現役七月展に行ってきました 増田 智(平3卒)

今年も現役七月展に行ってきました。

4月に訪れた春季展では作品が少なくてさみしい印象でしたが、今回はだいぶん点数が増え、なおかついろいろなジャンルの写真を見ることができました。

幹事長に話を聞くと30名の新入部員が入ったとのことでしたので納得しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

「みどりひかる」

フィルムで撮影してデータ化してインクジェットで出力しているためのやわらかさと、ハイキーさがうまくいっていると思います。あとは表現主体がはっきりするかメッセージ性があると写真が生きる気はします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青い彗星」 

 よく目にする写真ですが構図が面白くしっかり撮影しています。

まだ一年生だそうでぜひ、D先輩のように極めてほしいです。

 

    

「ブーゲンビリアの娘」

被写体が魅力的であることが一見して目を引きます。カラーとモノクロの対比をもっと有効にできたらおもしろそうです。

 

「snap」

ライブステージの写真でなく観客を主人公にした視点はよいのですが遠慮がみられます。雰囲気は伝わりますが熱狂的な部分もみたいです。

 

 「径」

構図がしっかりして写真として見やすいと思います。ピントを合わせる場所や線路をすべて入れるか途中でトリミングするか悩むとこではないでしょうか。

      

 「それでも春は来る」

毎回絵作りのしっかりした写真を出品していて次回作を見るのが楽しいです。

「ある日のこと、僕と彼女の距離」

タイトルに含まれた何かを感じ取れるかどうかといったところでしょうか。

平尾 敦のN.Y.日記 #4

◎平尾 敦のNY日記 #4(2014.03)

ニューヨークは20年ぶりの大寒波ということで、生粋のニューヨーカーたちも今年の冬は異常だと口々に話しています。我々学生も6月に展示する最終課題に向けて撮影を進めていますが、外で撮るテーマを持つ者にとってはかなり厳しい環境です。
 
厳しい冷え込みは続きますが、3月に入っていいニュースもありました。1月に申請していた奨学金の発表があり、成績優秀者を対象としたWall Street Journal のPhotojournalism Scholarshipを受賞することができました。
早稲田にいた時は奨学金を頂けるような成績とはほど遠かったことを思い、今は好きなことをしているのだなと実感します。
 
 
〖セントラルパークにて〗4X5
 
また、2月から始まった冬学期は、基礎中心だった秋学期とは大きく内容が変わりました。
奨学金や写真売り込みに必要な書類製作を学ぶWriting講座や、動画・音声・写真を一つの作品としてまとめるマルチメディアの講座、ジェームズ・ナクトウェイなど著名な写真家のプリンターとして知られるブライヤン・ヤング氏のモノクロプリント講座、4×5をつかった大判カメラの講座、他にも週末の集中講座にファイナルプロジェクトの撮影など、盛りだくさんの内容です。
 
 
〖イーストハーレムにて〗4X5
 
休みの日も課題に追われる日々の中で、最近ではニューヨークという街と写真家の距離の近さを感じます。例えばイーストハーレムを大判カメラを担いでウロウロしているだけで、「シノゴだろ?フィルムは何?」と話しかけられます。それも1人や2人だけではありません。時にはその場で「私は装丁をやってるんだけど、、、」と名刺交換や商談まで始まります。
 
この街に無名の写真家が何人埋もれているのだろうと考えるだけで恐ろしくなることもありますが、頑張ろうというやる気が自動的に充電される街とも言えるかもしれません。
 
まだ現在取り組んでいるテーマはお話できませんが、6月に向けてより一層頑張りたいと思います。
 
〖Brian Young氏の暗室講座〗
 

現役生の3サークル有志写真展にいってきました 平3卒増田 智

◎【WPS】+【シャレード】+【リコシャ】の写真3サークルの有志による写真展 

WPS現役生のUさんからお誘いいただき、菊池(昭42年卒)白谷(昭44年卒)宇野(昭45年卒)増田(平3年卒)のOB4名で写真展に行ってきました。11名の方が出品していました。

今回の主催者、waseda_photo3は早稲田大学にある3つの写真サークルの中でワークショップなどを通じ様々な写真へのアプローチを目指した有志のグループで、月2回の研究会を行っているようです。

HPを拝見するといろいろな試験的撮影や作品制作方法への挑戦が伺え、また外部の人をよんでの講評会をしていておもしろそうです。

http://waseda-photo3.com/

たまたま訪れた日も公開講評会をやっていましたのでギャラリーとして参加させていただきました。

出展者がまず撮影意図をプレゼンして、その日のゲスト(この日はWPSのOGでフォトグラファーの黒田菜月さんと友人の藤掛さん)が講評し、最後に会場の人から質問してもらう形で進み、この日は5名の出展者が話していました。

全体の印象としては技術的なことや写真の知識というよりは、コンセプトや撮影者の心情が話の中心といったところでした。

そのなかで今回の案内をいただいたUさんの作品「ダイニング」は、一見何の変哲もないようないろいろな家族のダイニングルームを撮影していて、都筑響一さんの「TOKYO STYLE」をつい思い出しましたが、違うテイストの先にあるUさんのある程度の客観性を感じることのできる写真であり、次回作が楽しみになりました。

我々が伺った日の翌日に行われたUさんの講評会のことをご本人にお聞きしましたら「私の講評ですが、テーマに対してはどの方にもお褒めの言葉をいただきました。『コンセプトがしっかりしているし、見る人が自由に読み取れる』とのことでした。ただ、やはり構図や距離感が中途半端だとの感想をいただきました。自分でも納得することが多く、もっと突き詰めて作品を作っていきたいと思っております。」とのことでした。

 

 

 早大写真部のUさんの作品 「ダイニング」

 

会場での講評会風景

平尾 敦のN.Y.日記 ♯3

◎平尾 敦のN.Y.日記 #3(2014.01)
 
投稿が始まってから早くも3ヶ月も経ってしまいました。当初の目的であっった学校生活に関して今日は書かせていただきます。
 
その前に、そもそもInternational Center of Photography(国際写真センター、通称ICP)はどのような施設なのか簡単に説明させていただきます。
 
 
【ICP】
 
1974年、コーネル・キャパにより設立。
1950年代、コーネル・キャパの周りで写真家の死(ロバート・キャパ…1954年、ワーナー・ビショップ…1954年、デビッド・シーモア…1956年)が相次いだことから、彼らの写真作品の保存を目的に1966年、the International Found for Concerned Photographyを設立、これがICPの前身となりました。
 
現在では継続的に重要な展示を行うと同時に、3000人を超える写真家の作品を所蔵しています。また教育施設も併設し、週末限りのワークショップから1年間の認証プログラム、修士課程まで用意されています。
 
私が参加しているのはこのうち1年間の認証プログラム(One-Year Certification Program)です。このプログラムにも私の参加するドキュメンタリー・報道写真専攻(Documentary and Photojournalism)と一般写真専攻(General Study of Photography)があります。
 
学生はそれぞれ約40名ずつ、計80名ほどで、11カ国から集まってきています。アメリカ人は全体の約半数で、留学生は南米出身とイタリア人が多い印象です。アジア系は全員で10名ほどです。そのうち一番多いのは台湾人で、幸か不幸か日本人は私1人しかいません。
 
学生の背景も様々で、写真家としてのステップアップを目的とする者、高校・大学を卒業してそのまま入学した者、他の職業(弁護士や銀行員)を辞めて写真の世界に飛び込んだ者、年齢も18歳から50代まで様々な学生がいます。

【New York and me】

プログラムのスケジュールとしては、9月から12月まで写真の基礎講座をみっちりとこなし、年明けから半年かけて卒業制作に取り組むというのがおおまかな流れです。
 
我々フォトドキュメンタリー写真専攻の学生たちは現在、写真史、クリップオンストロボを使ったライティング講座、デジタル写真講座などを受講しています。
 
加えて、課題にそった写真を撮影し、全員でセレクトや議論を行う講義もあります。課題は1週間に「地下鉄の中で400枚撮影してくること」「移民3人を100枚ずつ撮影」など、なかなかやり応えのある内容です。
それも複数の課題が同時に出ることも日常茶飯事です。結果、生活リズムは「寝る」か「授業」か「撮影」かということになります。
 
講師陣のほとんどは50代から60代が中心ですが、ほぼ全員が現役の写真家です。
驚くのは、彼ら自身が常に新しいことに挑戦しているということです。写真のみならずマルチメディア作品も制作し、インターネットを使った最も効果的な作品発表の方法を模索し続けています。
 
「何で撮ろうが、結局はデジタルをうまく使わないと絶対に生き残れない」という強いメッセージを日々感じます。
 
 
【New York and me】
 
こうしてこの数ヶ月を思い返すと、推薦状を書いていただいた鈴木龍一郎さんの言葉を思い出します。
「今いくつ? 25歳? いちばんいいね。あんまり若いとなんだか分からないまま終わってしまうから。」
 
日々得られる情報が多い分、時間が過ぎていくのも早く感じられ、周りの話を聞いているだけでは1年なんてすぐに終ってしまうのだろうと思います。必要な情報を意識して聞くことが出来るのは、自分なりに試行錯誤した時間があったからなのだと実感します。
 
1年後に撮った作品がどのようなものになっているか、自分でも楽しみです。
 
 
★二枚目と三枚目の写真は「世界報道写真コンテスト大賞受賞写真家Frank Fournier氏の
ワークショップ課題、"New York and me"より」
 
その他の写真は以下のURLでご覧いただけます。

現役早慶展を見て(12/12?17ヒルトン東京)昭和34年卒・古怒田 潔

◎現役早慶展を見て(12/12?17ヒルトン東京)    
 
昭和34年卒・古怒田 潔
 
 今年の早慶展の出展者は、W11人、K16人と少々寂しい感じがしました。秋の早稲田祭のあと撮影期間があまりなかったと幹事長のK君が説明をしておりました。せっかくの機会ですから、部員数70名に見合うたくさんの展示が見たかったですね。
 
 全体に仕上げがきれいで、いわゆるデジタル加工でシャープの効きすぎたものやコントラストの強すぎるものがなく、気持ちの良い空間となっていました。額装は一人一人が作品の内容に合わせて工夫し、変化にとんだ展示となっていました。
 
 内容も自分のテーマが決まって、専門分野に深入りする人がいるかと思うとレタッチの方法にこだわってアートの世界で作品作りをする人など興味深い傾向がうかがえました。ジャンルの一つである組み写真の作品が何点かあり、ドキュメント風なもの、ストーリー的な、また心象風景としてなど写真を通じての表現が多様化しつつあるように感じました。
 
 Kの作品は対象を素直に表現した作品が多く、今秋のOB展の傾向がここにも見られました。Wの作品はそれなりの経験から、一ひねりした作品があり、やや難解といった感じでした。 画題からの作者の意図を写真からは推測できないものもあり、意あまって言葉足らず、わかりやすい写真を目指してもらいたいと思いました。 
 
 
★「TAC DEPARTURE」
基地を飛びたつ自衛隊の飛行機、乗務員の顔が見えるほどのシャープさで一瞬をとらえています。これはいわゆるミリタリー写真の専門家のジャンルで余人の立ち入るところがありません。近代兵器は現代科学の最先端技術でつくられ、想像もつかない図鑑的な美しさです。でもなりふり構わず、相手を打ち負かそうとすると、あのオスプレイのように格好の悪いデザインを見せてしまうのかもしれません。
 
★「雨上がりの瞳」
人の命を削ろうとする飛行機と打って変わって可愛い猫の写真です。
モノクロで無光沢、コントラストのほとんどない、いわば眠い写真、サイズもひときわ小さい。展覧会の片隅にひっそりと飾られている写真だが、なぜか気になります。
 雨上がりといっても路面に雨の降ったあとはなく、晴れ間の見える気配もありません。
でもこの小さな画面から、感じるのは小さな生命、生まれたばかりの奇跡のような生命を子猫の瞳の中に作者は見たのかもしれません。傍らの無機質な乗用車の排気口は、将来の過酷な環境を感じさせます。現代を生きる生命のあやふさを感じる写真です。
 
★「港」
3枚組の一枚ですが中心となる写真です。つかの間の着陸時間の間に大急ぎで貨物の積み込みをしている旅客機の写真ですが、大胆なカットで飛行機のボリューム感があり、作業員が3名それぞれの積み込み口に立っているという一瞬のチャンスをとらえました。単写真で十分ですが、到着、離陸という他の2枚の写真を添えてドラマテイックに空港を表現しています。
 
★「Invisible」
白い壁で有名なスペインのゴルドバの風景です。壁の落書きは“しゃりこうべ(どくろ)”に紙幣を撒いているカリカチュアですが、作者の興味をよびました。私は日本のことわざの「石に衣は着せられず」のスペイン版のようにうけとりました。インビジブルは絵の人物の顔が塗りつぶされているところから題名としたようですが、やや難解で、それらしき現実の人物を比喩的に点在させるとか、作者の表現を見たいところです。
 
★「たかく、高く」
  
2枚の組写真です。早朝のバルーン打ち上げで、体験試乗の機中からの一枚がメインです。
コスモスの花も下からのアングルで、青空を目指して茎をのばし、バルーンもバーナーバルブをいっぱい回して上昇しようとしています。ゴンドラの中からの間近な着火、上昇の写真はあまり見たことがなく、天空への希望がわくような力強さを感じます。組み写真としてはやや唐突な組み合わせですが、コスモスの花びらとバルーンの傘を作者の感性で結び付けるなど斬新です。
 
★「secret meanies
CDのジャケットカバーの写真でしょうか?有名なミュージシャンはただいるだけで肖像写真になるといいますが、この人たちは有名なのでしょうか?でもネットでも出てこないところを見ると、まだ売り出し中のバンドなのでしょう。 この人たちがブレークしてビッグバンドとなった何年か後、この写真は大変な値打ちものとなるかもしれません。
 そういえば、グループの人たちの表情から、青春そのものの挫折や苦悩、不屈の精神、将来への秘めた希望といったものを感じるのは私だけではないと思います。  
  
 
 

「早稲田祭展」現役+OB合評会ドキュメント Vol.1

早稲田祭展合評会報告 vol.1
 
11月10日(日)に現役学生14名とOB5名が学生会館に集いました。
4時間半に及んだ合評会の第1回目の報告です。
 
◉参加者
 
・ 昭和41年卒・鈴木龍一郎さん(写真家)
・ 昭和42年卒・菊池武範さん(写真家)
・昭和59年卒・H.Okadaさん(写真家)
・ 現役学生(1年生?5年生)14名
 
(幹事会メンバーの平成3年卒・増田 智、昭和45年卒・白谷達也が記録係りを勤めました)
 
【初めに一言】

 鈴木:3日に早稲田祭を見せてもらいました。私の場合、人の写真を見るとはどういうことかと言うと、ダイアンアーバスとか土門拳とか、最近ちょっと関心持ってる志賀理江子とか、誰の写真でもいいんだけど、その人の写真を見て私がどういう刺激を受けるかどうかというのが評価の基準になっているんですね。

今回の早稲田祭展を期待していましたが、残念ながら期待を裏切られました。「行儀が良過ぎる」という言い方が適当かどうか分からないけど、そんな感じを持ったからです。
 
というのは、亡くなった小説家の吉行淳之介さんが、「小説とは何かと言うと、最大公約数から外れた者がやるものだ」と言ってるんだけれど、写真も同じで、要するに常識とか、世の中の一般的なものを受け入れられない、或いは受け入れたくない人間がやるもんだ、ということなんですね。で、それが、私としては真面目に見たつもりだけれど全く感じられなかった。
 
あと、もう一つ、写真の「時代性」、つまり原発であるとか、ソマリアで内戦であるとか、何十万死んでるとか、あるいは今あなた方学生さんの就活の問題とか、あるいは恋人と上手くいくとかいかないとか、そういう大状況とか小状況とかあるわけだけど、今の時代性ってものが、こないだの早稲田祭の写真展見て何にも感じられなかった。それがちょっと残念です。
 
菊池:辛口のご挨拶でしたが、次はぐっと甘口になります。鈴木さんの一年後輩、昭和42年卒業です。
実はね、今年はケネディ大統領暗殺の50周年になるでしょ。1963年。考えてみたら僕はその年に早稲田に入ったのね。一年生でも生意気に「将来やっぱり写真にかかわる仕事をしたい」と、その当時既に恥ずかしながら思っていました。
皆さんの写真を早稲田祭の展示で拝見しましたけど、それに加えて今日は本人の肉声を聴きたいと思ってやってきました。
 
H.O:84年卒業で、かれこれ30年前の卒業です。
その当時と温度差というか、時代背景の違いがあるかと思いますが、早稲田祭展を見て「うちらの頃と変わってねえなあ」と思いました。皆んなアマチュアだからね基本的には。ただアマチュアだけども写真やる以上は、そこで何かを自分で獲得してくるという、そういうことが出てきた方がこれから人生何やるにしろ足しになると思う。まあ、機会あるごとにね今日はそういうことをお話します。
 
 
【早稲田祭展で一番人気のW・Hさんの作品を見る】
(4作品が机上に並べられた。1作品は展示用プリント1枚+book)
 
W.H:作品は四つです。
 
1,「月光」
 槍ケ岳の頂上で夜中1時に撮影したものです。何故これ撮ったかと言いますと、一つは山が好きだっていうのが主な理由で、わざわざ満月の日を選んで山に行って撮影しました。登山者のロマンっていうか、辛いけど、まあこんなの有るよって表現できたら良いなと思って撮りました。
 
2,「If there were no lights」
 東京とか大都市は「光害」が激しくて星などは見えません。それによって他の生態的な影響も出てきているので、「光害」を止めようと思ってこれを作りました。ここお台場なんですが、お台場で星なんて見える筈がありません。もし「光害」が無かったらこう見えますよというのがこの作品です。
 
3,「Never」
 チェスのビショップは斜めに進むのでこの二つは絶対会いません。この作品はbookの「The Passing」—All things come,all things gone—と関連した意味で出しました。
「すべてがやって来て、すべてが去って行った」という意味です。左側はモデルの写真、右側はそれに関連した写真という構成になっていまして、この先4パートに別れています。
 
最初は青い系統の6枚です。これは『始まり』ということを表しています。
 
次に緑色の系統6枚並んでいます。これは『維持』というテーマです。しかし、維持と言っても写っているものは全部すぐに消えてしまうもの。すぐ終わるし、蝶々もすぐ死んでしまうし、蓮なんて一日ももちません。
 
3番目のテーマはオレンジ色の系統で『破壊』を意味します。そして無くなって行きます。ここへ来ましてこの作品と関連します。追いつめられた感情を表現していて、結局『不可能』ということを意味したのがこの作品です。
 
最後に『再生』というテーマでまた最初と同様に青色のテーマで、ここが来てまた朝が来ましたで終わりです。
 
メインの思想は英語でここに書いて有ります。後ろに中国語版と日本語版をつけました。
 

[月光]
 
H.O:これらテーマバラバラでしょ。編集みたいなことっていうかねえ、展示して人に見せると言うこと、プレゼンしてね、どう見えているかということを考えた方が良いんじゃない。
 
単純に欲かきすぎてるのよ。見る方は何だか良くわからない。下の3枚はまあ繋がりあると思うけどあの1枚とこのパートが3つに別れていて、それを同じボードに並べること自体が見る人間に混乱を与える。編集が下手だなと思う。
 
テーマを絞るのが難しいんだよね今。昔みたいに一つのテーマに絞って撮って行く、セレクトしたほうが見る人はスッキリすると思うし、自分の伝えたいことも伝わる。捨てるってこと、選んでそれをブラッシュアップして並べるのが基本。
 
世の中に出てもプレゼン能力が問われる。写真を通じて編集のやり方なんかね感覚的に覚えていくと何か役立つかもしれない。やっぱこう客観的に見るということね、引いて。
 
並べてみて他人の目線になってみるとどう見えるか、一回検証してみて並べることをやった方が良い。お互いに突っつきあってその辺のことを話ができるとおもしろいと思うんだけど。まあね、つかみ合いの喧嘩とか始まるからね。写真的には頑張って撮ってると思う。良い悪いと言うよりは頑張ってるなという感じはある。
 
鈴木:好きなのはこれ(「If there were no lights」)です。印象に残っている。
こっち(「Never」)はチェスのカタログに使えるという感じは持つけど、単にそれだけ。bookとの関連など撮影者の思い入れとは別に、写真見てどう見るかと言うことは、見る人間によって違うわけですよ。どういうことを思うか、そこが面白いわけで。要するにイメージの広がり。
 
その人間にとって、例えば、何でも良いんだけど、「If there were」の写真見て亡くなった母親のことを思い出すかもしれないし、そういう広がり方が面白いんで、撮影者が撮った意図と、見る方が勝手に見る、そこに面白さがあるんだから。あと、タイトルがねえ、W.Hさんに限らずみんなメチャクチャ。何でこのタイトルなんだ。
 
本(「The Passing」)の方では右側の方は面白いけど、モデルを使った方はピンと来ない。
 
 [The Passing](book部分)
 
 
[Never]
H.O:何でモデルを使ったの?
 
W.H:一応モデルの方が話の主点として流れがついていて、その意味を増すために右側の写真がセットされています。
 
H.O:それはでも写真的に出てないな、残念ながら。
モデルの撮り方が正直言って下手です。モデルと徹底的にコミュニケーションしてモデルから何かを引き出しかということをやっぱりやってかないと、自分の頭で妄想してこういうふうにやってても、それは定着できていないんで、それはもう人間性の問題だからね。モデルとやりとりするのは。もっと遊ばないとダメだね。
 
鈴木:モデルは恋人かガールフレンドか、それとも単に友達?
 
W.H:そこ突っ込まないでください!!
 
H.O:そこだよね。
 
鈴木:かなり大きいポイントなんだよね。
 
H.O:そこが問題だよね。そこまでクリアしないと、ああいう写真出してもやっぱりダメよ。相当自分で自信持ってないと。すらっとその辺の女の子に声かけてじゃなく、それぐらいのヤバイ写真・・・。
すぐ判っちゃいますからオジサンたちには。まあまあそういう話はね深い話になっちゃいますから。
 
菊池:W.Hさんの写真は今までに何回か見てるけど、相当テクニックを持ってるよね。
これ(「If there were no light」)がこの中では一番良いかな。他の写真は説明的なんだよ。貴方ぐらいのテクニック持ってんだったら他の写真はもう撮らなくていいよ。
誰にも作れなかった写真、これまで見たことも無かった写真を作れる可能性があるから。もうこういうのはいいから、判ったから。テクニックひけらかすようなものはもう要らないから。上手いのは判ってるよ。
それはね、陥りやすい陥穽ですよ。
 
H.O:やっぱねえ、そこまで行って、その魚を捕ってきてそれが美味いとか、そこまで行かないと手に入らないもの撮ってくるってのが写真の醍醐味なんで、その辺で取れるものをどんな高度な技術を使って撮ってみても、その辺で取れるものしか写ってない。
 

鈴木:他のは大体見たことの有るような写真であるわけだよ。違うのはこの1点(「If there were no light」)。これ1点だけをバカーンとでっかくする、なんて考え方もある。

[If there were no light] 

H.O:これが良いと思うのは妄想がはたらいているから。妄想がそのままスッと置き換わっている。ちゃんとリアルなものを撮ろうとすると皆んな四苦八苦するんですよ。
 
今デジタルの時代で脳にあるものが映像に置き換えやすくなってるんで、そういう意味でいうとリアルフォトグラフィーではないんですけれども。妄想力をもっと高めるという。脳の中のイマジネーションをもっと高めて、もっと変な夢に出てきたものをそのまま置き換えるようなこともできるわけでしょう。夢を書きとめるとかね。
 
W.H:今回一番時間がかかったのがこの作品(book)です。お台場の写真は10時間の編集、13枚の写真を合成しました。残りは合わせて2時間とかですね。
 
H.O:でもね、労力は画面に出ないし、それを訴えても意味がないことなんだね。
写真が全てで、出てきた写真でコミュニケートするのが全てなんで、もっと自分に厳しくあったほうが良いと思いますよ。ほんとにガチでやりたいと思うなら、写真と。何時間掛かったとか、俺はどこまで行ったとかいうことは自分の中で抑えといて、「この写真を見てくれ」っていう話にしといた方が。
でもまあ、一生懸命やってることは良くわかるね。
 
菊池:僕は期待してんだよ、貴方に。
 
H.O:まあ、若いんだしね。好きなように取りあえずやってみて。
 
菊池:器用すぎてあれもこれもになっちゃうところがある。
 
H.O:後ろに仕舞っといて良いものもあるんですよ。
おれも学生時代、見せられないようなね、一生見せられないようなものを撮ってるわけだね。見せる見せないを自分の中で選択する。その能力を色んな表現をやっていくために、写真で訓練するってことでも良いんだよ。
 
★★
  【S・Aさんの作品を見る】 
 
S.A:真面目にやったやつ(「パッセンジャー・ナルシス」)と旅行写真をまとめただけのやつ(「異郷愁」)とあります。(追加で「microkosmos」も見た。)
 
鈴木:やっぱりタイトルがおかしいね、これね。
 
H.O:確かにこの題名はバンド名みたいだね。「パッセンジャー・ナルシス」とはね。
お笑いコンビじゃないけれど、どっちかと言うとバンドだね。
 
S.A:何て言うんでしょう、被災地にボランティアで行ったわけでもなくって、僕東北にずっと興味がなかったんですけど、3・11があって、まあ皆んなボランティアに行ったりとか募金したりとかいろいろあったんですけど、見に行くときに、やっぱりずっとそこで生活するわけでもなくて行って帰ってくるだけで、そういうやっぱ無責任なところがあるなってのを、どうにか写真で出したいなと思って撮ったので、こお?まあ行って帰ってくるだけの人の意識の流れみたいなつもりで作ったのがこの作品ですね。
 
[パッセンジャー・ナルシス](部分)
 
鈴木:いや?、3月11日のあれは、その後現地へ行った写真の人間に限らず、作家でも誰でも皆んな、すさまじくドスンと来たわけ、僕自身も来たし、まだ来ているし。で、皆んな黙ってるけど義援金とか送ったりして、でも自己満足じゃないかとか、それは皆んな感じてたわけね。それで、それがナルシズムになるのかな。しかし、このタイトルはいくら何でも違うだろう。
 
H.O:多分ね、すごいナルシストなんでしょうね。
 
S.A:否定しません。もう、おっしゃるとおりです。モノクロだと自制的と言いますか、こう、自分がどういうことを考えながら進んで行くのかなということを物語形式で出すのを心がけていたんですけれど、ちょっと方向性を見失ってしまって。
 
カラーで撮ってみてこっちもナルシスト系、タイトルが「microcosmos」で、昔のヨーロッパとかで、なんかこ?宇宙がマクロコスモスで、そん中に人間と言うミクロコスモスが居ますよ、という考え方があるというのを授業で聞いた後に、何て言うんでしょう、何だろう、真ん中の歯磨き粉の写真最初に撮って、なんか宇宙っぽいな?って。 この写真撮ったところから他の写真をいろいろ付け加えていってこういう形になりまして。
 
こちらは「異郷愁」というタイトルで、イタリアに行った時の写真をまとめていまして、最初はもうちょっと、何というんでしょうイタリアが難民、移民とかがこういうふうに道端で、アフリカ系の移民だと偽ブランドのルイ・ビトンのバッグとかを売っていて、アラブ系の黒人だとオモチャを売ってたりして、そういうのが目に付いたんですけど、そっちをメインにしたかったんですけど、(早稲田祭の)お客さんが受験生とか他大(学)の人っていうんで、日和って割と楽しい写真が増えてしまったので、方向性を見誤ったかな?と反省点として残っています。
 
鈴木:「写真の早慶戦」で見せてもらったんだけど、これ(「パッセンジャー・ナルシス」)とこれ(「異郷愁」)が同じ人が撮ったとは思わなかったんだけど、あれ(「写真の早慶戦」出品作)は良い写真だったし、タイトルは別だけど、このシリーズ(「パッセンジャー・ナルシス」)をもっと発展させていったらどうかな。
 
これ(「異郷愁」)については、ぼくもたまたま去年スイスとイタリアに行ったけど、「パッセンジャー・ナルシス」の作者が「異郷愁」を撮ったという、これ(「異郷愁」)はね中高年のリタイアオジサンが、金持ちオジサンが撮ったような。イタリア歩いてきましたっていう写真以外の何ものでもないんだよね。踏み込んでもないし、彫像なら彫像とかイタリアいろいろあるでしょ、人間撮るならもっと寄るとかね、なんか全然中途半端なんだよね。ちょっとこれは?って感じがしたよ、これは。
 
[異郷愁]
 
H.O:アウェイ感がすごい出てるね。ボコボコにやられて手も足も出ないっていう。結局ねえ滞在しないとダメだね。そこに居て現地の人間とコミュニケーションできるっていうスタンスじゃないと。
 
菊池:人様にお見せするには、もうちょっとプリントちゃんとやんなきゃ。DP屋さんでやったの。S.Aくんの写真を話題にするなら、やっぱりこっち(「パッセンジャー・・・」)の方だよね。われわれとしてもこっち(「パッセンジャー・・・」)の方で話をしたいよね。
 
H.O:これ(「パッセンジャー・・・」)、デジタル?ハイブリットでやってるわけ。
 
これって写真の典型なんですよね、ある意味で。モノクロ写真の王道っていうんですかね。典型的なものを、あるレベル撮ってるなあってところがあるんだけど、まあ、悪くない。悪くはないけど、う?ん、通過者、パッセンジャー感というんですか、そういうのは出てるんで。もっと定住感っていうか、視点の重みみたいなもの、同じものを撮っても、単純に言うと、これ35mmで撮ってるのかデジタルで撮ってるのか判んないけど、例えば4×5で撮るとかね、そうやるだけで写真って質が変わってくるんで。
 
まあ、一つのネタっていうかさ、ネタの見つけ方は良いけど、最終的に落とす時のやっぱりその気合というかね、技術的なもんも含めてだけど、そうね、もうちょっと寄り引きと、もうちょっとヤバイものを撮ってくる。もっと辛い思いをしてくると、敷地に入って警備員に追いかけられるとか、というようなプロセスがあって、そういう痕跡が出てくると面白くなるかもしれない。
 
鈴木:撮ってるとき、歩いててかなり精神的に葛藤はあった?
 
S.A:木とかはあれなんですけれども、家とか遺品の系統みたいなものが浜辺に結構転がってたんですけど、壊れたオモチャですとか時計とか。そういうのを一応接写したんですけど、なんかこお?責任取りきれないかな?という感じがしちゃって。
 
鈴木:歩いてる時、下に不明の人が未だ埋まってる可能性があるわけだよね。
 
H.O:でもね、行ったら躊躇しない方が良いですよ。どういう現場でもね。カメラ持って踏み込んだら、納得いくまで撮るっていう、そういうモチベーションが無いと。
 
それはそうなんですけどね、死体踏んでるかもしれないっていう。でもそれを覚悟で来たっていうところがあるわけだから、そこまで踏み込んだ方が後で後悔しない。
 
[micro cosmos]
 
鈴木:(「micro cosmos」)まあ、僕はね写真評論家じゃないから、基本的に自分にとってどうかということしか考えないわけ。
 
僕は撮る人間でしょ。右向いてる犬のシッポが左の方が良かったとか、そういう話はしたくないわけで、僕はこの3点で良いなあと思うわけよ(左、上、右写真を選ぶ)。こっちの2点(中、下)はよく判らん。良く判らんというのは何が写ってるか判らんってことじゃなくて、この3点では繋がるけれども、残りの2点は写真的に異質だから。この3点のノリでもっといくと面白いモノができるかなって気がしたわけね。
 
S.A:グチャッて混ざってしまったところはありますね。いつも詰め込みすぎちゃう。そうですね?なんかこうやってみるとスッキリしますね。ちょっと悔しいですけど。
 
鈴木:要するにね1点の写真が、例えば2点、3点の写真になると意味が出てくるわけよ。意味というのは、作者の意図というか、作品に方向性が出てくるわけ。こうやっただけで(写真を並び替える)、もう違う感じになってくるわけだね。そこら辺で編集が大事で、或いは削って行くとか。
 
要するに順番だけでも、本や写真集なんかでもトップどうするとか、ものすごく編集者と写真家との間で、会議開いて1週間くらいぶっ続けでやったりするわけですよ。在る写真は決まってるわけね。でもそれをどういう風に編集していくかが難しいし、意味が違ってくるからね。
 
H.O:みんなでお互いに編集し合うってのも良いかもね。
 
鈴木:並べ方で見られ方も違ってくるから、そこが写真の面白さでもあり辛さでもあるんだけど、全く勝手に受け取られるわけで、自分でどういう本を作りたいのかという、どういうことを人に伝えたいのか。
私はあんまり人に伝えようと思って写真撮ってないんだけども、一応基本はそうなってるんで。
 
★★★
  【K・Yさんの作品を見る】 
 
K.Y: こちらは「天の国」と言いまして、こっちがスカイツリーから、こっちが東京タワーからなんですけど、前々からちょっと露出を上げてとか、なんか全体的に白っぽくして不思議な雰囲気をした写真を撮りたいなあと思ってまして、それを今回やってみようとしたのがこの写真です。現実的な世界じゃなく非現実的な世界を表せたかな?と思ってます。
 
そして、こちらの作品が「物思い、それとも羨望」で、ちょっとややこしい題名なんですけど、この蛙が物思いにふけっているのか、何かを物欲しそうにしている羨望している、どちらともとれるな?と思って、こういう題名にしました。写真自体は写真であえて絵本のような、そういう世界観を表したいような、あえて全体的にぼんやりした、ピントも合っていないような写真にしました。これが一応こん中で一番自信のある作品です。
 
で、こっちが「舞踏」っていう、踊る方ですね。こっちは早稲田祭で場所が空いてるからっていうので・・・。自分自身が蝶を上手に撮ったことがなかったので、それを表に出してみてどういう評価を得られるのかな?と思って。自分の目じゃなくて他の人の目から知りたいな?と思って出しました。
 
このbookなんですけど、題名が「日々を行く」っていう題名で、前々から日常を切り取ったような、ありきたりと言えばまあありきたりなんですけれども、日常を切り取ったようなbookを出したいと思っていまして、今回やっと念願が叶ってという形で出さしていただきました。
 
[日々を行く](book部分)
 
H.O:bookとセパレートで出すってのは何かあんのかね?なんでbookに入ってる写真を壁モノにしなかったの?
 
K.Y:壁モノにするっていうのはちょっと。壁にするほどでもないな?ってなっちゃって、bookでやってみよ?ってなりました。
 
菊池:我々の学生の頃は、H.Oさんもそうかな?
こういうbookっていう形式では例会とかそういうとこには一切出したこと無かった?
 
H.O:僕も、部室には置いてたけど、自分で作って。それを誰か見て誰かが何か言うってのはありましたけど、それを展覧会に出すとかはなかったですね。
 
鈴木:それはアルバムじゃなくて?
 
H.O:アルバムっぽいやつですよ。ある意味テーマの無い、要するに最近撮ったものを無造作に置いといて。誰か見て・・・。
 
菊池:本質的なことではないけど、このbookは写真がビニール袋の中に入ってなくて良いね。ビニールみたいなところに入っていると折角精魂込めて色を出しても判んないのよ。いちいち袋から出して見ないとね。ビニール袋に入れて見せるbookの作り方っていうのは私は非常に疑問に思ってる。
 
H.O:もっと言うと、プレゼンテーションと言うことを考えると、張り替えできるアルバムはどうかと。
 
要はね、写真集一冊編むとすればもっと工夫があって然るべきなんですよ。見せ方、パッケージングだよね。その辺の町場のアルバム買ってきて、なんか楽しんでやってないなってのが判るのよ。レイアウト失敗して剥がしてやり直すとか。やっぱあの、作るのを楽しんでるとそれがやっぱ写真に出てくるし。
 
全体の見え方みたいなものに拘らないとダメですよ。額とか含めてですよ、トータルに。写真と言うブツをどう作ってどう見せるかってところの、そういうこともお金が掛かるからね、まあ大変でしょうけれども。
 
壁向きなのはこの2点ですよね。東京タワーとスカイツリーってとこは置いといて、こういうトーンが好きだっていうようなことは判ったので、だったらこのトーンでもっと行けば良いんじゃない。
 
この自信作のこれ(蛙)はね、どうなんですかね、こういうファンタジーって言うか童話チックな世界をやりたかったら、クレーで蛙を作って色んなところに行って撮りまくるとか、少し変態的な方向に行かないと、これ1点だけ見せられても困るんだよね、としか言いようがない。全体の企画性が勝負。
 
[物思い、それとも羨望]
菊池:蝶々は未だ誰も見たことのないアングルだってあるかもしれないよ。蝶々はとまっているところに必ず戻ってくるじゃない。もっと寄って待っているんだね。
 
「雑草って言う草は無い」って昭和天皇が言ったけれど、アゲハチョウっていってもいろいろあるでしょう。蝶々自体の生態のことをもうちょっと勉強した方が良いかもね。この系統が好きなの?
 

[舞踏]
 
K.Y:こういうのをやってみたいなっていう。bookとかで沢山やってみたい。
 
鈴木:もうそろそろ自分の関心のあることに絞ったらどう。僕はこの分野はほとんど弱いから、何も言うこと無いかなと思ったんだけど、会場で見てね、これはもういいやって感じで、そっちの2点(「天の国」)はもっと考えようもあるなっていう感じだったのね。
 
で、さっきシュールって言ったけど、これをシュールとまで言ったら、シュールリアリズムに申し訳ないけど、こういうハイキーであるとかの考え方で撮って行くってことはあるし、ただ貴方はこういう世界に関心あるんだったら、どうしてこういう世界に突っ走って行かないの。そうすれば絵本の写真家になるかも判んないし。
 
ソマリアで内乱の写真撮ってる写真家もいるし、一方で絵本で蛙撮ったって良いわけ。だったら自分の関心の全てを、俺はこれをやるんだっていう、蛙に拘んないけどさ?俺はこれをやりたいんだという、そろそろ自分で決めてやったらどうかなって感じがするね。
 
[天の国]
 
K.Y:自分でも正直、毎回の写真展で作風が変わってるっていわれて、模索中で?どうしたら良いのかな?って感じなんで。
 
 
鈴木:決めるって感じではなくて、時間が無限にあるようでいて・・・。
のめり込むっていうか、覚悟っていうか、そういう姿勢が有っても良いと思うんだよね、蛙しか目に入らないという、そういう感じにいったらまた新しい世界で、蛙から違う世界に行ったって良いわけなんだからね。1回なんかこお、ガッと頭突っ込んでやるって必要なんじゃないかな。
 

早稲田祭に行ってきました。  平成3年卒・増田 智

   

◎早稲田祭に行って来ました。

平成3年卒・増田 智

 ここ数年早稲田祭展を見続けていますが、年々展示状況が洗練されてギャラリーのように落ち着いて鑑賞できるようになってきました。

 それに加え、今年は会場の場所が変わり新しく広い場所になり、なおかつ静かであるのもよいと思います。

 ただ少しわかりづらい場所であるのがちょっと残念でした。 

 それでも後日現役生に聞いたら、2日でなんと600名くらいの人が来るそうです。さすが早稲田祭といったところでしょうか。 

 今回は新しい試みとして展示作品とポストカードの販売をおこなっていました。


ポストカードの写真は展示したものにかぎらず動物や風景もあり、一番売れた人は一人で60枚も売り上げたそうで猫の写真が人気だったそうです。

展示作品のほうは2点(別々の人)売れてそれぞれ5,000円で譲ったようです。 

毎回展示方法は壁面に写真を貼るのと写真をファイリングしたブックを会場の机に並べているのですが、壁面の写真とブックが補完しあう形のものもあり撮影意図がよりくみ取れてよかったです。

 

今回の印象は上級生ももちろん上達した様子は感じますが、一年生がけっこう発想がおもしろかったり視点が独創的な作品を出していたので、技術面を磨いてより作品の完成度をあげたものをみたいと思います。 

最後に早稲田祭は他に2つ写真展示をしている団体がありますのでそちらも見に行きましたが、展示状況や作品を人に見せる姿勢など間違いなく早稲田大学写真部の水準がぬきんでていました。

★追って、現役+OBでの合同講評会の模様を掲載します。

第11回「写真の早慶戦」終わる。  昭和46年卒・福田和久

 

◎第11回「写真の早慶戦」終わる

昭和46年卒・福田和久

 第11回「写真の早慶戦」を10月24日より30日まで新宿区にあるアイデムフォトギャラリー「シリウス」で開催しました。
早稲田及び慶應の写真部OB/OGと現役学生合わせて124名が参加。稲門写真クラブからは60名60作品が出展されました。
 
 11回続いている写真展ですが、今回は従来とは異なる2つの試みがなされました。
 その1つは早慶が「時代」という共通テーマを設け、作品展示を行ったことです。テーマに沿った両校各10点の作品を冒頭に展示しました。
 
 稲門写真クラブは「3・11の記憶」と題し、東北大震災の現場に赴いた10名の会員が撮った写真をもって「時代」としました。
 その後に早慶各50点余りの一般作品を従来通り展示しました。
 
 
 
 2つ目の試みは、来場者に人気投票をやってもらったことです。「写真の早慶戦」と冠しているので、どちらの勝利か投票用紙に記入していただき、その票数をもって勝敗を決しようという遊び心から出たアイデアです。結果は以下のとうりです。
 
【投票総数525票。早稲田の勝ち⇒約159票。慶應の勝ち⇒約208票。残りが引き分け】
(詳報が集合写真の後にあります。是非ご覧ください)
 
 残念ながら負けてしまいました。動員力の差なのか、写真の差なのか、な?んて負け惜しみは・・・。
 
 
 
 台風の到来が心配される中、10月26日(土)に出品者をはじめとし早慶OB・OG約80名が集い恒例のパーティを開催し交流を深めました。
 開会挨拶を今回裏方当番の「稲門写真クラブ」を代表しS45卒・白谷達也代表幹事が行った後、早稲田を代表して乾杯の挨拶を出品者最長老のお一人のS30卒・島崎恒樹さんと慶應の安田菊太郎さんが行いました。
 
 
 その後パーティの半ばで、S42卒・菊池武範さんと慶應の杉田重男さんより人気投票の中間発表をし、現役代表幹事の深見弘太さんの挨拶と続きました。
「三田写真会」の金井三喜雄会長の〆のご挨拶の後、恒例のS38卒・庄村勝男さんのハーモニカ演奏と慶應の乾善明さんのエールで両校の校歌・応援歌をうたって散会しました。

⇩「都の西北」と「若き血」 ☆歌:(慶)乾さん ☆ハモニカ:(早)庄村さん⇩

 


 
 展覧会期間中の入場者数は約650名。会場のシリウスの方も驚く観客数でした。人気投票と併せて行ったアンケートでは、冒頭のテーマ部門の感想は概ね「良い」と「まあまあ良い」と好評でした。
 
 当クラブのテーマ部門については、その感想から私達のメッセージが多くの来場者に伝わっていたことが実感されました。
又、「毎回楽しみにしています」や「次回も来たい」とのエールも多く、励まされる結果となっています。 
 
 
 三田写真会と協力し、今後更に会員と来場者が共に楽しめる展覧会を目指して継続していこう、という思いを新たにしました。
 
 来場者及びご協力頂きました関係者の皆様、ありがとうございました。会員の皆様、お疲れ様でした。
                                           

 

 

平尾 敦のN.Y.日記 ♯2

◎平尾敦のN.Y.日記 #2(2013.10)

 
第1回から2ヶ月近くが経ってしまいました。書くネタが増えれば増えるほど、書く時間は減っていく日々からなんとか抜け出して投稿させていただきます。
 
前回、ロサンゼルスのバスターミナル周辺に関して書かせていただきましたが、今回は大陸横断バス車内の様子と、ニューヨーク到着後の生活について書いていきたいと思います。
私が予約したチケットは、ロサンゼルスを8月29日の午前8時30分に出発し、途中ラスベガスとデンバーで2度乗り換え、9月1日の午前6時05分到着というスケジュールです。乗車時間だけ見れば以下のようになります。
 
ロサンゼルス − ラスベガス(5時間10分)
ラスベガス − デンバー(16時間30分)
デンバー − ニューヨーク(45時間25分)
 
 
 
大陸横断バスを運行しているのはアメリカ最大のバス会社、グレイハウンドです。創業は第一次大戦前の1913年。急速な成長をとげるものの、第二次大戦後は州間高速道路網整備と自家用車の普及で経営が悪化。1990年代には2度の倒産を経て、現在ではLCC(格安航空会社)との激しい低価格競争にさらされています。
簡単に言ってしまえば安さだけが取り柄の交通機関と言えます。このような背景から利用者のほとんどは貧困層や不法移民で、一昔前までは麻薬の密輸ルートとしても使われていたとも言われています。
 
しかし実際に乗ってみるとロサンゼルス、ラスベガス路線では観光客が多い印象で、効きすぎたエアコンを除けば快適な旅路となりました。(ただし、バスターミナルまでのアクセスと周辺の治安に問題があるため、あまりお勧めしません。)
 
ところが、ラスベガスの乗り換えから様子が変わります。まず、予定時刻の30分前に車内に案内されたかと思うと、私服警官が4人ほど乗り込んできて、一人ずつに真顔で「IDはあるか?ドラッグ、拳銃、爆発物は持ってないか?この場で荷物を開けることに同意するか?」と尋ねてきます。
周りを見回すと、それまでとは乗客の配分も大きく違いました。だいたい、ヒスパニック系6割、黒人2割、白人1割、その他1割といった感じで、観光客の姿はありませんでした。バスも古い物になり、それまで各座席にあったコンセントや無料インターネットなどというものはもちろん無く、代わりに乾いたチューイングガムが至る所に張り付いているような有様でした。
 
 
 
バスがラスベガス市街をでると、あるのはネバダの赤い砂漠だけです。その風景を眺めながら、私は子供の頃のことを思い出しました。両親の趣味が登山ということもあり、当時も同じ道を国立公園目指して何時間も車で走っていました。地平線の彼方まで続く砂漠であっても、ぽつりぽつりと家が視界に入ってきます。ここで暮らしている人は何者なのか、そしてもし自分がそこで生まれていたらどのような人生だったのか、当時は想像して時間を過ごしていました。
 
一方バスは約3時間おきにマクドナルドなどで休憩を挟みながら進みます。食事はファーストフードしかありません。また、やっと寝付けた深夜であっても車内清掃や運転手交代のため下車させられ、お客様第一などという言葉は通用しません。時には運転手が客を怒鳴りつけ、カンザスでは大平原の真ん中でエンストし、休憩所では何人かの客を置き去りにしながら目的地を目指します。新しい町に着く度に乗客は入れ替わりながらも、車内は奇妙な一体感に包まれます。
そしてニューヨークに到着すると、それぞれ地下鉄の駅へと消えていきます。ただし、その表情は疲労だけでなくどこか希望に満ちあふれたものでした。
 
 
 
 
その他の写真はこちらでご覧頂けます。(https://www.facebook.com/media/set/?set=a.412578368864272.1073741827.100003363366231&type=1&l=63889a2d74)

 

縄文時代に新たな光を当てる写真家 昭和38年卒・辻 久男

 

  The Japan Timesの“timeout”欄に大きく掲載されたこの小川忠博氏の記事をたまたま知ることとなって、興味本位に読みはじめました所、その量、内容共小生にはかなり厚く重い、しかし、難しいが大変興味ある内容にひかれ拙訳でも最後まで知りたいと思うに至り、時に助けを得ながら、何とか訳しました。

 それを、学生時代の十余名の写真部仲間に

「後輩の小川君(昭和40年卒)が30余年間に亘り正にコツコツと積み上げた縄文時代の人工遺物(土偶、土器、石器)に懸けてきた成果(「縄文美術館」等)が、西洋の考古学者(http://jomonarts.com/ Amana ChugHae Oh, PhD)や研究者(Edan Corkill;記事執筆者)の目にとまり茲に詳しく紹介された。彼の成果(物)に対する背景・意図並びに価値・論評等も見えて大変興味深い内容と思われるので、先ずは拙訳を読んで意見下さい」

とメールを入れた所、

彼と同級のA氏からは「小川氏とは40年以上の友達だが、これほどの仕事をしていたとは今まで知らなかった」、又B氏他からは「小川氏の仕事がどれほどのものかこの記事で良くわかった。それに目を付けたジャパンタイムズの執筆者も素晴らしい。ついては、我々仲間内だけでなく、われら早大写真部OBの集まりである稲門写真クラブの皆さんにもこの記事の事を紹介してはどうだろうか」と云った意見がありました。

 これらの意向を受けて稲門写真クラブの事務局幹事宛、投稿としてこの記事訳文の推敲も含めて紹介(HP掲載)の検討をお願いした次第です。

                  昭和38年卒・辻 久男

 

 

 
       《縄文時代に新たな光を当てる写真家
Camera artist casts new light on Jomon millenia
 
副題:小川忠博の主要目標は時間と理解との隔たりに橋渡しをすること;今日の日本人とさほど変わらない数千年前の人々を知る機会をつくることである

(Tadahiro Ogawa’s primary goal is to bridge the gulf of time and comprehension;

to create a window through which to behold a people many thousand of years ago who were not so different from Japanese today)

 
                  The Japan Times <timeout>Sep 29 2013         STAFF WRITER  Edan Corkill   

 日本史における縄文時代は時のかなたに覆い隠されているので、その神秘を解き明かそうとする試みは先史時代の考古学にまでさかのぼらなければならない。
しかし、考古学愛好家や専門家が2千年前?1万年前の縄文土器や石器を過去100年にわたって発掘し研究してきているので、パズル(謎)の断片は徐々に継ぎ合わされてきている。
たとえばわずか6年前に、極めて大きな豆やそれらを縄文時代の壺の粘土で包みこんでいる穴が発見され、大昔この島々に住んでいた人々が植物を栽培していたという証拠となった。 
このような新しい見解は、ふつうは考古学と科学の検証の結果もたらされるものであるが、この謎めいた時代を明らかにするために一役買った別の試みがあった。写真である。

  小川忠博は縄文時代の遺物を写真に撮り続けて30年。既に手元には約3万点もの写真がアーカイブされている。彼は実際に紀元前1万2千年?紀元前300年頃と推定される縄文時代の品々が収蔵されている全国の500館以上のほとんどすべての博物館で写真撮影をしてきた。

協力団体に対しては撮った写真の無料使用を認めるという小川の方針により、彼の作品はこの分野で至るところで使用され、数えきれないほどの本、ポスター、学術研究書の表紙を飾っており、地方の電話帳の表紙にさえなっている。

  入手した資料から判断すると、これらの博物館は、無報酬で写真を提供する写真家のクレジットを入れることにあまりこだわらないようだが、それにもかかわらず彼の作品だということは容易に分かる。まず第一に、小川の古代縄文土器の写真はその陰影、ハイライトや奥行きの鮮やかで印象的なトポグラフィー画像を描いている。

  発見された物の考古学専門資料としての記録は優先されるだろうが、たとえフラットライティング(平面的で遠近感のない照明)でも、小川は、あたかもそれらの物が同じ部屋にあるかのように、手をさし出して、触れて、感じることのできる物として質感や外見的特徴を写真の中に巧みに取り入れている。彼の写真はそれらが日常的に存在した時代、崇められた古代の単に遺物としてではなく、実在のものだった時代にいとも簡単に私たちを引き戻す。 それは大変な偉業である。なぜならそれらの多くはあまりに奇妙で空想的次元からやってきたようにみえるからである。

 

 例えば豪華な装飾、蛇や蛙などの動物や私たちの眼には全く抽象的にみえる装飾が施された高さ60?70cmの調理用大鍋を、今日の私たちはどのように考えるだろうか。あまり実用的でない品々もある:動物や人の立体像。土偶と呼ばれるそれらの小さな立像の中には幅広の三角頭と大きな目を持っていて、人というよりは空想科学小説のエイリアン(宇宙人)により共通点があるように見えるものもある。
 
 世代を経るにしたがって、縄文土器はその奇抜さを人々の心に特徴づけてしまったようだ。
20世紀半ばの芸術家、岡本太郎は縄文土器に”新しい"日本独自の視覚表現として主張する拠り所を見てとり、それを彼の表現に取り入れた。
 しかし写真家の小川にとっては、そのような縄文文化の意図的な神秘化は、あまり好ましくない遺産であった。当時これらの島に住んでいた人々が、今の自分たちとは全く違う別世界に属していたという考えを現代人の心に植えつけるものだったからだ。(下の写真:「縄文美術館」より転載)

 精力的な小川の仕事の主な目的は、時間と理解との隔たりを埋めることである。今日の日本人とさほど違わない何千年も前の人々を知る機会をつくることである。
 70歳の小川は言う。
「我々日本人はこの人々と血のつながりがあり、今日私たちが生きている自然環境と同じ中で彼らは普通に生活をし、狩りをし、このような物をつくったのです」「彼らは希望や恐れを持ち、複雑な生活環境の中で生きていました。彼らが残したものを注意深く観察すれば、それらが何であったかわかるでしょう」
 
長野県の山間にある松本市立考古博物館の展示室には、数多くの土偶が展示されている。高さ10cmから20cmの粘土製の頭部像や装飾用小立像が大型の土鍋や石器などの縄文遺物と一緒にガラスケースの中に並んでいる。粘土でできていて、長野の谷底の浅い土の中に7000年ものあいだ埋れていた土偶は、他の美術館で見る遺物と同じくらいしっかりしていて良好な状態である。温度調節も緻密な湿度調整さえも必要としなかったからである。
 
「平日はさほどお客さんがいらっしゃらないので、使いたいと思う展示物をかなり沢山取り出すことができます」と博物館キューレーターの澤柳秀利は小川に説明する。小川は考古学者の友人が企画している本に使用する土偶の写真を撮りに来ていた。
「2,3年前に撮影したものは白黒写真でした。今日は、これとあれと後ろのあの列のものを撮るつもりです」
博物館助手が陳列棚を開けてそれらの作品を取り出し、裏紙付きのトレーに移し替え始めた。
 
小川は別の部屋に移動した。4個の大きなプラスチック枠箱の中に数百体以上の小さな土偶が入っていて、全部、箱入りの妙な形のチョコレート菓子のように薄紙の上に幾列にも並んでいる。しかし先史時代のお菓子(土偶)は、遠い昔の人間の暮らしの中での役割を今もって学識者にさえ知られていない。宇宙から来た生物に似ている土偶もたくさんあるが、妊婦、出産、子守りをする女性であると容易に分かるものもある。
 
 撮影に同行していた長野県の浅間縄文ミュージアムの堤隆館長は、「縄文人たちの寿命は大体30歳でしたから、出産と育児は彼らの生活の中心的出来事でした。ですから当然のこととして多産と生殖能力を象徴する像を作ったのです」と説明する。その他の粘土の小立像は縄文人たちが狩りをした場所の近辺にいた猪、熊、鮭などの動物たちを描写している。くすんだ白い箱の中で質感を消す強い光があたった土偶は子供のようにも見えるが、手でこねた粘土の塊のようにも見える。
 
 最適な照明の下で、正確なカメラアングルで撮影された時、それらの土偶がよみがえってくる。
「私の写真によって、縄文時代の遺物が一般の人々に初めて紹介されることになります。ですから一般の人々が興味を持つように、写真が目に焼きつけられるようにドラマチックなものでなければなりません」
 
 博物館の研究室を使用できることになって、小川は慣れた手捌きでそこを簡易撮影スタジオに転換させた。その手際の良さは、経験豊かなアシスタント、小川夫人である奉子 さんのお陰だった。彼女は撮影手順をよく知っているので、彼が要求する前に機材類を手渡すことができるし、彼女自身で大型の撮影用背景幕をセットすることもできる。土偶に適したスタジオを作るために広げた折り目なしの大きな紙のシートを支度しつつ、「家内工業ですよ」と彼女は微笑んだ。
 
 最初に撮影した作品は小さな頭部像で、縄文後期のものだと小川は言う。
注意深く紙の上に置いてから、求める光の効果が得られるように多数の照明と鏡を数分間かけて慎重に調整した。突然、なんの変哲もない粘土の塊が生き生きとし始める。陰影が堂々とした額と真直ぐな鼻を際立たせる。
二番目の作品は実際には二個あって、両方とも小立像の半身だが、小川は写真を撮るために再構築することに決めた。
 
「これはこのように二つに割れた状態で発掘されたので、考古学者にとっては壊れたまま展示されることが大事です。しかし私にとっては、壊れた遺品としてではなく、実際の生活でどのようであったかを再現することが大切なことなのです」
 
そのために小川は道具箱の中の針金枠を探すことになる。その針金枠は木製の底板にくっついていて、小立像が枠からはみ出ないよう支えるために曲げてあった。
「博物館から遺物の図形を前もって送ってもらって、それら特注の針金枠をあらかじめ作ることが出来るようにしています」
 小川は、慎重に立像の一部と他の部分とのバランスをとり、両者とも針金枠にもたれかかせて、それから両手を手前に引いて机を軽く数回叩いた。小立像は全く動かなかった。
「倒れないようにする一番いいやり方はこれなんですよ」と再度、照明を調節しながら言った。
(下の写真:「縄文美術館」より転載 スリットカメラで撮影)
 
特急列車でのある出来事とスリットカメラとして知られる独創的な撮影装置を経て、小川は縄文の世界に入る事になった。報道雑誌の写真記者として仕事をしていた1980年代初期、友人から本の企画に使うための列車撮影の相談を受けた。
 
「いわゆるブルートレインブームと呼ばれた時代のまっただ中で、列車とりわけJRの寝台特急ブルートレインが子供たちの間で流行っていました。スリットカメラを使えば列車全体が撮影できることを提案しました」
普通のフィルムカメラと違って、たぐい稀なその装置には縦長の狭い隙間があり、その後ろでシャッターが開いている間にフィルムが一定速度で通過する。カメラ自体あるいは被写体がフィルムが通り抜ける間動かなければ、その被写体全体が一連の連続写真として描写される。
 
小川のアイディアは、一つの画像の中に長い列車全体を描写し、それを蛇のように長く折りたたみ綴じ込みページに印刷することであった。きっと大勢の若い鉄道ファンをわくわくさせるだろうと想像した。そのとおりになった。
「その仕事は本当に忙しかったですよ」 
高さ15cmx長さ100cmの綴じ込みページを広げながら彼は笑った。
 
問題は、そのプロジェクトが終了したあとだった。スリットカメラを使う機会があまりなかったので、違う視点から考えてみた結果、列車のような長い物から壺のような丸い物へと小川の関心が移ることとなった。被写体を回転させて写真を撮れば、その外周全体がひとつの画像の中にとらえられるのである。
 
「最初はギリシャの飾り壺のようなものを試してみましたが、すぐに縄文土器の魅力にひきつけられました。その装飾はどの部分をとっても同じでなかったし、とても深いものを持っているように感じました」  
 縄文土器は土偶装飾小立像に加えて、派手に装飾された巨大な壺や水差しで知られている。小川は、早速どのようにして撮影するか実験を始めた。そして驚いたことに、考古学団体の反応が極めて好意的である事を知った。
 
「これまで縄文土器の全周の鮮明な写真を撮ることに成功した人はいませんでした。これほど鮮明に全部の模様を見ることが出来るということが、土器研究を本当の意味で前進させました」と山梨県甲府市教育委員会所属の考古学者の小野正文は説明する。
 最初は回転盤の上に撮影する被写体を置いて試したが、そのような方法は学芸員や収集家たちに不安感を与えていたことに小川は気がついた。彼は撮影する被写体を安全に設置できる中央固定台座とその周囲をカメラが回転する仕掛け装置を考案した。
 
 長野県塩尻市立平出博物館での撮影中に、ジャパンタイムス記者に小川が実演して見せた時、その極めて独創的な特徴は、カメラが被写体の周りを回る事ではなく、カメラと鏡と白い背景板全部が被写体の周りを回転し、それぞれが中央にある被写体との正三角形の頂点に位置するというやり方だということがわかった。
 カメラは被写体そのものを狙っているのではなく、鏡に映った影像を狙っている。そうすることによってカメラと被写体により長い距離を確保することができ、よって大きな被写体でもフレームの中におさまるようになる。
また背景板の配置に関しても、常に鏡に映っている被写体の背後にくるようになっている。一方でカメラと一緒に回転するのは照明装置である。
 したがって、カメラとライトが被写体の周りを回っている時、カメラが実際にとらえている狭い点はどの瞬間でも常に同じ角度で照らされていることになる。
「その結果、写真の幅全体に対していつも同じ長さの陰になるんです」と少々困惑している質問者に小川は説明する。その画像は装飾の各部分の奥行がすぐに分かるので、被写体の詳細な研究のためにとても貴重であることをつけ加えた。