春季展を見て 宇野敏雄(昭和46年卒)+

 4月9日に白谷さん、宇野さんと私、増田で現役春季展に行ってきました。

幹事長のKくんの案内でその場にいた出品者の作品の合評会が始まりました。

今年の春季展は57点、20名あまりの出品者で見応えのある写真展でした。

宇野さんから総評をいただきましたので以下に掲載します。

 

 

 現役「春季展」行ってきましたので、作者本人と話しながら見た作品と、目についた作品数点について感想を若干。

 先ず、Oさんの「青く、高く」…………空と海の青をコンパクトにすっきりとまとめた構成は、デザイン雑誌の一頁でも見ているようで、気持ちよく見れました。波の動きや青色に陰影、濃淡をつけ大きなサイズのプリントにして組み直せば、「青の多彩さ」をより印象付けられるでしょう。

 K君の「夕景」…………場所、空間、色彩がよく計算されている。でも何かが微妙に足りない。シルエットの平面的な構成美か、写真固有の現実性か、どちらにも焦点を結ばない視線の宙吊りさが、いささか落ち着かない気分にさせる。橋の浮遊感がもう少し出ていればとか、橋のシルエットのメルヘン性と下部の海の描写の「現実感」がうまく噛み合えば不思議な面白い写真になったかもしれない。

La honte……  

 T君の「無題」(上)…………下手なのか、ミスなのか、勘違いなのか、偶然なのか、間が抜けているのか、意識したトリミングなのかノートリなのか、実は上手いのか、いずれにも類推できないのが高橋君の個性です。外国で撮った昨年の写真にも同じようなことを言い、日本や日本人を同じ手法で撮ってみてください、と言ったのですが、今回も昨年同時期の写真ということなので、技法的に進化したのか、手法を手の内にしたのか、評しようがありません。

 カラーの桜の写真(La honte)もこれ一点だけでは同様です。個人的には高橋君の個性は好ましく思っています。がんばってください。

 

 他にS君の「寂寥」…………絵作りも手堅く写真的感性も感じられる達者な写真ですが、タイトルは文学的、説明的ですね。「寂寥」という言葉の中に風景が閉じ込められています。言葉やイメージに囚われずにもっと色々な視点から果敢に自由にアプローチすれば、言葉の壁の外部からより生々しく迫力のある「もの」や「風景それ自体」が乱入してくるのではないでしょうか。

 

 以上個々の作品に即しての勝手な感想ですが、「春季展」全体の印象にもひと言。
それは、みなさん、「良い写真」、「上手い写真」を目指すのはやめましょう、ということです。自分の見つけた視覚の中にもっと驚きが欲しいです。写真とは「驚き」を表現することです。撮った者自身の瞳を惑わせる、思ってもみない生々しく不穏な感情を引き起こす「画面」が生まれて「自分に驚く」経験をしないと、写真という「場」でステップアップできないということです。
 

       
                                                                          (S45年度卒 宇野敏雄)

 

Something Nice!(ブック形式でした)

トイカメラで何気ない日常風景を切り取った写真の数々が一冊のブックになって、なんとも言えない雰囲気をかもしだしています。

そこにはデジタルでは味わえない一瞬が記録されている気がします。

もの思う

 鳥が好きで撮り始めたとのことだが、なかなか思うようなカットが撮れないようだ。カワセミが撮影のために餌付けされているという

話を聞いた。効率的に撮影するために餌付けされるのだろうか。

人間模様

 パレルモのマッシモ劇場だろうか、観客の在り方が絶妙で見とれてしまった。プリミティブな写真の役割りに触れてほっとした。