【訃報】昭和31年卒の新田満夫さんが亡くなられました

 

(昭和32年卒の村上照信さんから一報が寄せられました)
 
◎昭和31年卒の新田満夫さんが10月27日に肝臓がんのため都内の病院で亡くなられました。享年82歳。
 
 新田さんは大学卒業後渡米され洋書業界について学ばれ、昭和35年2月、戦争で活動を停止していた『雄松堂書店』を木造2階建ての社屋から再興されました。
 マイクロフィルム出版事業、図書館関連の諸事業、古書業の国際化、書誌学上の優れた研究や業績を顕彰するゲスナー賞を創設されるなど、紙の本文化に関わる功績には目を見張るものがあります。
 
 2010年のサザビーズ・オークションで9億6千万円ほどで落札された大著「アメリカの鳥」の復刻版を、国内各方面に呼びかけ印刷・製紙・製本技術を結集し『雄松堂』から出版された時には大いにマスメディアを沸かせました。
 
 紙の本の受難のこの時代に、誠に惜しい方を無くしたという思いを強くいたします。
以下、雄松堂書店HPより引用です。
 
当社 前代表取締役会長兼社長 逝去のお知らせ。
当社 前代表取締役会長兼社長 新田満夫 儀 10月27日午後5時15分逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご連絡申し上げます。
なお 密葬の儀は過日近親者のみにて執り行われました。
別途葬儀並びに告別式を社葬として下記の通り執り行いますのでお知らせいたします。ご遺族の強いご希望により ご香典 ご供花 ご供物の儀は 固くご辞退申し上げます。
 
2015年11月4日
株式会社雄松堂書店
代表取締役社長 西浦信義
 
 
・日時:     2015年12月7日(月曜日)
・葬儀・告別式: 午後2時?午後3時半
・場所:     護国寺 桂昌殿
         文京区大塚5丁目40番1号
・電話:     03-3941-0764(代表)
 
(本件の問い合わせ先)
 雄松堂書店 管理本部 電話:03-3357-1413(直通)
以上
 

ホームページのメンテナンスを行っています

 本日より11月末までのあいだ、当ホームページのシステムのメンテナンスを行うため、断続的に閲覧できなくなる場合があります。

 
なお、本メンテナンスの最中には、画面が全く表示されず白い画面のみが現れている場合もございますが、異常ではありません。
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ご不便をおかけしますが、ご了承ください。

昭和40年卒・佐藤教誘さんの農林水産大臣賞受賞を同期の方々が祝われました

 ◎昭和40年卒の佐藤教誘さんが「平成26年度緑化功労者」として農林水産大臣賞を受賞されました。

 本来ならば「稲門写真クラブ」を挙げて祝賀パーティーを開催し、住友林業とのバイオマス発電ミッションなどについてお話を伺いたかったところですが、「大げさにしないで欲しい」とのご本人の要望もあり、昭和40年卒の同期を中心にした方々が都内に集い共に喜びを分かち合われました。

昭和40年卒業の佐藤教誘(のりひで)氏は佐藤木材工業(株)社長として、40余年に亘って地元北海道紋別市一帯の広大な森林を相手に、環境を破壊しない森林資源の持続的利用の為の整備事業を通じ社会に貢献してきた。

 その一方の本業、即ち森林管理と木材業の造材、集成材、バイオマス発電などの作業工程の合理化、近代化、機械化を積極的に進める謙虚にして前向きな信念の男という印象を、50余年ぶりの祝賀会を通して、強く受けた。

 佐藤君逹が1年生、筆者が3年生だった昭和36年度の早大写真部共同制作「京葉工業地帯」撮影合宿やスキー合宿、合ハイ、月例会、部室に籠っての若者ゆえの映像論議、そしてコンパのばか騒ぎ等を通して互いのキャラクターを確認し合えたのは僅かに2年足らずだったにもかかわらず、再会して5分も経たぬうちに頭の中は一気に「商学部の地下に在った部室の中」に成るのだから――。

 あの頃、嗚呼ワセダの写真部、よかったなぁ。

 今や爺さんとなったけれども元気いっぱいの仲間たち。佐藤君の一層の健康と活躍を祈念して勝山君の一本締め!思い尽きない祝賀会をやっと終了させた。           

(平成271025日 新宿スパッカナポリにて 昭和38年卒・辻久男)

以下に「オホーツク総合振興局」発行の広報資料の抜粋を添付します。

 公益杜団法人国土禄化推進機構主催の「平成26年度緑化功労者」に、紋別市の佐藤 教誘氏(佐藤木材工業(株)代表取締役杜長)が農林水産大臣賞の受賞者として決定した。※農林水産大臣賞-緑化功労者表彰で最上位の賞
 
□「緑化功労者」表彰の概要
 ・公益杜団法人国士緑化推進機構(会長:衆議院議長)が、昭和40年度から毎年度実施(各都道府県から推薦)。
 ・国土緑化運動に永年にわたって貢献し、その功績が顕著であった者を表彰。
 
北海道からの受賞者,1名(全国で3名)

 ○受賞者名:佐藤 教誘(オホーツク総合振興局管内紋別市、71歳)

 ○受賞内容:農林水産大臣賞(感謝状)
 
 ○功績の概要(詳細別紙)
 

□緑化運動の功績
 
 佐藤氏は、大学卒業後、松下木材株式会社勤務を経て、昭和41年に佐藤木材工業株式会社に入社、平成2年には同社代表取締役社長に就任され、間伐や植林などの森林整備事業を計画的に実施し、地域の森林資源を適切に管理されてきました。また、出材されたトドマツ間伐材等は自社工場で製材するほか、カラマツ等の構造用集成材の生産を行うなど地域材の有効利用を推進され、こうした地域の森林資源を背景にした40年以上の永きに渡る取組みは、北海道の林業・木材産業の発展に大きく貢献するものです。
 また、網走西部流域でのSGEC(「緑の循環」認証会議)による森林認証制度の普及に努められ、平成16年の自社有林約569ヘクタールの登録(管内初めての登録。その後追加で登録され、現在では、624ヘクタールの認証面積。)をはじめ、平成26年3月現在、流域の森林面積約38万2千ヘクタールのうち約32万1干ヘクタールが認証森林として登録されており、認証取得率は約84%となっています。また、その認証面積は全国のSGEC認証森林面積約122万7千ヘクタールの約26%にあたり、国内最大の認証エリアと存っています。加えて、認証材の流通・加工を行う認定事業体(CoC)数も平成26年1月現在、延べ58社となり、流域関係看が一体となって認証制度を活かした取組が進められています。このように森林認証の先駆的、かつモデル的な地域となったのも、北見地方SGECネットワーク会長として先陣を切ってこられた佐藤氏の果たされた功績に寄るところが大きいものであります。
 佐藤木材工業株式会社の工場では、昭和59年から木屑焚きボイラーを導入して木材乾燥機や暖房に利用するなど、バイオマスエネルギーの有効活用に積極的に取り組むとともに森林施業にあたっては、平成21年にドイツ製高性能複合森林施業機(コンビマシン)を国内で初めて導入し、その後も北欧製の最新鋭林業機械を現場に取り入れるなど、施業の安全性・効率性の向上を図りながら低コスト化に取り組み、導入成果を林業関係者に公表するなどして、その晋及に尽力されています。
 さらには、北海道木材産業協同組合連合会副会長をはじめ、北見地方森林整備協議会会長、同素材生産事業脇同組合組合長など木材製品の加工や森林整備、素材生産などに携わる多くの要職を歴任するほか、平成2年から永きにわたり、林業・木材製造業労働炎害防止協会北海道支部名寄分会副会長に就任し、労働災害の未然防止に積極的に取り組むなど、業界の指導的な役割を果たされており、地域はもとより、広く北海道の林業・林産業の発展のため貢献された功績は誠に顕著であります。
 
 

第12回写真の早慶戦が終わりました

◎第12回「写真の早慶戦」が終わりました。
 
   以下、早稲田=W、慶応義塾=Kとし敬称は略させていただきます。
 芳名帳にはW336名、K406名の方々に記帳していただきました。
 投票総数は585名。Wに168名、Kに215名、引き分けが186名でした。記載の無かった用紙が16枚ありました。(追って詳細な内容分析をご報告いたします)
 
 前回に続きKの圧勝と言えるとは思いますが、実は今回K勝利の方程式の一部が明らかになりました。
何と!!DMを150枚も郵送されているスーパーな方=Sさんの存在です。1人当たりたったの15枚の当方としては衝撃でした。10倍も出される方が居られるなんて!!信じられませんでした。
 
 おまけに人望の高いSさんのことですから、半数の75名の方々がSさんを訪ねて来場されたことでしょう。
連日会場でお知り合いを待って居られるSさんのお姿を目撃する度に頭を垂れるしかありませんでした。
その75名の票さえ無ければWも良い勝負をしているのかもしれません。
即ちWはSさん一人に負けた!!と言っても過言ではないのです。うん悔しい!!Sさんさえ居られなければ!!
 
 
 でも、パーティーの出席者はW45名、K40名ですから一矢を報いたと思うのは負け惜しみでしょうか。
 
宮崎からお越しいただいた栗原達男さん、モデルのニーナさんを名古屋から同伴された横井さん、遠路ありがとうございました。
 
 前回同様で、24日(土)午後6時から「銀座アスター新宿賓館」でパーティーを開催しました。
12回目にして初めてKからの展示にいたしましたし、パーティーの仕切りもKということにしました。
 
 集合写真に間に合わなかった方が数名おられたようですが、集合写真撮影に始まり、K百武直樹さんの司会のもとに順調に進行しました。
 
 金井三喜雄・三田写真会会長、白谷達也・稲門写真クラブ代表幹事の挨拶があり、94歳になられたKの芳賀日出男さんと、芳賀さんに比べればまだまだ青年のW梶原高男さんに乾杯の音頭をとっていただきました。
 
恒例と言っても2回目ですが、投票結果中間発表をK杉田重男さん、W今井隆一さんにやっていただき、K乾善明リーダーのもとK応援歌「若き血」、W校歌「都の西北」を合唱しエールの交換をもって閉会に至りました。
 
 

    

 

昭和60年卒・塩澤秀樹さんのオープンカレッジ

◎早稲田大学オープンカレッジ、受講生による写真展(塩澤クラス)
 
・日程:2015年11月25日(水)? 12月1日(火)(最終日は13時まで入場可、日曜閉室)
・時間:10 : 00 ? 17 : 00
・会場:新ワセダギャラリー(小野記念講堂B1階)早大正門ロータリー横のレンガ色の建物の地下です。
 
オープンカレッジの講師を勤めさせていただき、早いもので10年が経ちました。
私も2点出品する予定でおります。
もし近くにお立寄の際は、足をのばされていただけますでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。              (昭和60年卒・塩澤秀樹)
ホームページ http://shiozawahideki.com
『人生の真影 ?60歳からの肖像写真?』webサイト http://family-labo.jp/portrait/

 

昭和46年卒・石崎幸治さんの「水滴写真」ブレイク中。

 ◎「第12回写真の早慶戦」の会場でも来場者の目を引いた昭和46年卒の石崎幸治さんの「水滴写真」が受賞ラッシュです。

 

「環境フォト・コンテスト2016」に応募したところ、私の水滴と蟻とタンポポの種子が写っている作品が、応募総数12,000点の中から環境大臣賞と環境フォト大賞に選ばれました。作品は20161月に発売される「PRESIDENT」誌上、「環境フォト・コンテスト」ホームページ、6月に環境省主催で行われる「エコライフ・フェア」の会場等で発表されます。

 
 また、「第2回一日一訓カレンダーフォトコンテスト ほとけの心」にも応募したところ入選しました。入選作品は、仏教伝道協会のホームページ、雑誌「日本カメラ」にも掲載されるそうです。20166月に「吾が命の仮になること夢幻の如し」という有難いお言葉に添えられてカレンダーになり、配布されます。
 
 ブログ「石崎幸治の身辺雑記」で報告しましたが、「みんなで作るPhotoBookle2015春 わたしの春、届けます」フォトコンテストでも、入選しております。題名は「水滴に映り込んだ花とタンポポの種」で発表名は「水野しずく」です。
 

 日本写真映像用品工業会の「JPVAA  WEBフォトコンテスト2015」で応募総数6600点の中から選ばれて入賞しました。JPVAAのホームページで公表されています。また「写真・映像用品年鑑2016年版」に掲載されるのと、20162月にパシフィコ横浜で開催されるフォトイベントCP2016の会場に展示されます。

 
 20151023~25日に開催された第41回稲城市芸術祭の美術部門に「水滴と花」と題して写真を展示しました。どうやって撮ったのか、本当に写真なのか、合成はしていないのかなど多数のご質問をいただくと共に好評でした。
 
 20151022~28日に開催された「早慶写真部OBOGによる第12回写真の早慶戦」にも約120名の諸先輩と後輩の写真に混じって、水滴の写真を出品しました。慶応大学の大先輩から「あなたの水滴写真が、早稲田の写真の中で一番良かった」という有難いお言葉をいただきました。
 
http://ameblo.jp/shinpenzakki/(昭和46年卒・石崎幸治)

現役「新人展」をみて 

遅くなりましたが9月に開催されました新人展の報告です。

今回はOB写真展「写真の早慶戦」の打ち合わせの帰りに白谷さん、宇野さん、福田さん、増田のOB4名で伺いました。

今年度より写真部に入部した113期による30人弱の新人による写真展です。

初めて写真を大きくして題名をつけるのも初めてという人もいて初々しかったです。

幹事長のY くんに話を訊くと「今回は題名の付け方で損をしている作品がけっこう目立ちましたね」と話していました。

なるほど動物が写った写真では図鑑のようなタイトルだったり、風景写真に難解なタイトルであったりと、写真とタイトルがうまく噛み合っていない印象がありました。

OBの宇野さんと福田さんからの感想も後日掲載したいと思っています。平3卒 増田 智

 

   

「印象 水」                          「表現者」

 

「記憶」

    

 「 流 」                                                                                                         「Elle pence」

 「シャッター街に咲く」

「Railway Corridor」

  

 

【訃報】昭和32年卒の河野 毅さんが亡くなられました

◎昭和32年卒の河野 毅さんが入院中、心不全・肺炎のため8月31日に永眠されました。

享年82歳。ご家族に看取られながら逝かれたということです。

写真界の新らしい流れにややヒートアップ気味だった同期のメンバーの中で、いつも落ち着いたカメラアイと氏の言動は兄貴のような存在でした。

昭和アルミニウム缶株式会社の社長、会長を歴任し、引退後には「ライオンの会」(3ケ月毎に集い互いの健康やデジタル時代の写真状況などについて話し合う会)の幹事をしてくれていました。

(昭和32年卒・野中昭夫)