椿季展を見て 昭和38年卒・土生一俊 +

椿季展にOB4名で行ってきました。

今回は初めて昭和38年卒の土生一俊さんが足を運んでくれました。

感想をいただきましたので現役生の作品とともに掲載します。

      

  思わぬ人から電話が入った。 OB会の代表幹事の白谷氏だ。現役の写真展『椿季展』を見に来ないかという。
突然の誘いに少し面食らったが、折角なので出かける約束をした。
多分、私が長年参画して続けてきた昨年の早慶写真展に出品しなかったこと、私の体調を気にしてくれてのことかと勝手に解釈して神保町にある会場に。
 

 会場に入ると学生たちが初日前日の夕方のため、まだ慌ただしく最後の準備をしていた時だったので少々待ってから拝見することにしていたら、  OBの菊地(42卒)、白谷(45)の両氏も顔を見せにきた。
現役フリーカメラマン増田君もいたので、4人で拝見することにした。
  

 まず私が感じたことは、作品の雰囲気が我々の学生時代40−50年前とは大きく変わっていたことである。50年もの前なので当然といえば当然であるが。
 私たちの時代は学生運動、学園紛争等が盛んに行われていた時代であり、写真表現もおのずと先鋭的なもの、報道写真、ドキュメンタリーや映像論等が幅を利かせていた。まだ白黒が主流であり、カラーは後発なものであったので、色彩で見せる写真は少なく、コントラストや白や黒の濃淡で見せる表現が多かった。特に組写真は、テーマを強調、鮮明にするための構成(大小、全体と部分、アップ。ロング、時間差)等々に気をつけて、立体的に組み立てを考えていたように思う。 

 50年前の写真と現代の写真表現を論じ、比較してもあまり意味がないことであるが、今の写真(椿季展)を見て感じたことは、テーマの表現方法とか色彩表現と写真の組み方見せ方等が大分違っているなということだ。まず、色彩表現において我々に時代でいえば、調子が出てない早上げのようなパステル画のような表現がされている作品が、最近ここだけでなく若い人の写真でよく見られる。

奥や深みをベールして見せないことで安心感があるのかもしれなが、本格的な色彩感覚の写真にも挑戦してくれることも期待したい。 

 それから、テーマ、対象との距離感が意識的であるにせよ、いつもある程度の距離感を保っていることと、同じような画面での雰囲気写真が重複していることが気になった。これは組写真、連作に特徴的である。

これは、前述の今様の若者の色彩感覚、パステル画調と同じなのだと思う。一定の距離間で対峙するとは、深みや奥に近ずかないうことに同じだし、同じような写真を重複する見せ方も等質のものだと思える。      

 いずれにせよ、今の若者、大学生の気質を写真から垣間見ることは貴重な時間で楽しかった。
時代がその時に生きる若者たちをつくるのか、若者たちが時代をつくるのか。勿論、後者だろう。頑張れ若者!!
 

 

 

「それでも」

 造花のバラのように見えるマツカサだった。50mm、f1.4開放での撮影。前後のボケが気持ちいい。

2枚しか撮らなかったとのこと。もっとジックリと見つめて、もう少したくさん撮ってもらいたかった。

「レディー・フォー・ザ・ブルー」

 写真を見た瞬間「セルフポートレート?」と訊いてしまったほど似ていた。瓜二つの姉妹。

冬の空気のシットリ感を表現したかったとのことだが・・・。点数をしぼった方が良かった。

 

「La réticence」

 タイトルはフランス語で「ためらい」の意味。離陸待ちの機内からのスナップ。北海道に帰省して東京に戻るときの心情か。水滴は涙?

もっとたくさん撮りたかったが前の座席の人に叱られたので二三枚しか撮れなかったとのことだった。世の中色んな人が居るもんだ。

    

「 Arrival/Departure」

 岸に停まるボートと沖に向かうボート。透明な未知の世界に向かうボートを選ぶ撮影者だった。

「朽つ」

 タイトルは「朽ちる」の古語。稲村ケ崎の「海浜公園」に残る戦争の遺構。鎌倉のキレイなイメージを崩してみたかった。

姿勢はうれしいが説明を聞かないとさっぱり判らない種類の写真。ちょっと横浜写真の味わい。タイトルに工夫が必要か。

「殻」

 最近昔の思い出が美化されてきているとのこと。高校のときに撮った写真を加工した。中心のカットに収斂させる方法か。

「靄靄」

 もや、なんだがタイトルには深い意味が込められているようだ。もやのせいか全体にボーとしている。ピントが甘くしてあるようだ。ネガカラーで撮ってスキャナーにかけてデジタル処理をするのが普通だと思っていること。実に不思議な色彩感覚。

「はれはれ」

 ローライコードでの撮影は「より光を表現できるかな」と思ってのこと。光が滲むところなど最近のデジカメにはできない芸当だ。ハレとケ。晴れた日のハレで「はれはれ」なんだって。

「00:00:00:01」

 タイトルは映像のワンフレーム目の意味。「映像の中に写真が内包されている。動画の中から抽出したワンカットを写真という」昨今の姿勢に反撥を覚えて「写真を使って映像(動画)を想像させよう」という試み。

「 sheer/blur」

 毎回「観念的な写真」を見せられる。今回は宮沢賢治の「春と修羅」と関係しているとのこと。春なのに修羅が好き。今回も実家(猪苗代)の周辺で撮影した。

タイトルのsheerは透明なもの、blurは曖昧なものの意味とのこと。

 

 Méme 

 京都駅の古いホームでスマホに熱中する人。駅構内に居る人々が好きで撮り続けるが、肖像権などの関係で人を撮る困難さに悩む。

 

   Le boullet

 タイトルはフランス語で弾丸の意味とのこと。発音はブレで写真はブレている。中途半端な流し撮り。車輪もチョン切れていて

典型的な失敗作。でも、ブレずに人を撮り続けて欲しい。