O:ただちょっと写真の在り方っていうのが変わって来てますよね。今携帯で写真が撮れるようになっちゃってるから。
 
最初にカメラを手にした時の重みってのが、やっぱり僕らの世代というか昭和銀塩世代とはぜんぜん違うんだよね。
これだけ万人が手軽に写真を撮っている時代に、写真部が継続してるってのちょっと不思議な気もする。
 
写真がお手軽になってオープンになってくると、自分の表現としてやっていく場合、撮影する強いモチベーションが無いとしんどい。技術的に簡単になったことが新しい方向を生むかもしれないけど、ブログにアップするような写真だけでなく、さらに突っ込んでなんでやるんだっていう理由を持ったものが必要になる。
 
僕らの世代はひたすら銀塩写真やって、地続きで表現って所に行ってたんだけど、ある意味大変かも、今の人たちは。
まあ、デザイン的なのが好きなのは判るんで、その辺でやってみると何か・・・。
 
菊池:こういうの好きだったら徹底してやるべきだよ。
 
H.O:やっぱり延々やってる人のパワーってすごいんで、けっこう陳腐だと思われているようなことも一生続けたらすごいことになるね。
写真と関わったからには抜けられないんだ、という感じで続けた方が良いかも。
 
それと写真はいっぱい見た方が良いですよ。そしてコピーする。
良く言うんだけど、音楽と同じで、それだけ技術や表現が自分のものになっていくということだから、アイドルっていうか、好きな作家がいたら先ずそいつを真似するっていうこと、結構僕らの世代はそれをやっていた。
 
今は、若い写真家でも良いし、昔であれば、それこそ深瀬さんとかね、森山さんとかね。
僕らの頃より、30年の蓄積があるわけだから。
恵比寿の都写美(写真美術館)の図書館に行ったらビンテージの写真集が平気で見られますよ。
 

★★★★★
F.Sさんの作品を見る
 
F.S タイトルは「dessin」といいます。モデルは私と同い年の画家として一応活動している男の子なんですけど、その人を彼がいつも作品を制作しているアトリエで撮りました。
  
  メインはこちらのブックなんですが、ブックから三枚壁に出しました。
  ポートレートを今まで撮ってきて、憧れというか夢がありまして、それは、アーティストを撮るということです。
  彼は美術大学の学生ですが、去年その学校の芸術祭で彼の絵に出会いまして、それ以来彼の絵のずっとファンだったんですね。
  
   一年後に再会して、そこでまあオファーというか、ぜひ撮らせてくださいということで撮らせてもらいました。
  今回はモノクロで出したんですけど、「dessin」というタイトルからモノクロにしたっていうのもあって、あとは男性を撮る場合はモノクロで撮りたいなとずっと思ってました。
  
  それは篠山紀信さんが本木雅弘さんを撮った写真を見て、男性をモノクロで撮るとすごいかっこいいし、渋くてストイックな感じがして、それでモノクロで撮りました。
  
  で、アーティストを撮りたいと思ってたのは、アルベルト・ジャコメッティという彫刻家がいるんですが、その人を被写体として結構高名な写真家が撮った写真集がありまして、それを見てずっとあこがれていました。
  そのジャコメッティという作家のことも私はすごく好きで、その人の作品に対するアプローチの仕方にすごく共感するところがありまして、それと彼(若い画家)の作品へのアプローチと私の世界へのアプローチとの3つを重ね合わせてこの作品を作成しました。
  
  で、いつもはカラーで出すんですが今回はモノクロということで、壁はちょっと違うものをやりたいなと思って。
  彼が花が好きなので花の色を出して、こちらはアトリエの象徴としてこの赤を出して、こちらは彼の好きな色、青のちょっとくすんだ色が好きなのでその色を出しました。
 
 「dessin」
 
菊池 この色はもともとあった色なの?
 
F.S はい、もともとあった色です。最初カラーで撮ってそれをフォトショップで加工しました。
  で、先ほどから皆さんいろいろエディットとか編集とかお話をされてきたと思うのですが、私はWさんみたいに技術で撮るんじゃなくて、ストーリー性というか、そちらのほうを重視していまして、ブックは私のその何ていうか美学というか、そこをちゃんと出したつもりです。
 
菊池 いやーポートレートの類としても別に卑下することはないし、あなたの写真はけっこういい人間が撮れていますよ。
  まあでも辛口の文句が出てくると思うけど。
 
F.S 大丈夫です。どんどんお願いします。
 
H.O じゃ、なんで銀塩でやらなかったの?
 
F.S 銀塩やったことなくて、その内やりたいなとは思ってるんですけど。
 
H.O いい機会じゃん。
 
F.S そうですよね、今4年生ですが来年もいるので。(笑)
 
H.O モノクロでやりたいっていうモチベーションがあるなら、まず銀塩でやらないのが変だよ。そこのイージーさがちょっとまずい。
  銀塩でやってみるって決めたほうが、より自分のやりたいことへ近づけるだろうし、そこでの発見もあるので。
  まあ結局フォトショップで色を抜いてもモノクロ化するっていうのは、モノクロ風にしかなってないので。
  
  で、やっぱね、銀塩を経験すると、デジタルのみの人とは明らかに表現に違いが出てくると思いますよ。
  さっきのWくんだっけ、妄想系のひとはデジタル強いと思うんですよね。
  やっぱりリアルに人を撮るっていうか、リアルに現実のものを切り取る感覚というのは銀塩をやっているとね、かなり身についてくると思うんで。
  
鈴木 本の中で、アップの時の表情に良いのがあるんだよね。なんでこの3点を選んだのかっていう問題があって、トップはこれでいいとして、他の2点が両方とも中途半端です。
  この3点で壁に展示というのはちょっと違うなと思って、ブックみたらおもしろいのがあるんで。
  アップの表情のつかまえ方、実はこれもちょっと中途半端になってる。
  で、せっかくモデル頼んで、演出じゃないけど、こっち向いてとかあっち向いてとか言うわけ?
 
F.S あまり言わないです、自然体で。
 
鈴木 言わなくていいんだけど、彼がこっち向いている時にときどき視線が変わったりする、その瞬間をパシャと撮る、それだけでも写真が違ってくる。
  
  もうひとつは、モデル使って写真を撮るということは、どこかで自分を投影するわけじゃない。
  貴女がこの、週刊誌なんかで話題の誰々で5頁とかよくあるじゃない、そういうのとは違う写真を目指しているんだったら、この撮り方だと被写体との関係性みたいのがよく分かんないんだよね、
  
  で、この2点が中途半端な距離感で、タイトルがカタカナでデッサンならともかく横文字でdessinでしょ、そうすると何なんだこれは、ということになるんで。
  ブック見て、あーおもしろいのがあるぞと思ってたのに、そうするとこの選び方は一体なんだというのと、タイトルも疑問だし。
 
菊池 やっぱりしょうがないんだよね。ぼくも学生のころは、横文字っていうかカタカナのタイトルつけたがった。大人になってから恥ずかしくて止めた。止めるけどね、学生のころはどうしてもそうなっちゃんですよね。
 
鈴木 今日最初からタイトル、タイトルって言ってるけど、けっこう大っきい問題なんだよね。それでわりと横文字とか。
  本を読みすぎて頭でっかちになっているのか、本を読まないで教養不足かどっちなんだかわかんないけど、写真の内容とそのタイトルがうまく皆んな合ってないよ。
 
 
F.S 壁をこの3点を選んだのは色を出したいと思ったんで、色重視で選んでしまったんで、色としてのバランスは自分的には納得がしてるんですが、確しに被写体との距離感があまり詰められていないし、その人の本質いうのが見れていない。
  撮影したのが会って二回目ぐらいだったし、相手が異性というのもありますし、ちょっと距離感があったかなと思います
 
H.O まあ人物撮るときは距離感をいかに縮めるか
  まあ技術というかね、写真家の在りようのうちなんでね。あえて突き放して撮るというスタンスもあるんだけど、それならそれなりにもっと写真の方向性というのがあるんで、そういう意味ではちょっと中途半端かなという気はするね。
  後この2点にしたのは、なんでこの2点にしたんですか、このブックのなかで数ある写真のなかで?
   
F.S 最初に選んだのはこれなんですけど、これってまあアトリエの外、アトリエの名前が出ているのと、こちらアトリエの中の風景がはいっている写真を1点ほしいなと思って。
  色を1個出すというアイデアがあったので、そしたらこの国旗・日の丸を出したいなと思ってこの写真をチョイスして、これはまあピンクと赤だから、寒色系の色を出したいなと思ってこの写真を選びました。このシャッターの色がちょうど青かったんで、
 
H.O いやその時も頭の中モノクロ化してないよね
  つまりモノクロで見ていると、被写体に対してもうちょっと明確になるんだよね、テーマの捕らえ方とかが、色とかっていうよりは。
  だからおそらくその辺が見えにくくなっているっていうところもあるし、カラーで撮っているから。
  あと、そのブックは自分で編集したんですか?その体裁とかも全部?レイアウトとかもやっている?
 
F.S ネットで編集できまして、それをネットで印刷所に頼んで。
  あのいちおう写真部員なんですが、文章を入れるというのが私のモットーというか、作品を作るうえで自分の言葉を入れるというのはあるので、こういう形でいつもやっています。
 
H.O あの、いろいろ真面目過ぎかも。もっと、たとえばこの屋内を入れなくちゃとか屋外で色が良いとかいって、そこを押さえていくうちに要素がてんこもりになって、それで最終的にアウトプットが希薄になってるような気がする。
  もっとそのへんをズバズバ、厚かましく切った方がまとまると思う。
 
鈴木 あとあれだね、これは講評とかじゃないけど、私はフォトショップほとんど使えないのに等しいんだけど、いや本当にね。
  で昔モノクロのプリントに着色する、セーヌ左岸の屋台なんかで着色したポストカードがいっぱい売られてたり、日本でも幕末・明治とかあるじゃない、あとアラーキーかなんかもやっている。
 
F.S 描いたりなんかしてますよね。
 
鈴木 あれはやっぱり自分の手で塗るのとフォトショップでやるのとではぜんぜん意味合いが違う。作者にとってもね。ここをこうやりながらと手で塗っていくのとね、おそらく違う意味をもってくるだろうと思うんだよね。やっぱりフォトショップのデジタルのイージーさというのは極力警戒したほうが良いとは思うね。
 
菊池 僕は逆に違う意見を持ってまして。
  今現在でこういうことができるんだからやってもいいと思うんだよね。古い人間は一度銀塩をやっているわけ。デジタルはあとから出て来たものだから拒否反応をするところが割りとあるんですよ。
  
  考えてみたら僕らだって明治時代のカメラマンのように自分でガラス乾板に感光材料を塗るという技術はないわけね。だけど、いちおう写真は撮れるわけね。で、貴女方は銀塩をやる技術はないかもしれないけど写真撮れるんだから。あんまりそこを我々のようなとうの立ったような者が言うことを、ははーって聞くことはないんだよ。(笑)
 
鈴木 それはよくわかる、ここで論争するんじゃなくて、僕は普通の携帯だけど、スマフォのカメラすごいでしょ。であれでね、ウェブなんかにだいぶ載ってるらしいけど、スマフォの写真ももちろんあれも写真だって思ってる。あれだけ機能があれば、メインのカメラとして作品も可能で、こちょこちょブログで載せてるけど、それだけで終わってる。あれだけ手軽に高機能で撮れるということは、なんかもっと新しい世界があるはずなんだよね。そういう意味では我々の時とは違う、若い人にはそういう冒険をもっとやって貰いたい。
 
菊池 我々の言うことが未来永劫正しいわけではないから、ただ感想をいっているわけですから、我々は古い世代のものを多少知っているから。
  で、そういう目でみると、銀塩の出方と256段階しか無いんだかよく知らないけど、デジタルの出方とは違うのはあたりまえですよ。いやモノクロ写真なんて特にね。デジタルなんてどんなに逆立ちしたってまだ追いつかないけれども、そのうち追いつくかもしれないしね
 
H.O ただ、やっていることはオーソドックスなんだよ。
  デジタルネイティブではあるけど、昔の中央公論のグラビアみたいな感じのことをやりたいんじゃないかな、これを表紙に持ってくるっていうセンスからいってもね。だからすごいクラシック。センスが古いっていうわけじゃないけど、割と見方っていうのは昔と変わってないな。
 
菊池 こういうのがすぐ出来ちゃうんだから才能はあるんだよ
 
H.O だからオーソドックスなんだよ、そういう意味では。だからもっとぶっ飛んでてもいいんだけどね。そこをブレーキングスルーできないと限界が見えてきちゃう。
  
  まあだからモニターでちょこちょこチェックするのをやめたほうがいいと思うよ、見るでしょ皆んな?
  デジカメが始まった頃に、カメラマンが撮った後、かがみながらこう確認してるでしょ、自分がソソウしたかどうか見ているみたいで、あのかがんでモニターを見ているさまが、いや、いまでは僕も見ますけどね、すごく厭で、撮ったら撮ったでパッと次行けって思う。
  そこで銀塩で撮って背面を見たくなって、思わず見たら黒い蓋しかないから。それを一回味わってみて。
  

★★★★★★

【M.Oさんの作品を見る】
 
 
(M.Oさんが机に置いたのはクリップに下がっている2Lサイズのプリントだった)
 
菊池:大きいのはどうしちゃったの?
 
M.O:持って来れなったのですよ。このあと寄るところがあって、どうしても持ち運べなかったのです。
 
鈴木:一年生?いやー「早稲田祭展」の会場で見て、写真的にいいセンスしてるなと思ったんだけど、あの会場でも小さいと思ったのに、ましてこれじゃ全然わからない。あれもなぜあのサイズなのか、今日ちょっと聞こうと思ってたんだけど。

「早稲田祭展」現役+OB合評会ドキュメント Vol.1

早稲田祭展合評会報告 vol.1
 
11月10日(日)に現役学生14名とOB5名が学生会館に集いました。
4時間半に及んだ合評会の第1回目の報告です。
 
◉参加者
 
・ 昭和41年卒・鈴木龍一郎さん(写真家)
・ 昭和42年卒・菊池武範さん(写真家)
・昭和59年卒・H.Okadaさん(写真家)
・ 現役学生(1年生?5年生)14名
 
(幹事会メンバーの平成3年卒・増田 智、昭和45年卒・白谷達也が記録係りを勤めました)
 
【初めに一言】

 鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。

今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
 
というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。
 
あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか、あるいは今あなた方学生さんの就活の問題とか、あるいは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
 
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ。1963年。考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
皆さんの写真を早稲田祭の展示で拝見しましたけど、それに加えて今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
 
H.O:84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。
その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思いました。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。
 
 
【早稲田祭展で一番人気のW・Hさんの作品を見る】
(4作品が机上に並べられた。1作品は展示用プリント1枚+book)
 
W.H:作品は四つです。
 
1,「月光」
 槍ケ岳の頂上で夜中1時に撮影したものです。何故これ撮ったかと言いますと、一つは山が好きだっていうのが主な理由で、わざわざ満月の日を選んで山に行って撮影しました。登山者のロマンっていうか、辛いけど、まあこんなの有るよって表現できたら良いなと思って撮りました。
 
2,「If there were no lights」
 東京とか大都市は「光害」が激しくて星などは見えません。それによって他の生態的な影響も出てきているので、「光害」を止めようと思ってこれを作りました。ここお台場なんですが、お台場で星なんて見える筈がありません。もし「光害」が無かったらこう見えますよというのがこの作品です。
 
3,「Never」
 チェスのビショップは斜めに進むのでこの二つは絶対会いません。この作品はbookの「The Passing」—All things come,all things gone—と関連した意味で出しました。
「すべてがやって来て、すべてが去って行った」という意味です。左側はモデルの写真、右側はそれに関連した写真という構成になっていまして、この先4パートに別れています。
 
最初は青い系統の6枚です。これは『始まり』ということを表しています。
 
次に緑色の系統6枚並んでいます。これは『維持』というテーマです。しかし、維持と言っても写っているものは全部すぐに消えてしまうもの。すぐ終わるし、蝶々もすぐ死んでしまうし、蓮なんて一日ももちません。
 
3番目のテーマはオレンジ色の系統で『破壊』を意味します。そして無くなって行きます。ここへ来ましてこの作品と関連します。追いつめられた感情を表現していて、結局『不可能』ということを意味したのがこの作品です。
 
最後に『再生』というテーマでまた最初と同様に青色のテーマで、ここが来てまた朝が来ましたで終わりです。
 
メインの思想は英語でここに書いて有ります。後ろに中国語版と日本語版をつけました。
 

[月光]
 
H.O:これらテーマバラバラでしょ。編集みたいなことっていうかねえ、展示して人に見せると言うこと、プレゼンしてね、どう見えているかということを考えた方が良いんじゃない。
 
単純に欲かきすぎてるのよ。見る方は何だか良くわからない。下の3枚はまあ繋がりあると思うけどあの1枚とこのパートが3つに別れていて、それを同じボードに並べること自体が見る人間に混乱を与える。編集が下手だなと思う。
 
テーマを絞るのが難しいんだよね今。昔みたいに一つのテーマに絞って撮って行く、セレクトしたほうが見る人はスッキリすると思うし、自分の伝えたいことも伝わる。捨てるってこと、選んでそれをブラッシュアップして並べるのが基本。
 
世の中に出てもプレゼン能力が問われる。写真を通じて編集のやり方なんかね感覚的に覚えていくと何か役立つかもしれない。やっぱこう客観的に見るということね、引いて。
 
並べてみて他人の目線になってみるとどう見えるか、一回検証してみて並べることをやった方が良い。お互いに突っつきあってその辺のことを話ができるとおもしろいと思うんだけど。まあね、つかみ合いの喧嘩とか始まるからね。写真的には頑張って撮ってると思う。良い悪いと言うよりは頑張ってるなという感じはある。
 
鈴木:好きなのはこれ(「If there were no lights」)です。印象に残っている。
こっち(「Never」)はチェスのカタログに使えるという感じは持つけど、単にそれだけ。bookとの関連など撮影者の思い入れとは別に、写真見てどう見るかと言うことは、見る人間によって違うわけですよ。どういうことを思うか、そこが面白いわけで。要するにイメージの広がり。
 
その人間にとって、例えば、何でも良いんだけど、「If there were」の写真見て亡くなった母親のことを思い出すかもしれないし、そういう広がり方が面白いんで、撮影者が撮った意図と、見る方が勝手に見る、そこに面白さがあるんだから。あと、タイトルがねえ、W.Hさんに限らずみんなメチャクチャ。何でこのタイトルなんだ。
 
本(「The Passing」)の方では右側の方は面白いけど、モデルを使った方はピンと来ない。
 
 [The Passing](book部分)
 
 
[Never]
H.O:何でモデルを使ったの?
 
W.H:一応モデルの方が話の主点として流れがついていて、その意味を増すために右側の写真がセットされています。
 
H.O:それはでも写真的に出てないな、残念ながら。
モデルの撮り方が正直言って下手です。モデルと徹底的にコミュニケーションしてモデルから何かを引き出しかということをやっぱりやってかないと、自分の頭で妄想してこういうふうにやってても、それは定着できていないんで、それはもう人間性の問題だからね。モデルとやりとりするのは。もっと遊ばないとダメだね。
 
鈴木:モデルは恋人かガールフレンドか、それとも単に友達?
 
W.H:そこ突っ込まないでください!!
 
H.O:そこだよね。
 
鈴木:かなり大きいポイントなんだよね。
 
H.O:そこが問題だよね。そこまでクリアしないと、ああいう写真出してもやっぱりダメよ。相当自分で自信持ってないと。すらっとその辺の女の子に声かけてじゃなく、それぐらいのヤバイ写真・・・。
すぐ判っちゃいますからオジサンたちには。まあまあそういう話はね深い話になっちゃいますから。
 
菊池:W.Hさんの写真は今までに何回か見てるけど、相当テクニックを持ってるよね。
これ(「If there were no light」)がこの中では一番良いかな。他の写真は説明的なんだよ。貴方ぐらいのテクニック持ってんだったら他の写真はもう撮らなくていいよ。
誰にも作れなかった写真、これまで見たことも無かった写真を作れる可能性があるから。もうこういうのはいいから、判ったから。テクニックひけらかすようなものはもう要らないから。上手いのは判ってるよ。
それはね、陥りやすい陥穽ですよ。
 
H.O:やっぱねえ、そこまで行って、その魚を捕ってきてそれが美味いとか、そこまで行かないと手に入らないもの撮ってくるってのが写真の醍醐味なんで、その辺で取れるものをどんな高度な技術を使って撮ってみても、その辺で取れるものしか写ってない。
 

鈴木:他のは大体見たことの有るような写真であるわけだよ。違うのはこの1点(「If there were no light」)。これ1点だけをバカーンとでっかくする、なんて考え方もある。

[If there were no light] 

H.O:これが良いと思うのは妄想がはたらいているから。妄想がそのままスッと置き換わっている。ちゃんとリアルなものを撮ろうとすると皆んな四苦八苦するんですよ。
 
今デジタルの時代で脳にあるものが映像に置き換えやすくなってるんで、そういう意味でいうとリアルフォトグラフィーではないんですけれども。妄想力をもっと高めるという。脳の中のイマジネーションをもっと高めて、もっと変な夢に出てきたものをそのまま置き換えるようなこともできるわけでしょう。夢を書きとめるとかね。
 
W.H:今回一番時間がかかったのがこの作品(book)です。お台場の写真は10時間の編集、13枚の写真を合成しました。残りは合わせて2時間とかですね。
 
H.O:でもね、労力は画面に出ないし、それを訴えても意味がないことなんだね。
写真が全てで、出てきた写真でコミュニケートするのが全てなんで、もっと自分に厳しくあったほうが良いと思いますよ。ほんとにガチでやりたいと思うなら、写真と。何時間掛かったとか、俺はどこまで行ったとかいうことは自分の中で抑えといて、「この写真を見てくれ」っていう話にしといた方が。
でもまあ、一生懸命やってることは良くわかるね。
 
菊池:僕は期待してんだよ、貴方に。
 
H.O:まあ、若いんだしね。好きなように取りあえずやってみて。
 
菊池:器用すぎてあれもこれもになっちゃうところがある。
 
H.O:後ろに仕舞っといて良いものもあるんですよ。
おれも学生時代、見せられないようなね、一生見せられないようなものを撮ってるわけだね。見せる見せないを自分の中で選択する。その能力を色んな表現をやっていくために、写真で訓練するってことでも良いんだよ。
 
★★
  【S・Aさんの作品を見る】 
 
S.A:真面目にやったやつ(「パッセンジャー・ナルシス」)と旅行写真をまとめただけのやつ(「異郷愁」)とあります。(追加で「microkosmos」も見た。)
 
鈴木:やっぱりタイトルがおかしいね、これね。
 
H.O:確かにこの題名はバンド名みたいだね。「パッセンジャー・ナルシス」とはね。
お笑いコンビじゃないけれど、どっちかと言うとバンドだね。
 
S.A:何て言うんでしょう、被災地にボランティアで行ったわけでもなくって、僕東北にずっと興味がなかったんですけど、3・11があって、まあ皆んなボランティアに行ったりとか募金したりとかいろいろあったんですけど、見に行くときに、やっぱりずっとそこで生活するわけでもなくて行って帰ってくるだけで、そういうやっぱ無責任なところがあるなってのを、どうにか写真で出したいなと思って撮ったので、こお?まあ行って帰ってくるだけの人の意識の流れみたいなつもりで作ったのがこの作品ですね。
 
[パッセンジャー・ナルシス](部分)
 
鈴木:いや?、3月11日のあれは、その後現地へ行った写真の人間に限らず、作家でも誰でも皆んな、すさまじくドスンと来たわけ、僕自身も来たし、まだ来ているし。で、皆んな黙ってるけど義援金とか送ったりして、でも自己満足じゃないかとか、それは皆んな感じてたわけね。それで、それがナルシズムになるのかな。しかし、このタイトルはいくら何でも違うだろう。
 
H.O:多分ね、すごいナルシストなんでしょうね。
 
S.A:否定しません。もう、おっしゃるとおりです。モノクロだと自制的と言いますか、こう、自分がどういうことを考えながら進んで行くのかなということを物語形式で出すのを心がけていたんですけれど、ちょっと方向性を見失ってしまって。
 
カラーで撮ってみてこっちもナルシスト系、タイトルが「microcosmos」で、昔のヨーロッパとかで、なんかこ?宇宙がマクロコスモスで、そん中に人間と言うミクロコスモスが居ますよ、という考え方があるというのを授業で聞いた後に、何て言うんでしょう、何だろう、真ん中の歯磨き粉の写真最初に撮って、なんか宇宙っぽいな?って。 この写真撮ったところから他の写真をいろいろ付け加えていってこういう形になりまして。
 
こちらは「異郷愁」というタイトルで、イタリアに行った時の写真をまとめていまして、最初はもうちょっと、何というんでしょうイタリアが難民、移民とかがこういうふうに道端で、アフリカ系の移民だと偽ブランドのルイ・ビトンのバッグとかを売っていて、アラブ系の黒人だとオモチャを売ってたりして、そういうのが目に付いたんですけど、そっちをメインにしたかったんですけど、(早稲田祭の)お客さんが受験生とか他大(学)の人っていうんで、日和って割と楽しい写真が増えてしまったので、方向性を見誤ったかな?と反省点として残っています。
 
鈴木:「写真の早慶戦」で見せてもらったんだけど、これ(「パッセンジャー・ナルシス」)とこれ(「異郷愁」)が同じ人が撮ったとは思わなかったんだけど、あれ(「写真の早慶戦」出品作)は良い写真だったし、タイトルは別だけど、このシリーズ(「パッセンジャー・ナルシス」)をもっと発展させていったらどうかな。
 
これ(「異郷愁」)については、ぼくもたまたま去年スイスとイタリアに行ったけど、「パッセンジャー・ナルシス」の作者が「異郷愁」を撮ったという、これ(「異郷愁」)はね中高年のリタイアオジサンが、金持ちオジサンが撮ったような。イタリア歩いてきましたっていう写真以外の何ものでもないんだよね。踏み込んでもないし、彫像なら彫像とかイタリアいろいろあるでしょ、人間撮るならもっと寄るとかね、なんか全然中途半端なんだよね。ちょっとこれは?って感じがしたよ、これは。
 
[異郷愁]
 
H.O:アウェイ感がすごい出てるね。ボコボコにやられて手も足も出ないっていう。結局ねえ滞在しないとダメだね。そこに居て現地の人間とコミュニケーションできるっていうスタンスじゃないと。
 
菊池:人様にお見せするには、もうちょっとプリントちゃんとやんなきゃ。DP屋さんでやったの。S.Aくんの写真を話題にするなら、やっぱりこっち(「パッセンジャー・・・」)の方だよね。われわれとしてもこっち(「パッセンジャー・・・」)の方で話をしたいよね。
 
H.O:これ(「パッセンジャー・・・」)、デジタル?ハイブリットでやってるわけ。
 
これって写真の典型なんですよね、ある意味で。モノクロ写真の王道っていうんですかね。典型的なものを、あるレベル撮ってるなあってところがあるんだけど、まあ、悪くない。悪くはないけど、う?ん、通過者、パッセンジャー感というんですか、そういうのは出てるんで。もっと定住感っていうか、視点の重みみたいなもの、同じものを撮っても、単純に言うと、これ35mmで撮ってるのかデジタルで撮ってるのか判んないけど、例えば4×5で撮るとかね、そうやるだけで写真って質が変わってくるんで。
 
まあ、一つのネタっていうかさ、ネタの見つけ方は良いけど、最終的に落とす時のやっぱりその気合というかね、技術的なもんも含めてだけど、そうね、もうちょっと寄り引きと、もうちょっとヤバイものを撮ってくる。もっと辛い思いをしてくると、敷地に入って警備員に追いかけられるとか、というようなプロセスがあって、そういう痕跡が出てくると面白くなるかもしれない。
 
鈴木:撮ってるとき、歩いててかなり精神的に葛藤はあった?
 
S.A:木とかはあれなんですけれども、家とか遺品の系統みたいなものが浜辺に結構転がってたんですけど、壊れたオモチャですとか時計とか。そういうのを一応接写したんですけど、なんかこお?責任取りきれないかな?という感じがしちゃって。
 
鈴木:歩いてる時、下に不明の人が未だ埋まってる可能性があるわけだよね。
 
H.O:でもね、行ったら躊躇しない方が良いですよ。どういう現場でもね。カメラ持って踏み込んだら、納得いくまで撮るっていう、そういうモチベーションが無いと。
 
それはそうなんですけどね、死体踏んでるかもしれないっていう。でもそれを覚悟で来たっていうところがあるわけだから、そこまで踏み込んだ方が後で後悔しない。
 
[micro cosmos]
 
鈴木:(「micro cosmos」)まあ、僕はね写真評論家じゃないから、基本的に自分にとってどうかということしか考えないわけ。
 
僕は撮る人間でしょ。右向いてる犬のシッポが左の方が良かったとか、そういう話はしたくないわけで、僕はこの3点で良いなあと思うわけよ(左、上、右写真を選ぶ)。こっちの2点(中、下)はよく判らん。良く判らんというのは何が写ってるか判らんってことじゃなくて、この3点では繋がるけれども、残りの2点は写真的に異質だから。この3点のノリでもっといくと面白いモノができるかなって気がしたわけね。
 
S.A:グチャッて混ざってしまったところはありますね。いつも詰め込みすぎちゃう。そうですね?なんかこうやってみるとスッキリしますね。ちょっと悔しいですけど。
 
鈴木:要するにね1点の写真が、例えば2点、3点の写真になると意味が出てくるわけよ。意味というのは、作者の意図というか、作品に方向性が出てくるわけ。こうやっただけで(写真を並び替える)、もう違う感じになってくるわけだね。そこら辺で編集が大事で、或いは削って行くとか。
 
要するに順番だけでも、本や写真集なんかでもトップどうするとか、ものすごく編集者と写真家との間で、会議開いて1週間くらいぶっ続けでやったりするわけですよ。在る写真は決まってるわけね。でもそれをどういう風に編集していくかが難しいし、意味が違ってくるからね。
 
H.O:みんなでお互いに編集し合うってのも良いかもね。
 
鈴木:並べ方で見られ方も違ってくるから、そこが写真の面白さでもあり辛さでもあるんだけど、全く勝手に受け取られるわけで、自分でどういう本を作りたいのかという、どういうことを人に伝えたいのか。
私はあんまり人に伝えようと思って写真撮ってないんだけども、一応基本はそうなってるんで。
 
★★★
  【K・Yさんの作品を見る】 
 
K.Y: こちらは「天の国」と言いまして、こっちがスカイツリーから、こっちが東京タワーからなんですけど、前々からちょっと露出を上げてとか、なんか全体的に白っぽくして不思議な雰囲気をした写真を撮りたいなあと思ってまして、それを今回やってみようとしたのがこの写真です。現実的な世界じゃなく非現実的な世界を表せたかな?と思ってます。
 
そして、こちらの作品が「物思い、それとも羨望」で、ちょっとややこしい題名なんですけど、この蛙が物思いにふけっているのか、何かを物欲しそうにしている羨望している、どちらともとれるな?と思って、こういう題名にしました。写真自体は写真であえて絵本のような、そういう世界観を表したいような、あえて全体的にぼんやりした、ピントも合っていないような写真にしました。これが一応こん中で一番自信のある作品です。
 
で、こっちが「舞踏」っていう、踊る方ですね。こっちは早稲田祭で場所が空いてるからっていうので・・・。自分自身が蝶を上手に撮ったことがなかったので、それを表に出してみてどういう評価を得られるのかな?と思って。自分の目じゃなくて他の人の目から知りたいな?と思って出しました。
 
このbookなんですけど、題名が「日々を行く」っていう題名で、前々から日常を切り取ったような、ありきたりと言えばまあありきたりなんですけれども、日常を切り取ったようなbookを出したいと思っていまして、今回やっと念願が叶ってという形で出さしていただきました。
 
[日々を行く](book部分)
 
H.O:bookとセパレートで出すってのは何かあんのかね?なんでbookに入ってる写真を壁モノにしなかったの?
 
K.Y:壁モノにするっていうのはちょっと。壁にするほどでもないな?ってなっちゃって、bookでやってみよ?ってなりました。
 
菊池:我々の学生の頃は、H.Oさんもそうかな?
こういうbookっていう形式では例会とかそういうとこには一切出したこと無かった?
 
H.O:僕も、部室には置いてたけど、自分で作って。それを誰か見て誰かが何か言うってのはありましたけど、それを展覧会に出すとかはなかったですね。
 
鈴木:それはアルバムじゃなくて?
 
H.O:アルバムっぽいやつですよ。ある意味テーマの無い、要するに最近撮ったものを無造作に置いといて。誰か見て・・・。
 
菊池:本質的なことではないけど、このbookは写真がビニール袋の中に入ってなくて良いね。ビニールみたいなところに入っていると折角精魂込めて色を出しても判んないのよ。いちいち袋から出して見ないとね。ビニール袋に入れて見せるbookの作り方っていうのは私は非常に疑問に思ってる。
 
H.O:もっと言うと、プレゼンテーションと言うことを考えると、張り替えできるアルバムはどうかと。
 
要はね、写真集一冊編むとすればもっと工夫があって然るべきなんですよ。見せ方、パッケージングだよね。その辺の町場のアルバム買ってきて、なんか楽しんでやってないなってのが判るのよ。レイアウト失敗して剥がしてやり直すとか。やっぱあの、作るのを楽しんでるとそれがやっぱ写真に出てくるし。
 
全体の見え方みたいなものに拘らないとダメですよ。額とか含めてですよ、トータルに。写真と言うブツをどう作ってどう見せるかってところの、そういうこともお金が掛かるからね、まあ大変でしょうけれども。
 
壁向きなのはこの2点ですよね。東京タワーとスカイツリーってとこは置いといて、こういうトーンが好きだっていうようなことは判ったので、だったらこのトーンでもっと行けば良いんじゃない。
 
この自信作のこれ(蛙)はね、どうなんですかね、こういうファンタジーって言うか童話チックな世界をやりたかったら、クレーで蛙を作って色んなところに行って撮りまくるとか、少し変態的な方向に行かないと、これ1点だけ見せられても困るんだよね、としか言いようがない。全体の企画性が勝負。
 
[物思い、それとも羨望]
菊池:蝶々は未だ誰も見たことのないアングルだってあるかもしれないよ。蝶々はとまっているところに必ず戻ってくるじゃない。もっと寄って待っているんだね。
 
「雑草って言う草は無い」って昭和天皇が言ったけれど、アゲハチョウっていってもいろいろあるでしょう。蝶々自体の生態のことをもうちょっと勉強した方が良いかもね。この系統が好きなの?
 

[舞踏]
 
K.Y:こういうのをやってみたいなっていう。bookとかで沢山やってみたい。
 
鈴木:もうそろそろ自分の関心のあることに絞ったらどう。僕はこの分野はほとんど弱いから、何も言うこと無いかなと思ったんだけど、会場で見てね、これはもういいやって感じで、そっちの2点(「天の国」)はもっと考えようもあるなっていう感じだったのね。
 
で、さっきシュールって言ったけど、これをシュールとまで言ったら、シュールリアリズムに申し訳ないけど、こういうハイキーであるとかの考え方で撮って行くってことはあるし、ただ貴方はこういう世界に関心あるんだったら、どうしてこういう世界に突っ走って行かないの。そうすれば絵本の写真家になるかも判んないし。
 
ソマリアで内乱の写真撮ってる写真家もいるし、一方で絵本で蛙撮ったって良いわけ。だったら自分の関心の全てを、俺はこれをやるんだっていう、蛙に拘んないけどさ?俺はこれをやりたいんだという、そろそろ自分で決めてやったらどうかなって感じがするね。
 
[天の国]
 
K.Y:自分でも正直、毎回の写真展で作風が変わってるっていわれて、模索中で?どうしたら良いのかな?って感じなんで。
 
 
鈴木:決めるって感じではなくて、時間が無限にあるようでいて・・・。
のめり込むっていうか、覚悟っていうか、そういう姿勢が有っても良いと思うんだよね、蛙しか目に入らないという、そういう感じにいったらまた新しい世界で、蛙から違う世界に行ったって良いわけなんだからね。1回なんかこお、ガッと頭突っ込んでやるって必要なんじゃないかな。