柏木久育のNY便り-2 161103

 某月某日、ジイさんの朝は早く六時起床、柿、レモンジュース、ピタ、チーズ、ヨーグルトの朝食、洗面、入浴、メール返信などを片付け。八時半に出て、ユニオンSQまで10分ほど歩き、途中フリーペーパーの「am NEW YORK」「metro」を、水曜には「time out」を受け取り、街ネタ満載で案外役立ちます。さて今日はどのラインから始めようかと、思案しばし。SUBWAYは1回$2.75、30日間乗り放題で$116.5、7日間で$31、均一料金なので、運賃表をみる必要はありません。

 まだ通勤時間なので、かなりの混雑ですが、TOKYOのように体を押しつけあうような地獄はありません。他人との許容する距離感がすこし違うようです。人が多すぎると撮れませんが、また人がいないとこれまた、撮れません。混雑のなくなりかけと、混雑の始まり寸前が狙い目のようです。乗客はほとんどスマートフォンにかじりつき、顔が下向きで、ブルーの光が顔を不気味に照明しています。あとは本を読む人が多く、B5サイズで500ページぐらいの大きめの本から、ペーパーバックまで様々です。本にカバーをかける習慣がないので、乗客の本のタイトルを読むのが楽しみです。最近の映画原作本から、「映画ビジネスで成功する方法」など実用書をよく見かけますが、今日は卒論でも書くのか、T・S・.エリオットを読む青年と、ウィリアム・フォークナーの「八月の光」を読んでいるおじさんがいました。
とにかく、ひたすらに待ち続けることです。ごく普通の空間に、何か違うものが侵入してきて、新たな空間を作り出すというマジックは、そうはナカナカ現れません。とにかく「待つ歓び」はたっぷりと味わえます。


三時間ほどして、チャイナタウンで浮上して、偽ブランド品の時計とバックを扱うおばさんたちをかき分け、(相手は人を見わけるプロですから、何回通っても、声をかけられることはありません)いつもの中華屋さんへ。香港の新年番組のビデオを流していて、広東語で、健康であること、家族がたくさんあること、財産を築くことを、軽い高音で延々と歌い続けています。しかし、すこし早い時間にいくと、割とディープなジャズが流れています。今日はワンタン麺で$6+チップ1、トイレをすませて、すぐに戻り。


SUBWAYの中で待ちつづける慰めは、多彩な芸人さんたちです。アフリカ系のコーラスグループ、ノリがいい時は、車内で合唱となります。ラテン系ギターとアコーデオンのラブソングを歌う二人組、中国系の横笛、ロックの三人組。身体能力を活用した、若者のバック転、ポールを利用した回転など見事です。本来のオーディションの合格した正規の人は、実入りの多いタイムズSQやユニオンSQなどの大きな構内で演奏してします。その他はドネーション(寄付)を求める人たちで、ホームレスだ、こんなに体が不自由だと、さかんにアピールします。理路整然とした人、哀れさを強調する人、飼い犬を連れて、前足で耳を押さえさせ、目をきょろきょろさせて同情をかう人など工夫している人もいます。プレゼンテーション能力の技量が、ただちに収入に反映しますから真剣です。  


午後は三時間半ほどで、撮れ高から延長するか、終了するかを決めます。ブロードウェイライファイエットで浮上して、ラホールでスペシャルティで一息、紅茶というよりチャイという感じで、ほどよい甘さが体にしみ込んでいきます。
すこし歩いて東4丁目の「OTHER MUSIC」へ寄るのが楽しみでしたが、なんの変哲もない額縁屋さんに代替わり。小さな店舗ながら、品揃えが良く、置いてある、音楽、美術関係のフリーペーパーも吟味され、ほんとうに良い店で、CDもかなり購入しましたが、残念です。またすすんで、東12丁目の「ACADEMY RECORDS」へ、ここも小さなお店ですが、良心的な値段と真摯な品ぞろえが売り物。昨年はジョン・クレマーの「NEXUS」LP二枚組を$8でゲットしました。三分歩くとアパートです。


昼間は、たどたどしい英語で暮らしているので、日本語を浴びるように聞きたいので、もっぱら落語を聞きます。志ん朝を聞き終わり、今は談志を聞きながら、データ保存、セレクト作業、メール送稿。あいまに簡単な自炊をしたり、洗濯を片付けます。
多和田葉子を読み終わり、最近はもっぱら柳田國男の再読をしてから就寝します。
ジイさんのNYCは、とても小さく、地味で静かです。

 

柏木久育のNY便り-1 161030

◎毎年ニューヨークで年越しをしている昭和47年卒の柏木久育さんから地下鉄の写真が届きました。
 
『一日で人生が変わってもおかしくない、ニューヨークは今でもそんな不思議な街だ』というテレンス・ライリー(MoMA 建築デザイン部長)という言葉もありますが、現実はそれほど劇的ではありません。ごくありきたりの普通の巨大な近代都市で、あなたの財布の中身次第で、あらゆる消費が可能なようにみえる観光都市です。どんなに肯定的に世界一の最先端と思うのも、否定的に世界の終末を象徴しているととるのも自由です。
 
 NYCは最もカメラマンに愛された都市です。ハイン、ウィージー、スティーグリッツ、エヴァンス・・・。あらゆる写真がすでに、撮り尽くされているのかもしれません。いまさらカメラをもったオッサンが、いったい何を撮ろうとしているのでしょう。
 
SUBWAYの写真も古くはエヴァンス、つづいダヴィッドソンと多彩な表現があります。しかしそれらは、あまりにもドラマチックで、深刻で、真面目すぎるといっては失礼ですが、もっと淡々とした日常としてのSUAWAYがあります。一日数百万人が利用し、よく笑い、よく食べ、よくしゃべっている、ごくふつうの風景もあってもいいのではと、蛇足ながら、付け加えてみました。それでは、また!

 

WPS「新人展」に行ってきました  昭和50年卒・湯川登紀雄+

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◎早稲田大学写真部新人展を訪れて
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         昭和50年卒・湯川登紀雄
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 去る9月27日、菊池・白谷両先輩とともに「早稲田大学写真部新人展」を訪問しました。
 新入部員の展覧会ということもあるのでしょうが、奇をてらわない素直な作品の数々が眼に入ります。しかも、風景写真や人物写真はいうに及ばず、心象写真、鉄道や自動車など乗り物写真、植物・昆虫写真、動物写真……。バラエティあふれる作品を目にし、感動すら覚えます。
 
 思い起こせば私が入部した1970年代といえば、当時の売れっ子写真家・森山大道氏を筆頭とする「ブレ・ボケ写真」の全盛期。我が写真部も、いわゆるコンテンポラリー写真以外は写真ではないという風潮です。ミーティング(批評会のようなもの)に「きれいな風景写真」などを持ち込もうものならば、その場で破かれゴミ箱行きになりかねません。
 
 そのようななかで私たち新入部員も皆、見よう見まねで、街へ繰り出してはスローシャッターに設定しファインダーものぞかず、わけもわからずユサユサとカメラを揺すって手当たりしだいにスナップを撮りまくったものです。
 ピンぼけで手ぶれの甚だしく、自分でも何をどんなつもりで撮ったのかわからないプリントを先輩諸氏に見せると、
「うん、このブレ具合がよいねえ」
「もう少しぼかすともっといいかも」
 などなどの批評。いったいなんのアドバイスなんだと、頭のなかはクエッションマークだらけでした。森山大道氏の真価がわかるのは、ずっとずっと後年のことだったのです。
 
 それに比して今回目にした新人諸氏の作品の、なんと自由なことか。伸び伸びと撮っていてうらやましい限り。これからも、自分の思うように、自由に撮り続けてほしいと思ってやみません。
 
 在廊していた部員4名の作品を、ご本人と一問一答しながら鑑賞しました。奇しくも四者四様のジャンルの作品が並び、時代はうつろいゆくのだなあと興味はいっそう深まりました。同時に、新人諸氏の一生懸命な姿に刺激も受けました。
 私も、もっともっと撮らなくては。負けませんよ、彼らには……。
 新人の皆さん、どうもありがとう。
 
新人と旧人。一目瞭然?
「どこまでも」 
度々通った世田谷線の踏み切り。ここを通る度に気になっていた佇まい。ある日のこと、素敵な空と雲があった。勿論、撮った。
絶妙な補正とも言えるし、技術的な精進が待たれる部分もある。夢か現かといったところだろうか。
今の若い人には珍しくカチッした写真を見て、おじさんたちは安堵した。
 
「人と鉄道」
高松、台湾、江ノ島などなど。江ノ島では祭りが始まると電車を止めるのでリハの時を狙ったとのこと。
「テッチャンってのは何が面白いの?」とは鉄道写真に無関心なおじさんKの質問。
「彼女に引かれるので、引かれない写真を撮るのがトレンド」とはテッチャンのおじさんY。
件のおじさんYはずっと昔からテッチャンで「昔は鉄道撮る人はいなかったしばかにされるから、他の人には言えなくて
大学時代も封印していた。近年ブームが来るちょっと前にカミングアウトした」とのことだった。
パイオニアテッチャンの苦難の時代など知るよしもない新人は
「小さい時から撮っていて、普通に編成写真等撮っていたが飽きてきてこんなのを撮るようになった。
鉄道写真コンテストに応募しても形式的なヤツは入賞しないし」とのことだった。
 
(タイトル無し)
「空き教室に入ってくる光が柔らかくてすてきだったので友達を配して撮った」とのこと。
無機質で色のない空間だったので、撮る時カメラのWBをいろいろ調整したそうだ。
おじさんSは学生時代に撮った似たような写真を思いだしていた。
学生会館の机の上に突っ伏した学生の写真だった。傍らにはヘルメットが転がっていた。壁面は赤やら黒やらの檄文で埋められていた。
机は傷だらけだった。床には印刷物が撒き散らかされていた。光は薄暗い蛍光灯だった。
おじさんたちは教室のきれいさ、清潔さに瞠目した。
そして大学の変化について少し教えてもらった。理工が三つに分かれたこと、昔の二文が文化構想学部になったことなどなど。
 
「夏の火」
前の(タイトル無し)の作者の作品。この写真には魅力的なタイトルがつけられていた。
「青い夕方」の感じを出したかったそうだが、色味に対する感覚が良い。
「大学には行ってガチで写真をやろう」と思ってNIKONのD3200を買ったそうだ。
古民家を借りてやった写真部の撮影会で「見つけた」カット。
 
「にちようび」
「日曜日で、朝起きて、日中楽しんで、明日は月曜日だ(涙)、みたいな」とは撮影者。
初々しいな??!!講評には困るけど。
「明日は月曜日だ(涙)」といっても妙に幸せそう!!
 
「無題(2)」
本格的な写真だから却って異彩を放っているように見えた作品。楽しめました。もっとのめり込んで楽しませてください。
 
WPS(早稲田大学写真部)の日常の活動について木村幹事長から教えていただいたので掲載します。

 
   班活について
(活動は班ごとの活動が中心で、授業の都合で空き時間の都合で各班に所属するそうです)
 
今回、写真部では月曜日から金曜日まで各曜日の方針を決めて班活を行っております。
 
 

・月曜 / ブツ撮りを上手くなろう

 

・火曜 / 写真をたくさん見てみよう

 

・水曜 / 初心者向け&少しマニアックに

 

・木曜 / 縛りを設けながら撮影しよう
 

・金曜 / ポートレートに強くなろう
 
月曜日から水曜日まではやや初心者向けの班活であり、木曜日、金曜日は発展的な内容となっております。
また、今回は昨年度が撮影会中心であったため、前期は座学を多く取り込んだ内容となっております。
 
今期の班活で特に特徴的だったのは木曜班だったと思います。日頃、カメラを使って撮影をする際に、意識をして制約を設けることは中々ありませんし、制限がある中でどのように撮影すれば良いか考える良い機会につながったのではないかと思います。
また金曜班においてもモデルを招聘し、撮影を行うなど最近まで積極的にポートレートを撮る習慣が写真部にはなかった中で、このような新しい流れを生み出したことは非常に良いことですし、班長の力が大いに発揮された班活であったと思います。
 
他の曜日についても班長の頑張りが随所に見られ、自分としても非常に頼もしいと思いました。
 
また前期に引き続き、後期についてもある程度方針を決めて行う予定です。
 
今後も現役写真部員の活動を見守っていただければありがたいと存じております。
 
 ◎『縛り撮影』の狙い

2016 年の前期木曜班では、撮影時に制限をかけた『縛り撮影』を行いました。 これは多少の不自由を前提とすることで、近年のオート機能の進化とともに機材に任せが ちな判断、思考、工夫を自ら行って欲しいとの思いからです。 また、この度参加して頂いた部員には、今後制限のない自由な撮影環境でもこの度の班活 で得た創意工夫を生かしていただけることを期待しています。

(木曜班班長 岩下究太郎)

(スローシャッター縛り: 足と東京タワーの) 
camera:D700 lens:Ai-S 28mm/2.8  f 値: 11  ss:1 秒  iso: 3200 

(モノクロ縛り: 階段)

 camera:D700  lens:24-85mm  f3.5-4.5  f 値: 4.5  ss: 1/50 秒 iso: 800 (※階段下からストロボ発光)

(iso 縛り-最高感度: 傘+道)

 camera:Nikon D700  lens:28mm f2.8  f 値: 2.8 ss: 1/500 秒  iso: 25600

 

信州で同窓会を開催しました。 昭和43年卒・岡沢克郎

◎昭和43年卒の方々が一泊二日の同窓会を開催されました。
 
 横井、喜多、守屋、飯田、塚本、秋本、大塩、田中(旧姓:桃沢)、辻田、瀬戸、岡沢、吉野、今井(敬称略)の13名の方々が参加されたと岡沢さんからお知らせをいただきました。
来年の『写真の早慶戦パーティー』ででもお目にかかりたいものです。
 
 
 相当数の方が48年ぶり以上の再会で、私でも名前が解らなかった人が一人いるなど、名前の確認から始める一幕もありました。
 
 場所は長野県須坂市『田中本家博物館』(館長は田中さんです)。
    www.tanakahonke.org
 
 18世紀以来の北信濃の豪商の200年余の歴史を見つめる我々も半世紀ぶりの夢の再会劇!
お体の具合が悪い人、行方がつかめない人を除くほぼ全員が一堂に会した様は壮観で全く不思議な感覚でした。
 
『田中本家』を後にして向かったのは一茶も愛した古き良き温泉、湯田中温泉でした。
温泉に浸かりお酒を飲むだけでない濃密な会話が半世紀の空白を埋め、皆を学生の頃に戻してくれました。
 
 宴の後には誰ともなく持ち寄った学生時代や『稲門写真クラブ』の写真の鑑賞会。残念ながら他界され同窓の宴に姿のなかった藤田靖、古川昭久両名の話題でも盛り上がり学生時代そのままの70歳達でした。
 
 今回は遠方から、またお体の不自由な旧友も参加され、『倒れてから初めて好きな温泉に入ることが出来た』と心から喜んでくださった方もあり、今後も会を続ける励みとなりました。
(昭和43年卒・岡沢克郎)

椿季展を見て 昭和38年卒・土生一俊 +

椿季展にOB4名で行ってきました。

今回は初めて昭和38年卒の土生一俊さんが足を運んでくれました。

感想をいただきましたので現役生の作品とともに掲載します。

      

  思わぬ人から電話が入った。 OB会の代表幹事の白谷氏だ。現役の写真展『椿季展』を見に来ないかという。
突然の誘いに少し面食らったが、折角なので出かける約束をした。
多分、私が長年参画して続けてきた昨年の早慶写真展に出品しなかったこと、私の体調を気にしてくれてのことかと勝手に解釈して神保町にある会場に。
 

 会場に入ると学生たちが初日前日の夕方のため、まだ慌ただしく最後の準備をしていた時だったので少々待ってから拝見することにしていたら、  OBの菊地(42卒)、白谷(45)の両氏も顔を見せにきた。
現役フリーカメラマン増田君もいたので、4人で拝見することにした。
  

 まず私が感じたことは、作品の雰囲気が我々の学生時代40−50年前とは大きく変わっていたことである。50年もの前なので当然といえば当然であるが。
 私たちの時代は学生運動、学園紛争等が盛んに行われていた時代であり、写真表現もおのずと先鋭的なもの、報道写真、ドキュメンタリーや映像論等が幅を利かせていた。まだ白黒が主流であり、カラーは後発なものであったので、色彩で見せる写真は少なく、コントラストや白や黒の濃淡で見せる表現が多かった。特に組写真は、テーマを強調、鮮明にするための構成(大小、全体と部分、アップ。ロング、時間差)等々に気をつけて、立体的に組み立てを考えていたように思う。 

 50年前の写真と現代の写真表現を論じ、比較してもあまり意味がないことであるが、今の写真(椿季展)を見て感じたことは、テーマの表現方法とか色彩表現と写真の組み方見せ方等が大分違っているなということだ。まず、色彩表現において我々に時代でいえば、調子が出てない早上げのようなパステル画のような表現がされている作品が、最近ここだけでなく若い人の写真でよく見られる。

奥や深みをベールして見せないことで安心感があるのかもしれなが、本格的な色彩感覚の写真にも挑戦してくれることも期待したい。 

 それから、テーマ、対象との距離感が意識的であるにせよ、いつもある程度の距離感を保っていることと、同じような画面での雰囲気写真が重複していることが気になった。これは組写真、連作に特徴的である。

これは、前述の今様の若者の色彩感覚、パステル画調と同じなのだと思う。一定の距離間で対峙するとは、深みや奥に近ずかないうことに同じだし、同じような写真を重複する見せ方も等質のものだと思える。      

 いずれにせよ、今の若者、大学生の気質を写真から垣間見ることは貴重な時間で楽しかった。
時代がその時に生きる若者たちをつくるのか、若者たちが時代をつくるのか。勿論、後者だろう。頑張れ若者!!
 

 

 

「それでも」

 造花のバラのように見えるマツカサだった。50mm、f1.4開放での撮影。前後のボケが気持ちいい。

2枚しか撮らなかったとのこと。もっとジックリと見つめて、もう少したくさん撮ってもらいたかった。

「レディー・フォー・ザ・ブルー」

 写真を見た瞬間「セルフポートレート?」と訊いてしまったほど似ていた。瓜二つの姉妹。

冬の空気のシットリ感を表現したかったとのことだが・・・。点数をしぼった方が良かった。

 

「La réticence」

 タイトルはフランス語で「ためらい」の意味。離陸待ちの機内からのスナップ。北海道に帰省して東京に戻るときの心情か。水滴は涙?

もっとたくさん撮りたかったが前の座席の人に叱られたので二三枚しか撮れなかったとのことだった。世の中色んな人が居るもんだ。

    

「 Arrival/Departure」

 岸に停まるボートと沖に向かうボート。透明な未知の世界に向かうボートを選ぶ撮影者だった。

「朽つ」

 タイトルは「朽ちる」の古語。稲村ケ崎の「海浜公園」に残る戦争の遺構。鎌倉のキレイなイメージを崩してみたかった。

姿勢はうれしいが説明を聞かないとさっぱり判らない種類の写真。ちょっと横浜写真の味わい。タイトルに工夫が必要か。

「殻」

 最近昔の思い出が美化されてきているとのこと。高校のときに撮った写真を加工した。中心のカットに収斂させる方法か。

「靄靄」

 もや、なんだがタイトルには深い意味が込められているようだ。もやのせいか全体にボーとしている。ピントが甘くしてあるようだ。ネガカラーで撮ってスキャナーにかけてデジタル処理をするのが普通だと思っていること。実に不思議な色彩感覚。

「はれはれ」

 ローライコードでの撮影は「より光を表現できるかな」と思ってのこと。光が滲むところなど最近のデジカメにはできない芸当だ。ハレとケ。晴れた日のハレで「はれはれ」なんだって。

「00:00:00:01」

 タイトルは映像のワンフレーム目の意味。「映像の中に写真が内包されている。動画の中から抽出したワンカットを写真という」昨今の姿勢に反撥を覚えて「写真を使って映像(動画)を想像させよう」という試み。

「 sheer/blur」

 毎回「観念的な写真」を見せられる。今回は宮沢賢治の「春と修羅」と関係しているとのこと。春なのに修羅が好き。今回も実家(猪苗代)の周辺で撮影した。

タイトルのsheerは透明なもの、blurは曖昧なものの意味とのこと。

 

 Méme 

 京都駅の古いホームでスマホに熱中する人。駅構内に居る人々が好きで撮り続けるが、肖像権などの関係で人を撮る困難さに悩む。

 

   Le boullet

 タイトルはフランス語で弾丸の意味とのこと。発音はブレで写真はブレている。中途半端な流し撮り。車輪もチョン切れていて

典型的な失敗作。でも、ブレずに人を撮り続けて欲しい。

 

新年会を開催しました。    S48年卒・稲山正人

 梅の花が開き始めた2016年2月6日(土)、恒例のOB会新年会を高田馬場「味音」(韓国家庭料理)で開催しました。
 
 この新年会は10年ほど前にS44年卒とS48年卒がそれぞれやっていた新年会が合流して始まったもので、今回はS44卒からS50年卒まで各年度二三名ずつの参加がありました。
 
 H3年卒の参加もあり近年は比較的若い世代の方々も参加されるようになり、S48年卒の幹事としては漸く先輩気分を味あわせていただいております。

 冒頭、S45年卒の白谷氏の稲門写真クラブ活動報告を受け、同氏の乾杯の音頭で開宴。お互い近況報告など話が尽きることなく、盛況のうちS47年卒の柏木氏の記念撮影をもって中締めとなりました。
(S48年卒・稲山正人)

 

早稲田祭合評会報告 平3 増田 智+

◎早稲田祭展合評会報告 

2015.11.22「早稲田奉仕園」会議室

 今回は幹事会メンンバー3名+S60卒の塩澤さんに加え、三田写真会の倉内宏勝さん(S35年卒)をお迎えしての合評会となりました。

 きっかけは「第12回写真の早慶戦」開催記念パーティーの二次会でのことでした

 二次会会場の「新宿ライオン」で、倉内さんはブリューゲル、土門拳、ブレッソンなどの絵や写真のコピーを振り回し、相手構わず持論を展開されました。それまで何度かお目にかかっており、「随分熱心な方が慶応にもいらっしゃるなあ、稲門に来て欲しいなあ」と思っていましたので「合評会に来ていただけませんか」とお誘いした次第です。

 真っ直ぐな性格で思ったことを正直にしか言えない倉内さんは、「早稲田人」以上に「早稲田人」らしく、歯に衣着せぬ講評を展開されました。ありがとうございました。

倉内さんにお願いしていました原稿が届きましたので、原稿に沿って報告します。

ブルーの字は倉内さんの感想でブラックの字は稲門参加者の報告です)

慶応日吉新人展と早稲田祭合評会 

倉内宏勝(昭和35年慶応義塾大学経済学部卒) 
 
 僕は慶應義塾大学カメラクラブ(K.C.C)の新人作品批評会には2008(平成20年)から出席している。毎年7月の第一土曜日午後1時から日吉キャンパスの一教室を借りて行われている。
 
 48年ぶりに訪れた日吉キャンパスの教室を見て驚いた。各自の机の下には電気コンセントがある。スライド用プロジェクトがあって、黒板の前の天井からはスクリーンがおりて来る。1960年(昭和35年)卒の僕には考えられない教室設備だ。
 
 新人学生の作品数は、2008年(平成20年)は15点だったが、毎年徐々に増えて行き30点を越す年もあり、2015年(平成27年)には27点だった。
 批評会のしかたは、1年生が自分の作品を手に持って、教壇に立ち、学部、氏名、写真の題、その狙いを説明する。説明が終わると司会者が「OBのかた批評をお願いします」と言うと、6-7人のO.Bが次から次へと、意見を言ったり、作者に尋ねたり、あっという間に持ち時間の15分から20分はすぐに終わってしまう。
 
 黒板の右端には本日出席しているO.Bの名前が、卒業年次順に書いてある。
新人学生は、自分の作品についてO.Bと議論する時間は余りない。どうもO.Bからの意見ばかり聞いて、司会者が「ハイ時間です」と言うと、そこで終わってしまう。
 
 新人学生の写真のレベルは、年によって違うが、基礎を知っている上手な新人もいれば、初めてカメラをK.C.C部活室から借りて、日吉キャンパスを回って撮った新人もいる。新人が一番良いと感じた作品をO.Bと部員の間で発表する。
 
 僕の眼から見て、新人学生の写真レベルは、A、B、Cのグループに分けられる。
 
 ・Aグループ 少し助言して、修正すれば、作品になりそうな上手なグループ
 ・Bグループ 遠近法は多少感覚的には分るが、背景をよく考えないで、シャッターを押してしまうグループ
 ・Cグループ  「物体派」が多く、人間を写さないで、機械、器具、部品だけを単独に撮るグループ
 
☆物体派1
 文学部の女子1年生が登場した。持っている写真は、台所の流し台の水道の蛇口をやや上から、蛇口だけをアップで撮っている写真だった。題は「ねじってしまいたい」。
「蛇口のゴムパッキングが摩耗して、水がポタポタと落ちてきて、いくら捻っても、水が止まらないので、その状況を写真に撮りました」。
 
☆物体派2
 望遠レンズで鎌倉市長谷の大仏を頭部だけ撮ったもの。画面の上2/3は空、下1/3に大仏の、巻貝に似た丸まった髪の毛、螺髪(らはつ)が40個だけ写っていて、額、顔は全然写っていない。螺髪が40個の上は曇り空。題は「鎌倉の空」。
「鎌倉の空を表現してみました。」
 
 確かに作品の狙いは分る。
学生時代、無報酬で指導いただいた長野重一さん(塾経済昭和22年卒、プロ写真家)の話では「どの作品にも必ず褒めるようにしている」と聞いていたので、水道蛇口の写真も、「鎌倉の空」も褒めようとする気はあるのだけれど、その言葉が出て来ない。絶句してしまった。
 
 Cグループを指導するのは一番難しい。
   なにしろ日本を代表する写真家木村伊兵衛(1901-1974)や、土門拳(1909-1990)を今の学生は知らない。
 だから古今東西の良い絵、良い写真を沢山見せることが必要であると考えた。
 
 日吉キャンパスの新人批評会は、新人一作品に、15-20分間で批評する。
 6-7人のO.Bが次から次へと意見を言い、聞く新人は何がなんだか分からないうちに終わってしまうのではないかと、心配になった。
これでは「船頭多くして、船山に登る」にならないか?つまり指図する人が多くて、方向の統一がはかられず、目標がとんでもない方向にそれてしまうのではないかと思った。
 
 日吉の並木道を駅に向かって歩きながら考えた。なにか紙芝居のように眼に訴えて、新人の脳裏にしっかり植え付ける方法はないものかと考えた。
 毎曜日曜日NHK2Eテレの「日曜美術館」見たり、日本経済新聞の日曜日「美の美」を読んだり、重要な写真展、絵画展も出来るだけ見るようにした。江戸時代の浮世絵でもいい、京都高山寺の鳥獣人物戯画でもいい、なにか1枚で表現できる作品はないか探した。
 
そこで、ピーテル・ブリューゲル「雪中の狩人」1565年、ルネッサンス後期の風景画(下)を使うことにした。
 
 
 前景には狩猟犬を何匹も連れた3人の狩人、中景には家の近くで働く主婦たち、遠景には橋の上に荷を背負って運ぶ人、氷の上で釣りをする人、スケートをする人、この近景、中景、遠景にそれぞれ、このように人物を入れて撮って下さい、と話し始めた。
学生には、ただ口で話すよりも分り易いと思った。
 
「雪中の狩人」の次にフランスの写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソン(1908-2004)のL’Aquilla」1951年を見せる。この写真にも、近景、中景、遠景があって、まとまっている。
 
 
シンメトリーの作品の例として、土門拳「傘を回す子供」1935年を見せる。
このように紙芝居方式で学生の脳裏にしっかり植え付ける方法を考えた。
 
 
 今年の11月2日三田写真会の幹事杉田重男君(昭48卒)よりメールがあった。
「倉内さんに早稲田の作品批評会11月22日(日)への出席依頼がありました。倉内さんのご都合、ご意向をお知らせ下さい」とあった。
 まずなぜ僕を誘うのだろうと思った。慶應には昭和19年卒もプロ写真家芳賀日出男大先輩がいるではないか。何故僕が指名されるのか分からなかった。僕はプロ写真家ではない。僕は一日たりとも写真で飯を食ったことがない、完全にアマチュアの範疇だ。
 
 三田写真会代表の金井三喜雄君(昭和41年卒)に電話した。「倉内さん、都合がつくのなら、行って下さいよ。僕は当日都合が悪くて行けませんけど」と言う。杉田君も行けないという。
杉田君からは「いつもの倉内節で、感じたままに、ストレートに評すれば良いと思いますが」とメールが入ってきた。
 ちょうど11月20日(金)-23日(勤労感謝の日)は三田祭開催中で、KCC写真展は大学院館2階で開催中ということもあり、代表幹事百武直樹君(昭和52年卒)も現役交流幹事の日野光輝君(平成12年卒)も出席できないということで、結局僕一人で早稲田に行くことにした。
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 早稲田は学生時代に行ったことがある。58年ぶりの訪問だ。当時国鉄高田馬場駅からバスに乗って行った記憶がある。11月22日(日)もバスで早稲田に行こうと思っていた。
稲門写真クラブの増田智さん(平成3年卒)からメールが来て、「当日地下鉄東西線早稲田駅の2番出口で12:50にお待ちしています。」
いやあ!時代は変わった。地下鉄で早稲田に行けるのだ!
 
 僕は11月22日(日)約束の時間より少し早めに、メトロ東西線、高田馬場駅の2番出口に着いた。増田さんのケータイに電話した。
 
 倉内:「今、2番出口に着きました」
 増田さん:「近くにおります、すぐ行きます」。
 
 増田さんは元気良く姿を表した。そして早稲田奉仕園の方へ歩き始めた。
 
 増田さんの話によれば、「早稲田大学には、3つの写真部があると言う。『早大写真部』は学生数約100人で一番多く、商学部を中心とした『写団シャレード』が約30人、理工学部を中心とした『リコシャ』」が約30人だと言う。
 今日は11月7日(土)-8日(日)に開催された早稲田祭に出品した作品を批評する会で、学生は7-8人来る予定だと言う。
 
 場所は早稲田奉仕園の会議室、出席者は、稲門写真クラブ(早大写真部O.B会)からは、代表幹事の白谷達也さん(昭45年卒)宇野敏雄さん(昭45年卒)塩澤秀樹さん(昭和60年卒・フリー写真家)増田智さん(平成3年卒)の4人。
出品学生は1年生2人、2年生1人、3年生2人、大学院2年生1名、それに某美術大学3年生(休学中)の他大部員1名の合計7人。
 
 増田さんの司会で、僕が紹介され、自己紹介した。
「僕はプロ写真家ではない。慶應には昭和19年卒の芳賀日出男大先輩がいるのに、僕が呼ばれたことは、日吉キャンパスの新人展の批評を担当しているからでしょう。今日は日吉キャンパスと同じように批評させていただきます。」
 
 先ずピーテル・ブリューゲル「雪中の狩人」の絵をみせて、近景、中景、遠景と人物を配置して下さい。次に、アンリ・カルティエ・ブレッソンの「L’Aquilla」を見せた。シンメトリーの見本として土門拳「傘を回す子供」の写真を見せた。
 
 
 続いて学生の作品発表となった。
 
1.3年女子学生、「通天閣下の商店街」
 
 写真は商店街の道の中央から、商店街を撮っている。道は手前が幅広く、遠くは幅狭く、三角形になっている。ここで東山魁夷の絵「道」を見せ、この三角形は、構図としてとても安定している。ここに人物を近景、中景、遠景を入れれば、すばらしい作品になったと思う。
レベルはAクラスのグループ(修正すれば作品になりそう)
 
 
 ☆
 ここで倉内さんは「僕がどんな写真を撮ってるか、先ず僕の写真からお見せしてからじゃないとね」
と言って、かつて『写真の早慶戦』に出品した自作プリントを持ち出し、自作写真の撮影意図や構図について説明されました。
 それから、ブリューゲルや長野重一さんの写真で近景、中景、遠景やシンメトリーについて話され、最後に「何故こんなことを言うかというと、僕は社会派だから」とおっしゃいました。
懐かしい言葉「社会派」。さすが倉内さん、よくぞ言っていただきました。WPS(早大写真部)の保守本流を自認する者たちを支えることば「社会派」。倉内さん、面目躍如。感激しました。
 
 でも、感激のあまり「社会派」という言葉が現役に通じたのかどうか、つい失念してしまいました。
 
 倉内さんに申し訳ないことに、今回はほとんどの作品をPCモニターで見ることになりました。学生会館に保管していたところ当日学館に入ることができなくて、プリントを持ち出せなかったとのことでした。
 
 タイトルは「昏々」。
 シャッター街の写真ですが「ドキュメント」というより「風景」になっていて、OBたちの中には物足りなく感じた人もいたようです。何故ならばシャッター街は社会派のテーマの一つだからです。
 しかし、声高かに叫ぶのではなく、この作者の繊細な感性が写真に温もりを与えているようにも思え、また、タイトルを味わってみると、作者の想いが滲み出して来るようでむしろ適正な表現のように思えました。
 
 展示用プリントに加えBookも見ました。
 Bookではヨコ位置写真の長辺がカットされており、印刷の調子も相当違っていたのでOBから質問が飛び、Book制作上のノーハウや問題点について話し合いました。
 
 一年生の時の作品のことを思うと、この作者が確かな良い時間を過ごしてきたように思えて嬉しくなりました。
 
 
2.他大部員(某美大生)3年の作品
 
 スナップで画面いっぱいの人物写真。渋谷ハチ公前のスクランブル交差点の手前で、彼は「すいません写真を撮っていいですか?」と尋ね、「ハイ」と承諾した人の顔を、グッと近づいて、20から30人撮って来たと言う。驚いた、こんな度胸のいい学生は慶應にはいない。見知らぬ人に声をかけて、シャッターを押すことが平気なのだ。この学生、撮影テーマを決めて実行すると、すばらしい作品ができるだろうと想像した。特別参加として、他校の学生を入れることは、良い刺激を受けると感じた。
彼もAクラスのグループだ。度胸の良さはピカイチだ。 
 
 
 ポートフォリオのために人の頭部だけ20枚ほどで構成された作品。
「撮りたい」と感じた人に声を掛けて、50mmレンズ装着のデジカメで一人1カットかせいぜい2-3カット撮影したもの。
100人ちょっと撮影して20人に絞ったそうです。声をかけて撮影OKになるのは20%程度だそうですから、2000人には声をかけた勘定になります。三ヶ月間来る日も来る日もスクランブル交差点に立ったとのこと。従って休学しての撮影とあいなりました。
 
 休学中は広告関係の注文仕事などをこなしながら多様な作品創りをやってきたという。まるでかつての篠山紀信さんみたいだなと思いましたが、美大入学前はまったく写真はやっていなかったそうだから驚きでした。
4月にはデザイン科に復学を目指しているとのこと。広告カメラマンを目指す彼の貪欲さとエネルギーには皆脱帽。
 
「鬼海(弘雄)さんはどう思う」と水を向けると「これをやった後で見たんですが、すごい!!」との反応でした。
 
 器用で多才だと思いますが、流されないようにして欲しいものだと思いました。
しかし問題ないようです。ここでは登場しませんが早稲田祭展で展示されたもう一つの作品「一枚だけ」のような自縄自縛精神も持ち合わせているようですからね。
 
 
3. 文化放送学部(昔の2文)1年の作品
 
 フランス語の教師が案内するフランスツアーに参加して、フランス各地を回って、田舎に道で出会ったフランス人少女を撮った写真だ。撮るとき、習ったフランス語「ca va!」(元気、大丈夫ですか)と言ってから、シャッターを押したと言う。
 写真を見ると、背景を考慮に入れず、少女だけを夢中で撮ったという感じがする。シャッターを押す前に、この背景でいいのか?確認する余裕が欲しかった。
この少女を表現するのに、ふさわしい背景かを考えて、シャッターを押せば上達しますよ。
Bクラス(背景を考えてシャッターを押す)
 
 
 タイトルはCet été
 プリントがカブッていましたが特別な考えがあるわけではなく、初めての暗室作業での単なるミスだったそうです。今は終日暗室にこもることもあるそうで、焼きも巧くなったとのこと。
 
 背景処理(後ろの柵)については「バックを先に選んでから撮らなくっちゃ」という過激な発言もありましたが、特別の作為を感じさせないニュートラルさが話題になりました。
 そう言えば一時「ヘタウマ」という言葉もありましたが、あの「ヘタ」さとは異質の「ヘタ」とOBたちには受け止められたのか、「すべて中途半端で、その下手さが良い」だとか「脱力感が羨ましい」などむ

早稲田祭写真展報告 平3卒 増田 智

今年も早稲田祭写真展に行ってきましたので報告します。

早稲田には写真展を行っているサークルが3つあります。シャレードー、リコシャ、そして早大写真部です。

前2つのサークルは30点ほどのしかもA4サイズ以下の展示ですが、早大写真部は100数点を展示し大きさもA3ノビと規模としては圧倒的です。

作品も多岐にあたり見ていて面白いかったです。

来場者が1000人というのもうなづけます。

 絶えず人が入ってきて人ところに留まって写真を見るものたいへんでした。

フォトブックもたくさんあって展示とは違いレイアウトしたり文章を入れたり、また壁面の写真と連動して表現しているのもよかったです。

「Factory tour」

今回の一番人気でした。デジタル独特の鮮やかな色が多くの人の足を止めさせていました。

撮影場所も全国に渡り、努力も感じられましたしご本人の場所場所での解説もおもしろかったです。

「一枚だけ」

 

上の写真の一部をアップしたものです。

デジタルから写真を始めたそうですが、フィルムに立ち帰って一枚一枚の重さを感じな がら撮ってみようという試みで今回はすべてブローニーフィルムでの撮影で壁面いっぱいに写真を並べたそうです。いつのまにやらカメラはピントも露出も色も 自動になってしまったなー、絵作りもまったく違ったものになってしまうのだろうなーと思ってみると意外と写真自体は我々の頃と変わっていないのが不思議で した。

「昏々」

一年生の時から作品を拝見していますが肩の力が抜けた写真が独特の雰囲気を醸しだいていて好感がもてます。

技術も上がって自分の気持ちをよりわかりやすく表現できるようになってきている気がします。

 

 「一瞬の邂逅」                   「Color」

新人展から見ていますがいろいろなジャンルに挑戦している姿勢が頼もしいです。努力も惜しまず制作してますし写真が楽しくてしょうがないのが伝わってきます。ぜひ自分にしか撮れないテーマを見つけてほしいです。

  

 「Ideal world イデア界」

早大写真部のレベルの高さを示してきたWくんも卒業とのこと。ぜひ写真は撮り続けてほしいです。

 

次回は早稲田祭の作品合評会を行ったので報告します。

今年は慶応OBの倉内さんをゲストにお呼びして現役生にいろいろな話をしていただきました。

昭和40年卒・佐藤教誘さんの農林水産大臣賞受賞を同期の方々が祝われました

 ◎昭和40年卒の佐藤教誘さんが「平成26年度緑化功労者」として農林水産大臣賞を受賞されました。

 本来ならば「稲門写真クラブ」を挙げて祝賀パーティーを開催し、住友林業とのバイオマス発電ミッションなどについてお話を伺いたかったところですが、「大げさにしないで欲しい」とのご本人の要望もあり、昭和40年卒の同期を中心にした方々が都内に集い共に喜びを分かち合われました。

昭和40年卒業の佐藤教誘(のりひで)氏は佐藤木材工業(株)社長として、40余年に亘って地元北海道紋別市一帯の広大な森林を相手に、環境を破壊しない森林資源の持続的利用の為の整備事業を通じ社会に貢献してきた。

 その一方の本業、即ち森林管理と木材業の造材、集成材、バイオマス発電などの作業工程の合理化、近代化、機械化を積極的に進める謙虚にして前向きな信念の男という印象を、50余年ぶりの祝賀会を通して、強く受けた。

 佐藤君逹が1年生、筆者が3年生だった昭和36年度の早大写真部共同制作「京葉工業地帯」撮影合宿やスキー合宿、合ハイ、月例会、部室に籠っての若者ゆえの映像論議、そしてコンパのばか騒ぎ等を通して互いのキャラクターを確認し合えたのは僅かに2年足らずだったにもかかわらず、再会して5分も経たぬうちに頭の中は一気に「商学部の地下に在った部室の中」に成るのだから――。

 あの頃、嗚呼ワセダの写真部、よかったなぁ。

 今や爺さんとなったけれども元気いっぱいの仲間たち。佐藤君の一層の健康と活躍を祈念して勝山君の一本締め!思い尽きない祝賀会をやっと終了させた。           

(平成271025日 新宿スパッカナポリにて 昭和38年卒・辻久男)

以下に「オホーツク総合振興局」発行の広報資料の抜粋を添付します。

 公益杜団法人国土禄化推進機構主催の「平成26年度緑化功労者」に、紋別市の佐藤 教誘氏(佐藤木材工業(株)代表取締役杜長)が農林水産大臣賞の受賞者として決定した。※農林水産大臣賞-緑化功労者表彰で最上位の賞
 
□「緑化功労者」表彰の概要
 ・公益杜団法人国士緑化推進機構(会長:衆議院議長)が、昭和40年度から毎年度実施(各都道府県から推薦)。
 ・国土緑化運動に永年にわたって貢献し、その功績が顕著であった者を表彰。
 
北海道からの受賞者,1名(全国で3名)

 ○受賞者名:佐藤 教誘(オホーツク総合振興局管内紋別市、71歳)

 ○受賞内容:農林水産大臣賞(感謝状)
 
 ○功績の概要(詳細別紙)
 

□緑化運動の功績
 
 佐藤氏は、大学卒業後、松下木材株式会社勤務を経て、昭和41年に佐藤木材工業株式会社に入社、平成2年には同社代表取締役社長に就任され、間伐や植林などの森林整備事業を計画的に実施し、地域の森林資源を適切に管理されてきました。また、出材されたトドマツ間伐材等は自社工場で製材するほか、カラマツ等の構造用集成材の生産を行うなど地域材の有効利用を推進され、こうした地域の森林資源を背景にした40年以上の永きに渡る取組みは、北海道の林業・木材産業の発展に大きく貢献するものです。
 また、網走西部流域でのSGEC(「緑の循環」認証会議)による森林認証制度の普及に努められ、平成16年の自社有林約569ヘクタールの登録(管内初めての登録。その後追加で登録され、現在では、624ヘクタールの認証面積。)をはじめ、平成26年3月現在、流域の森林面積約38万2千ヘクタールのうち約32万1干ヘクタールが認証森林として登録されており、認証取得率は約84%となっています。また、その認証面積は全国のSGEC認証森林面積約122万7千ヘクタールの約26%にあたり、国内最大の認証エリアと存っています。加えて、認証材の流通・加工を行う認定事業体(CoC)数も平成26年1月現在、延べ58社となり、流域関係看が一体となって認証制度を活かした取組が進められています。このように森林認証の先駆的、かつモデル的な地域となったのも、北見地方SGECネットワーク会長として先陣を切ってこられた佐藤氏の果たされた功績に寄るところが大きいものであります。
 佐藤木材工業株式会社の工場では、昭和59年から木屑焚きボイラーを導入して木材乾燥機や暖房に利用するなど、バイオマスエネルギーの有効活用に積極的に取り組むとともに森林施業にあたっては、平成21年にドイツ製高性能複合森林施業機(コンビマシン)を国内で初めて導入し、その後も北欧製の最新鋭林業機械を現場に取り入れるなど、施業の安全性・効率性の向上を図りながら低コスト化に取り組み、導入成果を林業関係者に公表するなどして、その晋及に尽力されています。
 さらには、北海道木材産業協同組合連合会副会長をはじめ、北見地方森林整備協議会会長、同素材生産事業脇同組合組合長など木材製品の加工や森林整備、素材生産などに携わる多くの要職を歴任するほか、平成2年から永きにわたり、林業・木材製造業労働炎害防止協会北海道支部名寄分会副会長に就任し、労働災害の未然防止に積極的に取り組むなど、業界の指導的な役割を果たされており、地域はもとより、広く北海道の林業・林産業の発展のため貢献された功績は誠に顕著であります。
 
 

現役「新人展」をみて 

遅くなりましたが9月に開催されました新人展の報告です。

今回はOB写真展「写真の早慶戦」の打ち合わせの帰りに白谷さん、宇野さん、福田さん、増田のOB4名で伺いました。

今年度より写真部に入部した113期による30人弱の新人による写真展です。

初めて写真を大きくして題名をつけるのも初めてという人もいて初々しかったです。

幹事長のY くんに話を訊くと「今回は題名の付け方で損をしている作品がけっこう目立ちましたね」と話していました。

なるほど動物が写った写真では図鑑のようなタイトルだったり、風景写真に難解なタイトルであったりと、写真とタイトルがうまく噛み合っていない印象がありました。

OBの宇野さんと福田さんからの感想も後日掲載したいと思っています。平3卒 増田 智

 

   

「印象 水」                          「表現者」

 

「記憶」

    

 「 流 」                                                                                                         「Elle pence」

 「シャッター街に咲く」

「Railway Corridor」